ビギナーの為の風水学:目次

運命の五大要素とは


運命とはどういう要素からできているのでしょう?開運するとはどういうことなのでしょう?風水学を学ぶのは何の為でしょう?東洋運命学から見た「運命」の根本原理を、分かりやすく説き明かします。落ち着いて読んで下さい。

運命の不思議

運命、このとらえどころのない不思議なものを解明しようと、どれだけ多くの人々が心血を注いできたことでしょう。無数の人が等しく全て、それから逃れることはできません。
運命は時には苛酷に、時には甘美に、私たちを翻弄します。
この正体を一瞬でもかいま見たことのある者は、その恐ろしさを忘れることはできないでしょう。
この運命というものを、本当に動かしたり征服したりできるとは、私は思ってはいません。また、それが良いことだとも思いません。

しかし、運命というものが、どんな要素によって成り立ち、私たちの心と肉体が、どんな風にそれに拘わってゆくのか、それを少しでも説き明かすことができれば、何らかの手掛かりは出来ると思います。
これは宿命論ではなく、長いものには巻かれてしまえ、という態度でもありません。
吉凶禍福はあざなえる縄のごとし」とか、「天網恢々疎にして漏らさず」などということわざもあります。これは結局、その人の行いに応じた結果、撒いた種に見合った収穫があるということで、良い行いには良い結果、悪い行いにはそれに応じた報復が用意されている、ということです。


「我(われ)」を造る要素

しかし、生まれつきの善人とか悪人とかいうものがあるかないかは別として、良い行いをする人は、何故、良い行いが出来るのか。一方、悪事を働いてしまう人は、何故そういう風になってしまったのか。
昔から、「氏か育ちか」「素質か環境か」という議論がかまびすしいことですが、これは多分、永遠に決着はつかないでしょう。時代の流れとともに、どちらかが優勢になったり劣勢になったりを繰り返してゆくことでしょう。
人は誰でも、「盗んではいけない」「殺してはいけない」「嘘をつくのは悪いことだ」という知識、常識はあります。
それなのに、何らかの理由で、どうしても常識に反したことをしてしまう人があるのです。

私はこれまで、自分自身さまざまな体験をし、多くの人を見てきました。そして、人間の運命には、その人自身の体質、個性から来る部分…言い換えれば環境、教育、また本人の努力によって変えられる部分と…
…それ以外のどうにもならない部分があり、そのどうにもならない部分には、ある種の力が働いていることを確信しています。これを世間では宿命といいます。
普通、宿命とはどんなことをしても変えられない、と思っている人が多いようです。
それでは本当に、宿命から逃れることはできないのでしょうか。
じつは、仏教、儒教をはじめとする東洋思想の中に、みごとにその答えが用意されているのです。

それでは順番に、考えてゆきましょう。
運命というものを考えるにあたって、まず、その運命の対象である、自分自身とは何なのでしょう。どういう要素で作り上げられているのでしょう。そこから考えてみたいと思います。


「自分自身」とは何か?

自分自身、あなた個人…これはある両親のもとに生まれ、ある環境のもとで、ある条件を与えられて育ってきました。どんな両親であろうと、顔も見たことがなくても、いちおう生物学上の両親というものはあるはずです。
まず、あなた自身というものは、ここから始まります。どんな人でも、生まれて来るときに親を選ぶことはできません。好きな場所に、好きな環境で生まれてくることはできません。 これが、宿命というものの一番大きなポイントでしょう。
「なぜ、そういう親、環境を持つに至ったか」ということは後回しにして、とにかく過去と現在の条件、環境によって、あなた自身が形づくられているわけです。
それでは、あなたは「自分自身」を限定するのに、何をもってしますか?
自分が何か感じたり変わったりする時には、「心身ともに」と言ったりしませんか。

そう、やはり一番先に上げるのは体ですね。身体、肉体の条件です。
背が高いか低いか、顔が美しいか醜いか、健康でバリバリ働けるか、それとも寝たきりの病人か。この肉体というものが第一ですね。

次に「心」があります。これは少々複雑です。
何しろ心というものはいろいろ変化します。その時々によって、観音様のような、優しい柔和な暖かい気持ちの時があると思えば、次の瞬間は、地獄の悪鬼のようになったりします。
感情が安定している人もあれば、いつキレるか分からない物騒な人もあります。
実体があるようで掴みどころのない、心は何グラムか、解剖したら体のどこにあるのか……脳なのか、心臓なのか、ヘソ下三寸の場所にあるのか、それともはたまたDNAか、それぞれの立場によって違うとは思いますが、自信と確証を持って答えられる人は、誰もいないでしょう。
それでも、自分自身の心というものは、確固として存在はする。ないようである、しかしあるようでない、何ともよく分からない存在。
「いいえ、私には心はありません。恋人のところに(又は故郷に)置いてきました」などというロマンテイックな方もありますが、それでも元々は持っていたわけです。
しかしいざそれが何なのか、改めて考えてみると、サッパリ分かりません。掴もうとしても掴めず、周りの環境、条件によって猫の目よりもたやすく変化します。

この、周りに影響されるということをよく考えてみますと、影響されやすい面と、されにくい面があります。
影響されにくい面とは、その場の感情とか波という一時的なものでなく、思想とか哲学、理念といった大きな範疇の条件によって作り上げられた部分です。

これを作り上げているものは、一つは思想、教育です。
あなたがこれまでに受けて来た、初等、中等、高等、専門教育、社会通念、家庭の躾、生活習慣などです。時代背景もあります。これが一つの大きな要素になります。

もう一つは、あなた自身が生まれ育ち、また現在住んでいるところの土地、国土、風土というものがあります。あなたが日本人で、九州のどこそこの県の生まれか、それともアメリカ合衆国に住んでいるのか、インドのアンタッチャブル出身なのか、イギリス貴族の末裔なのか。
これは前に上げた思想、哲学、社会、時代的な背景とは異なり、もっと大きな、個人の力では度し難いものです。
地球上のどこに生まれるか…これは決定的に宿命といって良いでしょう。


「自分」以上のもの

漠然とではありますが、すこし、自分自身を作りあげているものの要素が、かいま見えてきたような気もします。

肉体、固体的な条件、これが一つ目です。
次に、あなたが住む社会、それによって受けた思想、教育、これが二つ目です。
三つ目が環境、国土です。しかし、これだけでは何か割り切れないものが残ります。

ここでひとつ、有名な文学作品を思い出してみてください。
マーク・トゥエインの「王子と乞食」です。

年恰好も顔立ちもまるで似通った二人が、ふとした機会に出会い、少年の悪戯心から服を取り替えて、王子の身分と乞食の身分を入れ替わってしまいます。それが発端となって、二人とも元の身分のままではとうてい体験することのできない社会勉強を、否応なしにさせられる…という物語です。

この二人は、自分の肉体環境、国土環境という点では、非常に近い条件を持って生まれたわけです。
ところが、一方は将来の国王。一方は物貰いで、最後は飲んだくれて野垂れ死にが精一杯、という身分です。この差はどこから来るのでしょう。
この物語構成は、あまりに意図的過ぎて「好きでない」という方も時折見受けられますが、私たちの周りを見渡しても、有名スターと同姓同名、また生年月日が全く同じ、という方も珍しくありません。
姓名判断はどうなるのか?、星占いも四柱推命もどうなるのか?、と言いたくなるところでしょう。

「前世」が今のあなたを決める

じつはここで、前世というものが深くかかわってくるのです。
前世といえば、1980年代のこと…、前世という言葉さえ知られていなかった頃のことが、思い出されます。
「前世って信じる?」というと、「ゼンセ?それ何?」という具合で、マスコミの対応、一般の認識にしても、まず信じる、信じない、という議論が先にたって、前世の中身に入る手前で疲れ果ててしまったものです。
それが、最近では聞き慣れた言葉になってしまい、「前世占い」まで登場する始末です。

じつは筆者は、この前世ブームの火付け役となった本とも深く関わっているので、世間の変わり方に感慨もひとしおなのです。1986年頃のことですが、新書版のロングセラー本なので、このサイトに来られる方の中にも、その本をお持ちの方もかなりあると思います。
具体的なことは伏せておきますが、筆者が結局こういうサイトを出す成り行きになったのも、自分自身の前世と関わりがあるのでしょう。

個人的なことはさておき、人間が生まれて来るには、生まれる原因、要素があるのです。
前の世で作った条件に従って人間は生まれ変わり、輪廻転生を繰り返しているのです。
勤勉に働いて子孫や従業員をを多く養い育て、財産を残した人は裕福な家に生まれ、学問に励んで業績を残した人は、今世生まれてもアッという間に同じ学問の分野で研鑚を積んで、次の段階の研究をしたりしているものです。
それもそのはず、もともと自分が前世からやっていたことなのですから。

そうすると、人間は輪廻転生を繰り返して生きてはいても、そう違った人生は歩かないことになります。それはそうでしょう。同じ人物ですから、ものの考え方も行動も、似通った習慣を持っており、似たような人生を送ることになってしまうからです。
平々凡々と庶民で終わる人は、前世で農民だったものが、現代ではサラリーマンになる程度の変化なのでしょう。サラリーマンから出発して革命を起こす人は、前世では百姓一揆でも起こしたのでしょう。

政治家はやはり政治家になり、学者は学者であり、疾風怒濤、波乱万丈の人生を送る人は、生まれ変わっても、やはりそういう運命を辿ってしまうものです。
持って生まれた器量とモノの考え方、行動形態から、現代的に言えばDNAが、そういう運命を呼んでしまうのでしょう。
この、因果応報輪廻転生の歯車が、それぞれの前世の宿因宿果を運んでくるので、たとえ誕生日と姓名がまったく同じ二人の人がいたとしても、別の行動を取り、違う結果を出してしまうのです。

そうすると、宿命とは言っても、結局は自分自身が決定していることになります。
また、親は選べないといっても、実際はほとんどの人が、自分の子孫のもとに生まれ変わってくるわけで、自分の前世での行いにふさわしい場所にしか、生まれては来ないのです。


「時」を認識しよう

ここまで、お分かり頂けたでしょうか。
人間、個人というものを作り上げているさまざまな要素、それにつきまとう前世の宿業、それが運命というものを作り上げ、いや半ば自分から呼びこんでいるということが。
しかしそこまでは良いとしても、まだ解決できないことが残っています。
前世の因縁をもってしても何としても、説明のできない幸不幸、間一髪の運命の食い違いというものがあります。
これは前世でも今世でも、いや未来永劫つきまとう永遠の謎です。

同じ努力をもってしても、一方には何事も順調に進み、社会的にも認められる人。
一方では、全く同じ努力をしながら、今一歩及ばない人、世間の時流に乗れない、タイミングの悪い人があります。
同じ力量で同じ努力をしながら、社会情勢とか流行のために、芽が出ずに終わる人。現代では特に、こういう問題で臍を噛む方は多いことでしょう。タイミングの悪さは致命的です。

じつは、運命とはタイミングそのものだといっても良いぐらいなのです。
タイミングとは、「機」=チャンスとも言います。別の簡単な言葉で言えば、「」のことです。時の流れ、時代の趨勢、はやりすたり、変わるもの変わらないもの。
結果を出すも出さないも、すべてを司るのが「時」です。

生きているうちに認められず、亡くなってから名を成す偉人も多くあります。「あと百年遅く生まれていたら天才だった」という先人の為したことを土台として築かれる業績も、数多くあります。全ては「時」が支配しているのです。
不易流行」は俳諧用語ではありますが、まるで、私達が実社会で流した血の上に、冷徹にも投げかけられた言葉のようです。
この「時」の意義を本当に理解することができたならば、人生の達人であり続けること、間違いないのです。


最後は守護神力

さてこの、人智で計り知れない「時」「タイミング」に手を加えることのできる存在が、唯一「守護神」です。
この守護の力があるかないか、あるとしても、どういう場面でそれが発揮されるのかが、鍵です。

守護神にも得手不得手があります。戦に強い神もあれば、恋愛に強い神、金儲けに強い神、いろいろあります。
この守護神の力と働きを知ることが、最大の開運法なのですが、何でもかんでも神頼みすれば良いと言うのではありません。
人智を尽くして天命を待つ」というとおり、怠け者は神も見放すでしょう。また、神社やお寺にお参りするにしても、どこでもやたらにお願いに行けば良いわけではありません。

むしろ神参りが好きで、いろんな神社仏閣のお札のコレクションをする傾向のある家ほど、厄介な災難を抱え込んでいることが多いのです。
この点について、、また守護神のことについては「雲切童子のコーナー」で重点的にふれてゆきます。
今のところ、みなさんは「触らぬ神に祟りなし」ということ、それから強い意志には強い守護神が宿り、弱い意志には腰抜けの守護神しかつかない、ということだけ、覚えておかれると良いでしょう。
どんな立派な神様のいらっしゃる神社仏閣にお参りしても、個人の幸福、マイホームしか考えない小さな器にはそれなりのものしか入りませんし、何らかの使命感を持っている人には、神の方から好んで手を差し伸べてくれるものです。

運命学のサイトに関心を持たれる方は、何らかの理由で自分の運命に関心や疑問がおありのことだと思います。この章だけでどれだけ手掛かりが提供できたかは疑問ですが、このサイトにじっくりとお付き合い下さる方には、必ず何らかの得るところがある筈です。

具体的なことを知るには、時間がかかるかもしれません。具体的なことは系統立った勉強をして、途中で間違った方向に行かないようにフォローしなければ、かえって危険な場合もあります。
従って、このサイト内では、どこから読んでもよいような構成にしてあるので、断片的な知識でも有用なことは、どんどん掲載してゆきます。
しかし、占いの秘伝などというものは、所詮はツールです。一番大切なのは、それを使う人と人格です。ここをよく認識できる方のほうが、結局は運命は良いのだということを、申し添えておきましょう。

(1998年頃記述)

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