仏典の種類

◆仏典は三種類に分類される◆

仏教の経典は三蔵(さんぞう)に別れます。
三蔵とは三つの蔵、すなわち「経・律・論」(きょう・りつ・ろん)です。
この経律論の三蔵の知識に勝れた人を、三蔵法師と言います
西遊記で有名な玄奘三蔵、妙法蓮華経の訳で有名な鳩摩羅什三蔵などです。


三蔵とは


現在、日本で入手できる書籍で、この三蔵の仏教基本図書をすべて網羅してあるのが、「大正新修大蔵経」(大蔵出版)で、百科事典ほどの大きさで100巻余りあります。なかなか個人で買えるようなものではありませんが、図書館に行けば見れます。

東京大学でテキストデータベース化して頂いています。
SAT大正新脩大藏經テキストデータベース

もう一つ、「国訳一切経 」(大東出版社)で、こちらも和漢撰述部 全100巻102冊あります。こちらのほうが価格的にも比較的入手しやすいので、個人で必要な巻だけを持っている人もあります。


仏典は八万四千の法門と言われるように膨大な量です。その為、経典のどの部分に重きを置くかで、仏教各宗派の教義や方向性が決まってきます。
細かいことの違いは、すべて経典の中からどれを選んで思想の根底に置くか、にかかっています。
細かい説明をしてもしきれるものではありませんが、仏教経典が上のような構成を持っていることは、最低限、知っておいて下さい。
また、仏典の成立過程を見れば、中には偽者が混じっていても決しておかしくはないということも言えるかもしれません。


天台三大部(法華三大部)

天台大師智(ちぎ)の主著で、天台宗で必須の書物です。次の三部があります。



摩訶」は大きいという意味ですが、その入門書として、「天台小止観」もあります。

経典を全部学ぼうとしても一生ものですが、基本知識として、以上が仏典の基本だということだけ承知しておいて下さい。



◆一般書◆

いきなり取っ付きやすい本になりますが、現代語訳としてはこの本が最も無難でしょう。
編纂と解説が、某新興宗教と係わりの深い人物というのがちょっと???ですが、法華経の訳は紀野一義氏です。ただし、法華経は全部ではなく、一部カットされています。

入手しやすく、いちおうのものだと思いますが、筆者は本の構成上、あまり感心しないので、どうしても全文が欲しい、という場合だけで良いと思います。

岩波よりも、こちらのほうがお勧めです。平楽寺書店は伝統ある法華系の出版社なので安心ですが、原則として寺院や仏具店に出荷する会社です。通販では、漢文のルビなども確認できないので、店頭でなるべく新しいものを探されたほうが良いでしょう。
出版社じたいが初心者向きではなく、知識のある人向けなので、目録をザッと見て意味が分からない人は、やたらに問い合わせを入れないようにして下さい。
真読=音読、訓読=そのまま訓読のことです。


◆作者からの個人的なお願い

この際に、サイト読者にお願いしておきたいのですが、日本人のいちおうの教養として、旧仮名使いには慣れていただきたいのです。でないと、大事な場面で手も足も出なくなります。
例えばこのサイトの観音力みくじの文面がよく分からないと言われても、そこまで面倒をみてくれる人は居ませんし、また無理に安易な現代文に直して良いものでもありません。
経文の仮名づかいぐらいは日本人として当たり前なので、努力で慣れるようにして下さい。学校で源氏物語や平家物語を習ったはずですので、これはノルマです。

◆折本について

折本は書籍ではなく仏具の扱いです。最近はアマゾンでも扱うようになっているので、通販でも入手できるようですが、書籍ではなくホーム&キッチンカテゴリに入っています。
仏具ですから価格はまちまちで、非常に高価なものもあります。装丁の布の種類で、価格が全然違います。
また、仮名が新仮名づかいでないと分からないと言われても困る性質のものなので、きちんと読経できる縁ができてから、考えられれば良いでしょう。
写経手本を兼ねた手ごろなものが欲しい場合は、写経の章で紹介します。

◆仏教書に関しての注意

仏教書に触れるにあたって大切なことは、なるべく生半可な解説書を読まずに、原典に当たることです。
また、本を探していると、あまり関りたくない宗教団体の息のかかったものに、知らずに当たってしまうことも多いので、やたらに買わないことです。
平楽寺書店、もしくは大八木興文堂発行のもので、アマゾンや紀伊国屋直送のものに限定されれば安心です。

また、筆者の意見ですが、経典や本に関してとても大切なことは、無理に分かろうとしないことだと思っています。
今読んで分かることは、現時点での、自分自身の能力と生活環境と徳力の範囲でしかありません。
きちんと読んできちんと理解に勤める態度も大切ですが、それは限界のあるものであり、少し分かってそれで済むと思わないことです。解説書をあまり勧めない理由も、ここにあります。解説書はそれを書いた人の力の範囲でしか、書かれていません。

既に「経・律・論」という三部構成そのものが、解説書を含んでいますし、天台三台部そのものが法華経の解説書なので、解説書の解説書の解説書…と、なるべく離れないようにすることが大切です。

身近な例で、当サイトのおみくじの類にも言えることですが、現代語で書いていないので、すぐに分かるように簡単な言葉にする、ということが、必ずしも適切だとは言えません。言葉や文章は、言い換えると必ず失われる部分があります。仏教哲学の分野ではなおさらです。

言葉の表面を解釈して済むものだとは思わず、現代語訳は、あくまでも入門者の為の便宜的なものだということを忘れないで下さい。一回読んで済まさず、何度も何度も言葉と体と心に経典の魂が沁みいっていくように、読経の修行があるのです。黙読にも音読(声に出して読むこと)にも、それぞれ別の役割があります。

もう少し気軽なものを読みたい場合は、紀野一義氏などのものをおすすめします。

文責:タオ<コピー・無断引用禁止>

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