斉藤水兵の戦死



観世音菩薩は、その第一の役割を、「普門示現」(ふもんじげん)と言います。
これは「普く(あまねく)(仏法の)門を開き、示し現す」と言う意味で、仏法をできるだけ一般の人々の身近に置き、門を広く開き、取り付きやすいものにする、と言う意味です。

なので、全ての仏教宗派で信仰され、観音経もほとんどの宗派で上げます。
観音経にもいろいろあるのですが、法華経の中の「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」が最も著名であり、観世音菩薩の本質を説いたものです。しかしこれを、法華経の一部であることを知らずに上げている人も多いようです。

別に知らなくても、中身を悟ることができれば同じことなのですが、注意すべきことは、取り付きやすい教えから入門したら、もっと先へ進まなければ、そのままで足踏みしていては勿体無いということです。
せっかく門を開いて中へ入ったら、もっと中を探索し、奥の院まで行って宝物を見てみようではありませんか。

この「観世音菩薩普門品」の意味を知ったら、それは法華経の中に入門したということです。
その次の段階では、別の章までどんどん読み進んだり、観音信仰もまた別の角度から考えたりして欲しいものです。法華経は他力本願ではなく、自らの力で立ち上がる信仰です。しかし、その自らの力というのは、一般的に思いがちな、人間的、現世的な能力を恃(たの)むことではありません。


それでは、自らの力で立ち上がる、とは何か…?
「法華経は、信から入る」と言います。
「信」の力がなければ、幾ら法華経を受持しても、形ばかりのものになってしまいます。すぐに利益が出ないと、迷いの中で右往左往してしまうことにもなります。この「信の力」が、自らの力を恃むということです。
古今東西、数々の神通力を生んできたのは、この「信の力」にほかなりません。信念は不思議を生み出す神通力の源です。法華経を受持する者は信の力がなければ、本当に受持しているとは言えません。言い換えれば、法華経を真に受持すれば神通力が生じ、叶わないことはない筈なのです。

別章で紹介した吉田松陰の観音信仰の話も、まさに学者らしい考え方ではありますが、信念に満ちた言葉です。間口の広い信仰ですから、いろんなタイプの信仰があります。ご利益宗教で留まっている人もあれば、至高の高みに上り詰める人もあるでしょう。松陰のように、やや哲学的な切り口で説明する人もあります。
この辺りの傾向は個人の好みの問題なのでしょうが、その説得力と信念力の差は、まさに求道心の差と言うべきでしょう。

もう一つ、観音信仰の大きな特徴として、現世利益があります。広く門を開く為の信仰ですから、ある意味では当然のことかもしれません。中でも観音さまの最も大きな現世利益は、「施無畏」(せむい)という現象です。観世音菩薩の別名を「施無畏者」(せむいしゃ)と言います。
これは、「畏(おそ)れ無きを施す者」と言う意味です。早く言えば、恐怖心を取り除いてくれるのが、もっとも大きく手っ取り早い利益ということなのです。

皆さんがいろんな局面に立たされた時、恐怖心がどんなに足を引っ張るかは、たぶん経験済みの方が多いのではないでしょうか。
近くは試験や面接の不安と恐怖、将来に対する漠然とした不安、天災、人災による生命の危機、その他、さまざまな場面で、われわれ人間は恐怖に直面します。恐怖とは自分を守る為のシグナルと言う面もありますが、恐怖にいったん取り憑かれるや、正常な判断力をなくし、体は硬直し、心臓は早鐘を打ち、心身ともに縛りがかかってしまいます。

こうなると、もう突破口を自分で閉じてしまうようなものです。恐怖心が強く、小心なのは、保身と同義語です。肩が凝る人はどうもこの傾向があります。いつも外敵から身をすくめていると、肩が凝りがちです。

体の具合が悪くなるのは内敵、外敵両方の原因がありますが、心の状態が悪くなるのは、ほとんどが内敵です。そんな人にこそ、この「施無畏」は必要でしょう。
ためしに、不安でどうしようもなくなった時には、掌に「南無観世音菩薩」と指で書き、それをぐっと呑み込んでみては如何でしょうか。冗談でなく。


死の恐怖に最も間近に直面するのが戦場です。ネット接続している方で実際に戦争体験のある方は、もう少ないかもしれません。しかし、忘れてはならない歴史が沢山あります。そんな中の、こぼれ話の一つです。

「しろがねも黄金も玉もなにせむに、優れる宝、子にしかめやも」と詠んだのは、山上憶良です。
「世の中に思ひあれども子を超ふる、思ひに勝る思ひあるかな」と詠んだ紀貫之。
歌人、詩人ほどの表現力がなくとも、世の中の人の親心は同じでしょう。
また子のほうも、親を慕う気持ちが全ての愛情の根源にあります。仏法のある経典はこのように言っています。

「いずれの法(のり)か、世間に最も富裕なる。
いずれの法か、世間に最も貧無なる。
母の堂に在(い)ます時を最も富とし、
母の在まさざる時、最も貧しとす。
慈母在ます時は日中なり。
慈母の亡ずる時は日没なり。
慈母の在ます時は皆円満なり。
慈母の在まさざる時は悉く空虚なり」


泥の中の観音像

さて、こういう話がありました。
南支の攻略戦の時のことです。日本海軍陸戦隊に、斉藤という一水兵がありました。

斉藤水兵は敵を追撃中、道で泥まみれになっている一体の観音像を拾いました。

たぶんこれは、敵兵が逃げる時、どこかのお寺から略奪してきたのを落としたものでしょう。斉藤兵はこれを拾い上げ、クリークの水で念入りに泥を洗い落としました。
しげしげとその観音像の面(おもて)を眺め、ニッコリしています。しばらく眺めてから自分の背嚢(はいのう=リュックサック)に納め、進軍を続けました。
ところがその後は、休息の時も食事の時も、いつもいつもその観音さまを取り出してはじっと眺め、飯盒の御飯を供えたり、野辺に咲いている草花を摘んでは手向けています。

戦友たちが笑ったりからかったりしながらその訳を尋ねると、彼も笑いながら
「じつは、この観音さまは、見れば見るほど俺のお母さんに似ている。お母さんそっくりなんだよ」
と言いながら、なおも観音像に見入っています。

彼の家族は母親だけで、日頃から彼が孝心の篤いことを知っている戦友たちは、もうからかうのは止めてしまいました。それどころか、いつの間にか彼と一緒になって、この観音さまに水や御飯を供えたり、美しい草花を採って来ては飾るようになりました。

斉藤水兵は、この観音さまを、すなわち彼の老いた母親を背中に背負いながら、弾の雨をかいくぐっては広東を目指して進軍を続けました。
しかしある日、敵弾に当たって胸を撃ち抜かれ、その場に倒れてしまったのです。

戦友たちは彼をいたわり、すぐに野戦病院に送ろうとしたのですが、彼はどうしても聞き入れませんでした。
「自分一人が傷ついた為に更に一人の兵隊が戦えなくなったら、天皇陛下に申し訳が立たない。俺は大丈夫だから先に行ってくれ」
と言って、どうしても聞きません。

戦友たちはやむを得ず、彼を残したまま、後ろ髪を引かれる思いで進軍して行きました。
間もなく、他の部隊がこの場所を通った時、片手に銃を、片手に観音像をしっかりと握りしめた斉藤水兵が、そのまま戦死を遂げている姿を見出しました。

彼は、観音さまに頬ずりしながら、静かに目を閉じていました。おそらく死の直前に背嚢から観音さまを取り出し、観音さまに宿った老いた母と共に、安らかに眠りに就いていったものでしょう。
その顔には畏れや不安や苦しみの蔭はなく、なごやかな微笑みが浮かんでいたそうです。

どんな人であっても、死の瞬間の心の状態が、その人の一生の幕を引くにあたって、非常に大切なものになります。年齢、状況に関係なく、人間、死ぬ時は一人です。その時の心のありかた、悟りが来世を決めるのでしょう。
そんな、最も大切な束の間の一瞬に、「畏れ無きを施す」
これが観音さまの、最大の贈り物です。

文責:タオ<コピー・無断引用禁止>

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