漆雅子女史の観音霊験


一、父の臨終

何でも物には陰陽があります。陰があれば日向があり、山があれば海があり、百花繚乱の春があれば紅葉落葉の秋があり、草木濃緑の夏があれば、連天凱白の冬があります。天地法界を観ずるに、一つとして、陰陽の顕現にあらざるものはありません。
この天地の間にあって、万物を作り出す陰陽、この陰陽の大自在力が菩薩としてこの世に現れたお姿、それを大聖歓喜天として、私の父は篤く信仰しておりました。

聖天様は余りにあらたかで、一般の人には信仰しづらいと思われていますが、父は漆正厳という浄土宗の僧侶で、東京府選出の代議士でもありました。若い時から朝5時に起床するや、まず湯浴みをして身体を清浄にし、それから聖天様にお花を供えて読経するのが日課でした。
父は昭和9年に亡くなりましたが、生前から冗談のように言っておりました。
「俺はまさに息を引きとらんとする時には、掌(たなごころ)を合わせるによって、この時こそ臨終だと思え。そしたら一同読経するのだ。決して注射などしてはいかんよ」

昭和8年6月のこと、芝増上寺の常念仏に出て法話をし、その壇上で突然倒れ、それ以来半身不随の身となって病床にありました。私はせめて父への孝養の一端にと考え、父の代理となった積りで、毎朝4時に起床し、聖天様を大事にお祭りし、この時から信仰するようになりました。

父は老齢のことでもあり、晩年まで政治方面に忙しく活躍していたので、体を無理に使って過労になっていたのでしょう。秋になってもなかなか良くならず、秋も過ぎ寒くなると同時に病状は次第に悪化するので、もしかすると春までは難しいかもしれない、と医者も眉をひそめて言うようになったのです。



しかし幸い、無事にお正月を迎え、再び春に逢うことができたので、再起は難しいと言いながらも一同愁眉を開

いたのですが、忘れもしない1月22日の暁、東の空に明けの明星の輝く頃のことでした。
倒れて以来、ずっと半身不随で、右手の自由は利かないのでいつも左手ばかり使っていたのですが、私が枕元に参ると、左手で合掌の形をしています。
その様子を見て思わずハッとし、耳元に口を近づけて訊ねました。
「お父さん、もう死ぬのですか?」
「うん…」
と、大きく頷かれて、静かに目を閉じられました。
そこで早速、親戚、知己に通知し、親しい人々に集まってもらいました。その夕方、父は眠るがごとく大往生を遂げられたのです。父を思うと、まず第一に、この臨終のことがすぐに脳裏に浮かぶのです。

二、前兆

次に、私が観音様を信仰するようになったいきさつは、父と関連して一つの因縁話があります。
父の十七日の朝、いつもの通り四時に起き、聖天さまの前で読経しておりますと、鈴が二つ鳴りました。
チン、チン…
私以外には周囲には誰一人居ないのですから、鈴の鳴る筈はありません。不思議なことがあるものだ、と思いながらも、そのまま忘れるともなくうち忘れていました。
翌朝のことです。聖天様の前に参ると、今度は目の前にある鐘が二つ鳴りました。
ガン、ガン…
いよいよ、不思議でなりません。鐘を打った人は誰も居ません。雨戸から吹き込む風もないので、不思議というよりも形容の言葉がありません。

3日目の朝です。
「今日はどういう異変があるのかしら?」
と何となく興味を抱きながら、手燭を持って聖天様の前まで来ると、手燭の足がチロチロと燃えだしたのです。
それを見て、ハッと直感的に感じました。
「これは火事のお知らせだろう。聖天様のお告げに相違ない」
そう気がつくと、前後の処置について考えざるを得ません。父は存命中、保険というものが嫌いで、生命保険はもとより火災保険もつけていませんでした。
しかし、これでは万一の際、立ち直ることが出来ません。そこで、私はすぐに、寺の建物全部に保険をつけ、一方で一切の火の気を絶ってしまいました。

こういうふうに、一事が万事、注意に注意を重ね、さてその夜床につき、しばらくまどろんだかと思いますと、「どろどろどろ…ずしん…」
という地鳴りのような音がし、家が左右上下に揺れ動くので、「おや」とびっくりして目を覚ましました。

しかし、起きてみると別に地鳴りのした様子もなく、家内一同はすやすやと安らかに眠っています。
「さては夢だったか」
と思い、寝につくと、30分くらいしてからまた、
「どろどろどろ…ずしん…」
と地鳴りが起こり、家が揺れ動きます。

こんなことが毎夜毎夜続くので、私は心配で心配で、いても立ってもいられません。
「どういう災難があるのかしら?」
と不吉なことを予感しながら、夫にそのことを話しても、夫は全く意に介せず
「そんなことがあるものか」
と、てんで相手にしてくれません。ただ、女学校に行っていた子供が、不思議そうな顔をしながら
「お母さん、この頃とても変なのよ。家がグルグル回るような気がするんだけど…」
子供にも霊感があったのでしょうか。
とにかく、こういう具合に不安な日を幾日か送りましたが、幸いにして何の変わったこともありませんでした。
しかし、一週間目のことです。その日はついにやってきました。火難にこそ遭いませんでしたが、差し押さえが三件同時にやってきたのです。それも何万円という莫大な金額です。
もとより、私共の少しも関与しないことでした。
驚きながらもよく聞いてみると、子供の頃から父が世話をして一人前の商人にした男がありました。その男が、商売上、信用の為に問屋へ預けて置くのだからと言って、父の振出名義の約束手形を持って行き、書き換えの度に以前のはそのままにしておき、新しいものを作っては何度も何度も持っていった、と云うのです。

父は信用していた男のことで、いつもろくろく見もしないで印を押していたのでしょうが、その約束手形が全部高利貸の手に渡っていて、ついにこういう大変な事態になってしまったのです。
私はすぐにその男のところへ駆けつけました。ところが、家の中はガラ空きで、主人の姿も家族の姿も見えません。夜逃げしてしまったのです。

飼犬に手を噛まれる、とは全くこういうことであろうと思い、つくづく情けなくなりましたが、ともかく今となっては警察に頼んで捜査してもらうより他に方法がないと思い、品川警察にお願いしました。
それから私は斎戒沐浴の上精進し、聖天様に一週間の願をかけました。
「どうか、本人の居所が分かりますように…一日も早く出てきますように」

さて、ちょうど満願の一週間目のことです。私が一心不乱にお祈りしていると、横を角帯をしねた商人風の男がスーッと走り過ぎました。
振り返って見ても、もちろん人の姿は見えません。しかし、私は確信を得ました。今日はきっと捕まるに違いないと。
家族の者とも話し合い、今に警察から何か知らせがあるかもしれないと待っていると、昼頃のこと、弁護士に連れられてやってきました。
もともと人の良い男のことですから、すっかり恐縮してしまい、「どうも申し訳ありません」と一言いったのみで、後はただ涙ばかりです。

「とんでもないことをしてくれましたね。どうしてまた、こんな事になったのです」と訊ねると
「最初五千円ばかり借りていたのですが、手形を書き換えばかりしえちると、一年ばかりのうちに三万円程の借金になってしまったのです」
経済のことにうとい私たちは、そこにどんなカラクリがあるのか知りませんが、開いた口がふさがりませんでした。

「何処へ逃げていたのです?」
「もう一生帰るまいと考え、台湾まで逃げたのですが、三晩続いて聖天様が現れ、とにかく帰れ、と言われるので、台湾にも居られなくなり、急いで帰って来たのです」
と、涙ながらにきれぎれに答えました。
「で、これからどうする考えですか?」
「すぐ警察へ参ります」
「それでは行きなさい。そしてただ、本当のことを言いなさい。私のほうも、話が分かればどうともしてあげますから」
お金のある方にとっては、三万円ぐらい何でもないかもしれませんが、私共にとっても一家の浮沈にかかわる大金です。そこで、私もいろいろと思い悩みました。

三、観音様に出会う

かねてよりの知り合いで、上田霊湖という方が赤坂におられました。私はふと、この上田霊湖さんが占いの名人であることを思い出し、急いで駆けつけました。すると、上田霊湖さんはニコニコ笑いながら申されました。

「何も心配するには及びません。観音様があなたを守護していて下さいますから」
「私のところには、まだ観音様はお祀りしてございませんが…」と答えましたが、そんな私の言葉にはお構いなく、
「如意を持った観音様があなたをお守りしていて下さいます」と、繰り返し力強く言われました。
「観音様がお守りくださると言っても、今日まで信仰したこともなし…とにかく今から、よく信仰するようにいたしましょう」と、その時心に篤く誓って、上田さんの家を辞しました。

それから三日目のことです。外出先から帰ってみると、床の間に有り難い観音様が安置されています。
「まあ、立派な観音様だこと」
と、思わず掌を合わせながら、つくづくとよく眺めると、不思議や如意を持っていらっしゃいます。
「誰が持ってきたのですか?」と聞くと、以前から懇意にしていたある人が、「真田幸村のお念持仏で、由緒の正しい観音様だから、三千円で買ってもらいたい」と言って持ってきたとのことです。

「そういう由緒があるのなら頂きたいと思いますが、三千円はとても出来ません。まことに残念だけれど…」
本当に心から惜しいと思いましたが、いちおうお返しすることにしました。
それから4〜5日後のことです。またその人がやって来て
「観音様が夢枕に立たれ、どうしてもあなたにお守りして貰いたいと申されました。不思議なことだと思っていると、家内も同じ夢を見たというのです。お金のほうはどうでもよろしゅうございますから、どうかお守りだけはして頂きたいのですが…」
「そうですが、それではこの観音様こそ、私をお守りくださる観音様に相違ありませんから、頂きましょう。それから、お金はあなたもお困りでしょうから、とりあえず手元にある500円だけは、今差し上げておきましょう」
その観音様が、今私どもの品川女学校(品川女子学院)の守り本尊としてお祀り申し上げている観音様です。

四、信仰ということ

私は情操教育上、女学校には信仰ということが大切であると考えています。そして観音様を信仰するということが、女学生として最もふさわしいことのように思うので、強いてとは言いませんが、観音信仰に入るように願っています。
近頃では、生徒の大部分が朝夕、学校の二階にある観音堂にお参りするようになりましたが、お陰で全校の気風がますます良くなったように思います。

それから、先年も洋裁室が漏電のため、まさに大火になろうとしましたが、不思議に一坪ばかり焦がしたのみで消し止めることができました。これも一つに観音信仰の利益であろうと信じ、まことに有り難いことだと思います。
道理に合わない、学問的でない、科学的でない、といって、私の話を一笑に付される方があるなら、それも結構です。
しかし私は、信仰というものは絶対的なものであると思い、理屈がましいことは抜きにし、聖天様も観音様も有り難いものであると信じ、ただただ涙を流している次第です。
とにかく、信仰に理屈は必要でないと思います。信じずに居られない、そしてただひたむきに信じていると、ご利益は願わなくとも、いろいろと有り難いこと、もったいないことが終始体験できると思うのです。


管理人註:筆者も前、聖天様を熱心にお祀りしている行者さんの元に仕えていたことがありますが、聖天様の霊験というのは、まさにここに書かれているような現象そのものです。尋ね人などは、願をかけてその帰り道に目の前に探していた当人が現れる、というようなことが珍しくなく、どんなに疑い深い人でも度肝を抜かれるような現象があります。
ここであえて筆者が「ご利益」と言わないのは、本当のご利益とはこのようなことではないと思うからです。毎日安全無事に、人に裏切られたり切羽詰るようなこともなく、それでもたゆまずに信仰を続けられることが一番良いのですが、人間なかなかそうはいきません。

そこで、自分の目を疑うような霊験を目の当たりにして、「神仏は有り難いもので、人間の力などは小さなものだ」ということを見せ付けられるわけですが、理想を言えばそんなことは起こらないほうがいい訳です。この辺は方便というか、信仰の世界の微妙なところですね。
この品川女子学院の校長先生も、もともと縁はあったのでしょうが、聖天信仰というものを経て観音信仰に入られたわけで、いわば権門から本門に入られたとでもいうところでしょうか。

聖天様というのは、もともと荒くれた神だったものが、観音菩薩に折伏されて仏法の守り神になった神で、多くの天部の神様に、似たような経緯があります。最初から崇高な位の高い菩薩ではなく、割りに人間世界に近しいので、人事百般に目に見えるような現象を表すのが得意なのですね。
しかしそれも、この話のように、毎朝4時に起きて真っ先にお参りして読経し、何をするにもまず神様が優先、という生活が当たり前のように出来なければ…非常に難しいことになります。飽きたから、大変だから、といって中途で投げ出すこともできません。
利益のあらたかな神様ほど、お守りするのも大変なものです。

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