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03年11月の

No.1

 
 
11/12(Wed.)   

連日の鬱陶しいお天気で、晴れの特異日のはずの11月3日もお天気はパッとしなかった……。うちでじっくりと本を読んだり整理や考え事をするのに雨もいいものだが、うちは窓やベランダに直接雨がかからないので、雨の日のしっとり感不足。その為か最近は年がら年中泳ぐようになってしまった。

こういう鬱陶しいお天気は、遊びならば出かけるのを躊躇してしまう。それでも杖術の稽古日にあたっていたので、電車に乗って出かけてゆく。どうも最近は足が冷えて体調が思わしくない。今までは動くと冷え性が治っていたのだが、年のせいもあってか厳しい。ちょっと悪条件が重なってるかも。

水泳はもちろん水に入るし、温水プールと言ってもせいぜい30度前後なので、コーチの話が長かったりすると足が冷え気味になる。待ってる間もいっつも手や足を動かしているのはいいが、こないだ遊び半分で水中逆立ちしてたら、ついにコーチにクスッと笑われてしまった…。

武道はもちろん一年中裸足だし、合気道の道場はビニール畳、杖術の道場はヒノキの床なので、これが非常に辛い。ビニール畳のほうは動けば動くほど足先が冷える感じだし、だいいち膝行(しっこう)の座技なんかやると、すぐに膝が擦りむけてしまう。
座り技が審査に多出する茶帯レベルなんて、みんな審査の時は柔道着のズボンの膝を血で染めながらやってたもんだが、最近はみんな足がイタイイタイ、と座技は敬遠気味ですね。
杖の道場のほうは専門の町道場なので、槍や薙刀も思う存分使えるよう、何から何まで道場としてしつらえてあるのだが、それだけに運営も大変。
備品の管理から行事の準備・後片付け、師匠や門人との接触のしかたまで、現代生活ではまず学ぶことのできない多様さ、細やかさ、規律を要求される。
このところ、今までの杉の床があまりにボコボコに荒れ果てて、稽古の足や雑巾がけの手に大きな棘がぶっすり刺さるようになってしまったので、先年ヒノキの床に総張替えとあいなった。
ところが、ヒノキの床は思いのほか固くて冷たいのだ。木の材質によってこんなに違うものだとは思いもよらなかった。杉の板は柔らかくて暖かかった。そのせいで棘だらけのボコボコになってしまったのだが…。ヒノキの床は最初のうちはツルツル滑って踏ん張りがきかず、非常に稽古しずらかった。館長、このヒノキの床を適度な滑りになるよう、サンドペーパーかけたんだよなあ…それも人に頼むとムラが出て思うようにいかないので、一人で五十畳全部…m(_ _)m

杖術の稽古というのは杖vs真剣という前提なので、杖で木刀を思いっきり打ち落したりする。それがうちの道場では尋常じゃなくって、館長(師匠のこと)なんて、技が効き過ぎてしばしば木刀やら杖やらを叩き折ることも…。下手すると割れた木片が飛んで行って周囲の人間を直撃するかも…などという脅しはやめますが(笑)
このような激しい稽古体系のため、杖道(剣道連盟制定型の場合は杖道、古流の時は杖術という)というのは、体育館などの稽古場を探すのがちょっと難しい。床に得物を打ち付けると傷つけてしまうので、遠慮がちに打つのでは稽古にならない。そのため、この道場は館長が自費で無理して専門道場として建てたもので、杖道家垂涎の的の道場である。

道場のできた経緯を聞いても、とにかくお金がないので、取り壊し中の家からみんなで廃材を運んできたり、気合が朝早くから近所迷惑だというので、防音対策として壁の全面を厚手の布で張って、その間にグラスファイバーを入れてある。
それも門人達でやったので、グラスファイバーの細かい破片が体にささってチクチクして眠れなかったとか、いろんな話がある。後輩連中は当たり前のようにそれを利用しているが、一期生の苦労があってこその道場…私の今の通信講座でも、一期生の質と最初のオフ会の成果如何で今後の成り行きが決まるだろうと思っていたが、有難い限りだ。一期生は強いというのは、何の世界でも同じようだ。

ちなみに、この道場では合気道の時間もあるが、合気道道場独特の仕様として、地面の上に古タイヤを並べてその上に畳を敷くやりかたがある。畳でなく木の床を張る場合はその上にマットを敷いて受身を取るわけだが、地面の上のタイヤが適度なクッション性と強度を備えていて、合気道の稽古にちょうど良い。体育館稽古と違って、掃除もモップなんか使わずに昔の小学校式の雑巾がけ。これを最近の若いモンや外国人にやらせると面白い。うまくツーッと雑巾がけができずに、ズ、ズ、ズズズズ…べタッ!(前のめりになって這いつくばってしまう音)となってしまう…(笑)。手作り道場は運営が大変だ。

前は(ほんとに厳しいなー、なんでお金払ってこんな苦労しなくちゃならないんだ?)という気持ちになることもあったが、自分で講座など始めてからは、道場で学んだことの有難さがほんとに実感される。
古流というのはほんとにシステムとしてよくできているし、何よりも自分で講座やオフ会を仕切るとなると、道場で行事慣れしてるのが有難い、と思う。新しいことを考えるのは好きだが管理能力の怪しい私では、とてもじゃないけどオフ会なんて実行できなかったかも。今月はまた新入生を交えた合同オフ会の予定です。

前置きが長くなってしまったが、今日書きたかったのは、武道の技について考えていて、すぐその後に「プロジェクトX」の修復師を見たからだ。
人間、職人でないといけないと思うのは一緒なのだが、モノを作る技術というのは、年を取っても衰えないし、どんどん積み重ねができる。私も洋裁、和裁をやるが、久しぶりに針を持っても別にブランクがあるからといって下手になったりしない。しかし武道の稽古はそうはいかない。ちょっとサボるとなぜこうなんだろう?といっつも思ってしまう。

私は比較的に師匠に恵まれていて、厳しいが良い先生に縁があるのだが、この気違いじみた熱心さ(失礼)も、お互い古流の技に惚れていてこそだ。ところが、稽古しても稽古しても思うようにいかない。
しかし、師匠にほんのちょっとしたヒントを貰ったり、技の理合を説明してもらった時に、目からウロコが落ちるような感動を味わうことがある。それもアタマで分かるだけではなくて、武道の場合は実際に体で体現できるので感動ものだ。
ところが、しばらくすると、落ちたはずのウロコがまたついている。あの時はあんなに分かったような気がしたのに、またおかしくなっている、これは何故だ?と思う。日常生活で体の癖がついてきて崩れるのか、忘れているのか…両方あるだろうし、他の原因もあるのだろうが、稽古ごと、術というのはほんとに奥が深い。あえて道と言わないのは、まだそこまで結論じみたことを言う資格がないから。
なんだか今日、書きたかったことの半分も書けなかったが、こういうことって、無理に言葉で説明して結論づけたりはしないほうがいいのかも。古きを学ぶ=稽古って、言語化してある部分、あえて言語化しない部分の微妙さって、まさに「妙」なものだ。
 
 


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