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リビングのあり方を考える


リビングの基本設計やレイアウトを考えるにあたって、今回は1つ、実例を取り上げてみました。
知り合いのイギリスの三階建てのお宅なのですが、日本とは少し造りが違うところがあります。住宅の基本サイズが違うので、正確な再現とはほど遠く、インテリアも筆者の勝手な創作で、間取りと家具の配置だけの情報から作成したものです。これを見てみると、日本にありがちなリビングのあり方からすると、考えさせられる部分があります。

「リビング」というものが日本人の生活に入ってきてから、どれぐらい経つか知りませんが、どうも日本人はリビングの使い方に戸惑っているような気がします。

一般的にはリビング=居間みたいな受け取り方をされる方が多いと思いますが、そもそも居間とは何なのでしょうか。家族が集まる、一家団欒の部屋?
でも一家団欒たって、何をするのか、具体的なイメージが湧きませんよね。今日、どんなことがあったか、話すのでしょうか?でも食事の時間でもないのに、わざわざその為にリビングに集まりますか?
まず下のお部屋を見て下さい。(画像をクリックすると拡大します)

暖炉のあるリビング リビング続きの子供部屋 テレビ室 リビングとテレビ室の階


暖炉があって(飾りではありません)ソファがあってリビングテーブルがあって…
キッチンとダイニングルームは別の階にあるので、この部屋では食事はしません。
日本人ならこの部屋で何をするでしょうか。本を読むか編み物をするか、子供ならゲームでも?そもそも自分の部屋に直行してしまって寄り付かない?

だいたい、テレビがありませんよね。テレビは隣の部屋にあり、純然たるテレビとオーディオルームになっています。
リビングの続きの部屋が子供部屋になっていますが、日本ならたぶん、この子供部屋のスペースにテレビを置くでしょう。そして隣のテレビ室が子供部屋に当てられることと思います。

このお宅は子供の個室は別の階にあるのですが、見た限り、この部屋の使途は、純然たるリビングルーム兼応接間です。場合によっては子供と一緒に工作や勉強もできるという…

ここらへんの違いに、何となく核家族化の結果と成り行きに戸惑っている日本の問題が、間接的にあぶりだされているような気がすると言ったら、うがち過ぎでしょうか。このお宅も国際結婚ですし、世界の国境が曖昧になりつつある昨今、欧米だ日本だとステロタイプに決め付けるわけにはいきません。しかし、少なくとも日本でこれに近い家族構成と住スペースだと、リビングにテレビがないというケースはレアなのではないかと思います。

もともと、日本には西洋風のリビングルームという概念がありません。近いのは「茶の間」とか「居間」ですが、本来の居間というのは「誰かの居間」であって、個室に近いものです。茶の間もたぶん台所に隣接した食事室という意味合いが強く、リビングルームとは少し違うでしょう。
リビングルームというのは、何でも家族間の話し合いで決めたり、コミュニケーションに重きをおく社会構造から生まれたもので、日本人には馴染みがなくて、使い方に戸惑ってしまうのかもしれません。
またあんまり意見を言わない、自己主張して事を荒立てることを好まず、阿吽の呼吸で暗黙の了解のうちに事を進める日本の体質からは、リビングルームという形は生まれにくいのかもしれません。

筆者は実はそんなに、欧米ではこうだが日本では違うとか、だから日本人は、というふうには思っていません。
男系社会だったり、タテの構造が強く、閉鎖的な場所では陰湿な事件が起きやすいなども、世界中どこの国でも同じだと思っています。
しかし文化の根底にある美意識の問題はあると思います。日本は余白や空間でモノを言う文化が根強いので、あまりペラペラ喋るのをよしとしない風潮もあるでしょう。これも同じ文化背景の中では通用しても、「嘘も百回言えば真実になる」などという力技がまかり通る世界では全く通用しません。
国境が曖昧になり、地球が縮んだかのように否応なく時空が短縮し始めている世界では、言うべきことはきちんと言うようにしなければならないでしょう。

国会の質疑を見ていても、予定調和が多かったり、単に反対の為の反対しか言わなかったり、まともな野党と言えるものが無い現状を見ても、ディスカッションの下手さは明らかです。これは必ずしも悪いことばかりでは無いと思いますし、筆者個人も口を動さずに手を動かす人のほうがずっと好きです。
しかし、肝心なことはきちんとポイントを押さえて、はっきりと言えることも大切です。また、はっきり言うにしても、いつでもどこでも言えば良いわけではなく、他人との調整能力を身につけているか否かでは、結果の出方は全然違うと思います。

これは一般家庭レベルでも考えるべきことで、まず夫婦や親子の間で意思の疎通がうまくないと、そういう能力はなかなか育ちません。その一因は、家の中心にテレビがあり、四六時中テレビが勝手に喋っている、これも大きな要因ではないかと危惧しています。
たぶん欧米でも、リビングにテレビを設置してある家は多いのではないかと思いますが、日本の場合にはまず99%以上と言っていいぐらい、リビングにはテレビがあります。

リビングイコールテレビ室と同義語ではない筈です。テレビが主役になってしまい、テレビがないと間が持てない、何をしていいか分からない、というお宅は、そうなってしまっているからこそ、いったんテレビを消すべきです。テレビというツールは、ニュースの時間と映画やドラマやドキュメンタリーを見る為のモニターという用途で十分で、家の中で話題のけん引役になるのは間違っています。
テレビ機能も発達してきている昨今、緊急ニュース時には自動的に電源が入って録画するなど、そういう方向に発展すれば良いのですが、今のように下らないヒナ段番組を垂れ流していると、人間が劣化してしまうのではないか、と心配になってきてしまいます。テレビを見ないと話題についていけなくて不安だ、という方は、いつまで経っても人の後ろに追従していくだけの器なので、そこで話はストップです。

そうではなく、自分なりの個性を発揮したり何かを成し遂げたい方は、まず無制限に何となくテレビをつけておく習慣を見直し、決まった時間だけ、目的を持って集中して見るようにしましょう。四六時中テレビがついている、テレビがないと話題に困る、という生活から離れてみると、また違ってくるかもしれません。

日本の住宅も、高度成長期に生まれた団地の暮らし、その次の段階でしばしば見かけるようになった対面式キッチン、人が尋ねて来た時に案内しやすいダイニングキッチンなど、暮らしのスタイルに応じて部屋の間取りも変わってきました。今後、いろんなリビングを取り上げてゆきますが、リビングの使い方は家族関係にもつながる、日本人の1つの試金石かもしれません。


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