観相術入門:目次

〜相法極意修身録〜その5


築山・泉水のある家は衰運に向かう

運よろしくして家盛んなる相あるとも、築山泉水ある家は必ず盛んなりというべからず、これより衰うといえども盛んなることあたわず。
それ山海を己が家に取り寄せ楽しむことは、みな高位高禄のなすところなり。然るを賤にして高位高官の楽しみをなすは、みな驕りにして己が頂上なり、故にこれより出世発達なし。たとえ富家といえども家盛んなることあたわず。
然れども先祖の徳篤くして家運大いによろしければ、家は衰えずといえども、決して盛んなることあたわず。この類は世に多くあり、必ず富家は病人たえざることあり。
出世発達の相見えるとも、庭前に花壇等を築き、これを楽しむ人は生涯発達なし。これみな高位高官の楽しむところなり。もし庭広ければ青物など食物の類を作ること、これを以って天地の徳を積むという。



家相に関係のある部分なので取り上げましたが、世間にはかなりの勘違いがあるようです。よく錦鯉の泳ぐ池を作りたいとか、花壇にいっぱいに花をつくるのが夢だという方もありますが、なぜかそういう家はあまり安泰ではないケースが多いようです。
特に錦鯉の泳ぐ池は問題で、水ですから水質の状態とか方位によって激しい現象を受けやすいものです。

風水が流行り出したころ、自宅に清水の湧く環境があると吉相なので、何とかして築山泉水を作りたいという希望を持っている方がありました。築山泉水は無理なので、部屋の東側に金魚鉢を置くといいのだろうか、という話も頻繁にありました。最近ではこういう勘違いは減ってきてはいるようですが、まだまだそういう考えが、どこかに根強くあるようです。

ここに書いてあることは、簡単に言うと実力以上に見栄えを気にしたり背伸びをすると、家運が衰えるよ、ということです。
花作りなどは時代背景などもあり、まだまだ貧しかった江戸時代に、少しばかり余裕ができたからと言って花壇に花を作るのは、そのぶん本来の家業に差し障りが出てしまうということです。趣味を持つのは良いことではありますが、程度問題ではないでしょうか。

特に自宅に築山泉水を作るというのは、大自然を自分の家に再現して楽しむということで、一種の驕りだとも書いてあります。
一方で、野菜などの食物を、まるで花を作るかのように慈しんで育てると家が栄える、とも書いてあります。なるほど、とても合理的です。

筆者も花そのものは好きですが、あれはかなりの無駄でもあり、花の種類によってはどうも性にあわないものもあり、花束などは好んでは買いません。
確かにお花は綺麗なのは確かですが、切り花にも花壇にも大きな問題があります。あくまでも個人的な感覚なのですが、花が良いものだというのは、咲きほころび始めた蕾から、満開一歩手前のものに限られます。
満開以降の萎れ始めた花は大嫌いで、たまに花束を買っても、萎れ始めて気持ちが悪くなる前にさっさと捨ててしまいます。そうすると、そのままかなりの量のゴミになるので、花っていったい何だろう?といつも思ってしまいます。それと、花の種類じたいにけっこう好き嫌いがあって、花なら何でもいいのか?という問題もあります。

せっかく買ったのだから、と、萎れて汚くなっても頑張ってなかなか捨てない人もありますが、それでは花の本来の役割とは違っているのではないでしょうか。
花屋さんががっかりしそうな言い分ですが、どっちにしても花作りは趣味の範囲でしかなく、誰かが綺麗ねえ、と誉めても、その花を生理的に嫌いな人もありますし、あくまでも個人の趣味の範囲にとどめておくべきでしょう。
そして、そういう趣味を楽しむのは高位高官に限られ、庶民が背伸びすると運を落としますよ、ということです。
これは別項の「身分の低い者が身分の高い者と親しくすると」とも関連する問題です。


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