観相術入門:目次

立ち居振る舞い(座・臥)


座形について

一、座形はゆったりと、泰然として軍中に一陣を構えたようなものを、座相がよく備わっているという。また心が清らかで素直な者は坐る姿勢も自然に正しくなるものである。故に座相によって心の清濁や身分の定まり具合を見ることができるのである。また気力の強弱を知ることができる。

一、身体が豊かで畳から生えているが如くに坐る者は心が豊かで相応の福運に恵まれる。また自然に人から用いられるようになる。これを「生地の陣を立てる」という。

一、身体が不安定で畳に落着かないように坐る者は、心が落着かずまた家についての苦労があるであろう。これを「死地の陣を立てる」という。覚えておくがよい。

一、その身体が不安定で死地の陣を立てる場合でも、心が素直でよく働く者は、必ず福運に恵まれるであろう。

一、身体がよく安定して生地の陣を立てる場合でも、心が落着かず自分の生業に熱心でない者は、死地の陣より劣る。論ずるに足りない大悪相である。

一、下人は貴人に向うと必ず膝をすぼめるが、これは一陣を密めるようなものである。故に、坐った時に常に膝をすぼめるのは必ず自分が従うべき目上を持つ人である。礼法を学ぶ人の場合は別に考える。

一、自分より目下に対する時は恐れる気持はないから、いきおい膝を広げる。これは一陣を強く立てるようなものである。故に坐った時に膝を広げる者は人の下につくことがない。

一、坐った時に足を重ね身体が浮いたようになるのは家が定まらず心落着かず、一陣の備えが整わないようなものである。したがってこの人は必ず下相である。

一、坐った時に尻がよく落着き、身体がみだりに動かない者は心が豊かで家もおのずから安定する。また長時間坐って苦しむ人は心に悪意はないが家をしっかりと治める意志に欠ける。

一、豊かに坐って身体がよく安定していても萎れたように見える者は、これは一陣の衰えたようなものであるから、身代も傾き家を乱す。また当時大きな辛労に見舞われるであろう。これはまた孤独の者にあらわれる相である。さらに詳しくは自分で考えてみなさい。


座り方についてですが、これも歩き方と同様、ある程度は時と場合に応じて、身分による決まりが決まっていますので、単に座り方というよりは、座っている時の感じ、安定感のようなことが主体になります。
実際の社会生活の上に置いて、膝が閉じているか開いているか、というような話は、上記の南北相法本文に書いてある通り、身分と礼法が優先する話なので、これは日常の生活習慣の話です。

江戸時代と現代では、座法、つまり正座に対する耐性や礼法の有無はかなり違うと思いますが、他家を訪問して、ほんの少し、和室でお茶をいただく程度と仮定します。あるいは、座卓で食事される人ならば、来客があって一緒に食卓を囲む程度、としましょう。

特に座禅を組んだり我慢比べをするわけでもない時に、妙に体が浮いたようになったり、何となく落ち着きなく見えるのは、持久力が落ちて、運気も下降線を辿っている、ということでしょうか。

ここで面白いのは、「生地の陣を立てる」「死地の陣を立てる」という言葉です。「死地に赴く」というのは聞きますが、生地の陣vs死地の陣というのは、なかなか面白い区別です。
前後関係から判断して、生地の陣というのは、運気が良く、周囲の状況が自分にプラスに働くことで、そのような状態に自分の体勢を持ってゆく(陣を立てる)ということで、死地の陣というのはその反対のようです。

更に更に、やはり南北相法は一筋縄ではいかない深さだな、と思うのは、その次の二項目です。

不安定な死地の陣にあっても、心が素直でその時の自分の生業に誠実に尽くす者は、必ず福運に恵まれる。

生地の陣にあっても、心が落ち着かず自分の生業に熱心でない者は、死地の陣にも劣る。

これは、つけたしのようでいて、物凄く深く大切なことだと思います。恵まれない境遇にあっても、その時与えられている自分の勤めに誠実に当たれば、必ず幸運がやってくる。その反対に、それなりにちゃんとした環境にあっても、心が不平不満で一杯で隣の芝生ばかり見ていると、結局は良くないものになってしまう。

当たり前のようでなかなか実行の難しいことだと思いますが、転職を希望される方には、なかなか含蓄のある一文だと思います。これを簡単に言うと、徳があるかないか、という解釈も出来ると思いますが、要するに現実的なことに右往左往して心が伴っていないと、現在の恵まれた環境も危ういものになる、ということなのでしょう。

その人の生き方は背中に現れる、子は親の背中を見て育つ、などと言いますが、立っていても座っていても、その人の影、輪郭に、フッとその時の心境が浮かび上がる場合があります。経験がおありかも知れませんが、ある時、電車のホームで一人立っている知人の後姿に、思いがけずその人の心境が、いやその時置かれている状況までも浮かび上がっているのを見た経験はないでしょうか。

誰しも知らず知らずのうちに、そういう感触は掴み取っていると思いますが、余りに忙しくなった現代、かえってそんな些細で大事なサインをキャッチする能力が衰えてきている気がします。
観相学とは、顔かたちや手相の線がどうなっている、ということを覚えるばかりでなく、そういう感性を磨くことが一番大切です。


寝相について

一、寝相は心の正直さや気力の強弱をあらわす。

一、寝入った時笑顔に見える者は心に悪意がない。また出世の運に一度は恵まれる相である。

一、寝入った時哀れに見えるのは根気弱く短命の相である。寝入った時淋しく見える者も同様である。

一、寝入った時その姿に陽気のたちこめる者は当時好運であり心に気力がこもっているのである。

一、寝入った時、のり出すようになる者は出世する。またもぐるようになる者はあまり出世しない。

一、寝入った時憂い顔に見える者はあまり出世の見込みなく苦労が多いであろう。

一、ちぢこまって寝入る者は根気も弱く身体も弱い。

一、のびのびと寝入る者は身体が丈夫で心が穏やかである。

一、横に寝て頭を俯ける者はおのずから気力がこもり、したがって根気強く身体も丈夫で運勢が強い。

一、寝入った時仰向く者は自然に気力がもれるので、根気が続かず肝気が強い。

一、ロを閉じて寝入る者はおのずから気力を保ち根気強く、分相応の福運に恵まれる。

一、口を開いて寝る者も気力がもれるが、これはその気力そのものの吉凶によって考える。

一、寝入った時常に姿が悪い者でも気力のこもる時は寝相そのものに勢いがある。気力が衰える時に姿が悪くなるのである。よく考えてみるがよい。


こればっかりは、自分の眠っている時の姿は見えないので困りますが、家族の寝姿を観察するのに好材料になります。
また個人的にも、幾つか疑問が解けたことがあります。筆者は布団の上で仰向いて眠ることが出来ないので、これはあまり良くないのかと思っていましたが、仰向いて寝るのは気力が漏れるので良くないと書いてあります。
また、その時の生活状況や体質の変化も関係するのか、たびたび寝相が変わってきたので、どう解釈して良いのかと思っていましたが、ある意味で、眠っている時は自分の本音が出るということなのでしょう。
子供の頃はよく布団の中にもぐり、もぐっちゃダメと親に言われていましたし、大人になってもけっこう、横向きにエビのように丸まって寝る癖がついていましたが、かなり自分を殺していたのだと思います。

口を開けて寝るとか閉じて寝るというのは、鼻や咽喉の疾患などの関係もありますので、その病気が軽快すれば改善すると思いますが、この文章の中で特に面白いな、と思うのは、気力がこもるとか、気力がもれる、という言葉です。

眠るんだからリラックスしてダラッとすればいいだろう、と思いがちですが、実際は眠るというのは、かなりな集中力を要する作業、だと思います。
疲れたからよく眠れる、と言いますが、これは疲れるほど仕事が出来るということで、健康で集中力があるということです。従って、眠る時にも集中して眠れる、ということだと思います。
集中力が落ちてくると、昼間も大した仕事も出来ないし、夜もぐっすり眠ることが出来ません。働かなかったから眠れないのではなく、集中力が落ちたから眠れないのです。体力が落ちたから眠る、というのは少し語弊があり、ぐっすり眠るには体力が必要なので、むしろ体力を鍛えたほうが眠れる、と言うのが正解です。

寝顔、寝姿には、その時の置かれた状況や、運気のアップダウン、悩み、失望、希望、充足感などが、言葉よりも雄弁に現れるものなのでしょう。「今日はどうだったの?」「ちゃんとやってる?」と言葉で辻褄あわせを強要するよりも、観相学を学んで、そっと寝顔を覗いて心の奥底を察してあげたほうが、幸福ごっこをするよりもよほど有益ではないでしょうか。

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