風水巷談:目次

あなたは、神様を信じますか?

その1・汎神論って何だろう

いきなりですが、この問いは、当サイトで護符や御守をけっこう出しているので、割と直接的に関わりのあるテーマです。

皆さん、割としっかりした方であっても、例えばどこかの神棚とか仏像などを片づけろ、と言われたらビビる方が多いですよね。
「そんなの信じてない」なんて言いながら、リスクを負いたくないのかな?なんて思いますが、そればっかりではないような気がします。
筆者はみんな、神様とか仏様とか、超常現象とか、そんなものは信じない、と言いながら、よく分からないので、本当にあった場合、バチが当たったりしたら怖い、なんて気持ちがどこかにあるのではないか、と睨んでいます。


 

最近、アインシュタインが神様を信じていたかどうか?という話を読んでいました。一般的には、彼は無神論者だったとか、キリスト教やユダヤ教の神様は信じていなかった、という解釈が多いようです。

筆者だって、キリスト教やイスラム教が基本的に土葬なのは、体が無かったら、復活の日が来た時に復活できないじゃないか、という話を聞いて、大笑いしてしまいました。
「え?ゾンビになって復活するの?」って、つい言いたくなっちゃいます。考えるだにおぞましいし、なんだか、こういう人達と真面目に付き合えるのか?なんて思ってしまいます。

しかし、聖書に出てくるような、形のある神様の存在を信じていなかったというだけで、「無神論者」という枠組みに当てはめてしまうのは、違うと思います。

アインシュタインは自分では、「無神論ではなく、汎神論に近い」と言っていたそうです。汎神論とは、自然界や人間界の法則そのものに、神性が内在する、という、いわば哲学的な立場のことなのだそうです。
「我こそが唯一絶対の神じゃー、他の神などは存在しないから、我以外を拝むでないぞー」というのとは、違うわけですね。

この、自然界や宇宙の法則の中に、神性が存在する、という考え方は、アニミズムとか偶像崇拝とは、また違います。
でも、自然界でも人間界でも、いろんなものを大切に扱ったり敬い育てれば、そこに神性が宿る、それゆえに立ち居振る舞いに気をつけて、きちんとしたことをしよう、誰も見てないと思っても、お天道様が見ているからね、という感覚を持つ日本人には、よく馴染むのではないでしょうか。

だから、落とした財布が戻ってきたりして、外国人がびっくりするわけです。

まだまだ、話の本題はこれからなのですが、今は絶対唯一神ではない方の、自分自身の内外に仏性が存在する、というほうが、私達日本人には馴染みが良い、という話です。
仏教にも多種の流派があり、仏性があるとかないとか、他力本願なのか地力本願なのか、聖道仏教か浄土仏教かなど、つきつめると矛盾が生じて頭が痛くなりそうな問題が沢山あります。

大乗仏教のカナメである法華経の中でも、更に一番有名な部分、「如来寿量品第十六」にも、何となく、今の話に通ずることが説かれています。

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仏は涅槃して、皆の前から姿を消したように見えるけれど、本当はそこここに居るんだよ。そして、いつも皆を見守り、いろんな教えを説いたり、いざという時には、助けてあげてるんだ。

でも、初めからそんなことを言ったら、みんな安心して怠けてしまう。だから、方便を使って、居なくなったように、見せかけてるだけなんだ。

心が穏やかで素直な人々には、私の姿がちゃんと見えるし、正しい方向を指し示しているのも見える。そして、私の存在を疑うこともない。

だけど、自我や欲で心が曇り、真実が見えなくなった者には、私の姿は見えないし、縁が出来ないのだ。
常に私の姿が見える場所にいるのに、居ないのと同じことだ。私はいつも、こういう人々を導く機会を待っているんだよ。

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こんな感じですが、これって、見ようによっては、汎神論に通じそうな部分も感じられます。
昔は大手デパートや大企業の屋上なんかに、必ず稲荷神社とか弁天社なんかがあったものです。これはあんまり合理的経営とも思えないのですが、日本人の体の奥底には、やっぱり神仏が根付いて、鎮座ましましているのでしょう。
意外なお宅に、神棚がちゃんとあったりするのを見ると、なんだかホッとしてしまいますが、祀るならば中途半端にせずに、きちんとしたいものです。

「2024年6月記」

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