風水巷談:目次

あなたは、神様を信じますか?

~その3・霊能者の底が見えた話~


続けて、このお札のお使いを、私に頼んだオジサンの話。
この人、一時はマスコミで鳴らした霊能者なんです。
世間を賑わした、いろんな大事件の捜査に霊能力でもって協力したこともありますし、けっこうな著名人です。
いろんな本も出版しており、その編集作業を私がしている為、このオジサンの内情はよく存じ上げています。

この人、霊能もある代わりに、すごい我が儘で癇癪持ちなんですね。霊能者にこのタイプの人は多いです。多いというよりも、大多数ではないか、と思っています。
普通の秘書や事務員だと、まずこの人の元では務まりません。なぜか私だけが長居して、結局は18年も居座りました。

何故って、私は女手一つで子供を育てなければならなかったので、仕事さえちゃんとやれば、あんまり堅苦しいことは言わない、給料はちゃんとくれるし時間の融通も利く、という職場で我慢するしかなかったんですね。

社内はもう、いろんな意味でメチャクチャなので、身分の保証とか将来性を問題にする男性だったら、こんなところに我慢して、居つくわけがありません。
そんな理不尽さを、飲まざるを得ないのは、子持ちの母子家庭女のみ、という訳です。

この霊能オジサンが、ある時、とっておきの癇癪を起しました。いっつも無茶苦茶なことばっかりやってるので、原因なんて完全に忘れましたが、今回は三日ほど続けて、しつこく怒っては、奥さんや私に当たり散らしています。
パワハラなんて、そんな生易しいもんじゃないですよ。この時期は、そんな言葉も法律も聞いたことなかったし、自分に降りかかった火の粉は自分で払うだけです。

しかし、今回は特に癇癪がひどくて、全く関係の無い私にまで、火の粉が降りかかってきたので、いつもポーカーフェイスで通す私も、さすがにムカついていました。

でも、私自身には特に関係が無いことだったので、部屋に入って来た時に、普通に挨拶して仕事の打ち合わせをします。
オジサンもまだ、癇癪虫に蝕まれているのですが、さすがに普通に仕事をしています。



 

しかし私は流石に、とばっちりを食らって面白くなかったので、オジサンが部屋に入って来た時に、背中からジロリと睨みつけてやりました。

そしたら、向こうを向いて落ち着いていた筈のオジサンが、パッと私のほうを振り向いて、鬼のような形相で、食ってかかってきそうになりました。

私はオジサンが振り向いた瞬間に、顔からサッと怒った表情を消し、素知らぬ顔に戻りましたが、内心では「やばい…やっぱり感覚は鋭敏だなあ」と思いつつ、言動に注意しようと、気を引き締めました。
向こうは「あれ?違ったかな?今のは何だったんだ」という不審顔で、また向こうを向きました。

私はなんだか可笑しくなってしまい、数時間後、夕方の落ち着いている時間に、再度、挑戦してみました。
オジサンの背中から軽く、ギロリ…と睨みつけてやります。

すると、もの凄い素早さで、オジサンがこっちを振り向きます。今にも猛獣のように飛び掛かってきそうな気配で、何か怒号が飛んできそうです。

しかし私は、この反応は予期していたので、タッチの差で、サッと元の、のんびりした表情に戻ります。


 

それで分かりました。
この人、人の表情とか気配は敏感に読めるけど、本当の腹の底は読めないんですね。だって私が作った恨みがましい視線はニセモノで、私は全く、怒ってないんですから。
怒った(振りの)気配に反応しているだけで、本当に相手が怒ってるかどうかは、分からないのね。
それとも、霊能者って言っても、境地を落としたらだんだん、見えるものが浅くなるんでしょうか?

でもこの人、凄い時は凄いんです。先祖関係とか、守護神とか、相手がびっくりする事が多々あります。
でも…ですね、何故かこの人いつも、私の事だけは読めないようなんです。私は見える範囲外なんですかね?
当人は「Uさんは観音変化だから、本地が遥か彼方にあって、俺には読めない」と言っていましたけど。

私はこんな癇癪騒ぎには関心無いので、自分の仕事の邪魔をされなければいいだけなんです。
なんて事を考えながら、マイペースの生活に戻るのでした。
私って、いったい何やってるんでしょうね(笑)。

筆者が独立して、皆さんにコンテンツをお届けするようになるよりも、遥か昔の話です。
こういう体験をいろいろして、危ない橋も沢山渡ってきましたが、いろんな世界でいろんな体験をしてくると、人間の知識では説明できないことって、まだまだ沢山あるのを実感します。


その易を出させるのは何者か?

でも、この事件では、超能力者の底が見えてしまった、というだけの話です。
私は何故か、このオジサンの所に来る前から、縁あって祈祷修法の世界に身を置いていたので、祈祷に使う、門外不出の手法を沢山知っています。
それで、このオジサンのところでも、いろんな御守を作成したりしますが、やっぱりこれらの人種は、一般人とは違う、何者かではあります。こういう人種が入魂した御札や御守は、どんな力を持っているのでしょうか?

タロットに関しては、対談の「易とタロット」をご一読いただければ、人智では測れない側面があることが、想像できるでしょう。
タロットにそういう面があるのなら、易だって他のものだって、もっといろんな、見えない力が働いている筈です。

易は、読みとく力が必要だと言いますが、筆者が今、一番問題にしているのは、そもそも、何故その卦が出るのか?ということです。
読み解くったって、都合の良い部分だけ引っ張ってこじつけたら、どんな解釈だって出来るじゃないですか。

解釈以前に、易にはいちおう、良い卦とか困難な卦とか、基本的な傾向があるので、何故それが出るのか?ということです。

解釈の仕方、ストーリーテリング能力も大切ですが、どんな卦が出るかは、解釈と同じか、それ以上に大切ではないでしょうか?

霊能オジサンの事務所に居た頃、よく出入りしていた、ルポライターの方がありました。
当たりはとてもソフトで知的な方なのですが、全共闘崩れの行動派で、決めたテーマを執拗に追いかける様は、他の追随を許さないものがありました。

この方は、大本教がライフワークで、著書も出版されていますが、ある時、易の話をしていたら、こんなことを言われました。

「易って、その卦を出させる、何か見えない力が働いているんですよね。その卦を出させる《モノ》がいるんですよ。」

今になって、この言葉の意味を、あれこれ考えてしまいます。
この意見は、何か適当な卦が出て、易者がそれを材料に、状況と睨み合わせつつうまくストーリーを作れたらよく当たった、という訳では無いように思います。

易を立てる方からは、このライターの方のような意見は、聞いたことがありません。
無念無想で心身統一してから易を立てる、というのは、よく聞きますが、何か目に見えない、自分以外の力が働いて何かの卦が出る、という意見は、今の時点では寡聞にして聞きません。
それとも、不思議なことは多々あるのだが、あえて他人にそういうことは言わない、ということなのでしょうか。

一時期、ノンフィクションが盛んだった時代に、新興宗教被害の追っかけルポをものするライターがけっこういました。

その人達が口を揃えて言うのは、「宗教の世界にどっぷり入って追っかけ取材をしていると、眼に見えない不思議な力が働いていることを、確実に感じる」ということです。

筆者は新興宗教の世界は知りませんが、最近、少し集中して易を立てるようになると、不思議なことがしばしば起こります。「易とはストーリーテリングだ」という世界とは、全く異なる現象です。
それに加えて、若い頃の、あの息子が持ってきたタロットカードの事を思い出し、眼に見える世界だけで、一見、合理的に見える解釈をして片づけるのは、無理があるな…と改めて考えているところです。
霊能オジサンに関するやや滑稽なエピソードと、タロットや易に人智の及ばない力が働いている、という話は、矛盾している気もしますが、私にはどっちも否定することが出来ません。

今は、ある問題について、手を変え品を変え、日を変えて執拗に尋ねています。
同じ問いを何度も立てるものではないのですが、角度を変え、日を変えて問う時はあります。

すると何故か、その問いに関してだけは、毎回、似たような卦が出るのです。
「もうそれはいい、分かったから、それでいいんだよ。」みたいな感じで…。

この問いに関しては、現実的な結果が何年か経たないと分からないので、今の時点では何とも言えませんが、易神様の仰る通りなのだろう、と思います。
今後も、修行に励むばかりですね。

「2024年6月記」


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