巷談:目次

合衆国同時多発テロの波紋・1



マンハッタンの一週間


投稿・月子(当サイト通信講座メンバー)
田島月子さんのプロフィール



9月11日火曜

NY時間朝9時40分ごろのことです。まだ眠っていた私は、突然、電話のベルの音で起こされました。電話は珍しく日本の友達からでした。
「今、ニューヨークが大変なことになってるから、早くTV見て!」
急いでTVをつけてみると、全てのチャンネルがWTCの生中継になっています。
実のところ、私の感覚では「はぁ???」と言う感じで「WTCが燃えてる??!!」とは思っても「あのビルが???え?どのビル??」

頭の中で、このTVに映っている映像と、私の中で知っているWTCはなかなか一致しませんでした。
でもふと考えると・・・そういえば寝ていたとき「どぉーん」と言う音がして、ものすごく嫌ーな感じがしたのを覚えています。
ですが、私が住んでいるビルは、とにかく建物事体が古く、隣の大通りでトラックが通っても揺れるので、あまり気にしてはいませんでした。
日本からの電話を切った後、まず日本の母に連絡しましたが、その後、海外への電話は全く通じなくなりました。そしてみんなに連絡しなくては!と思い、がんがん友達に電話し始めました。

私はニュヨーク・マンハッタン在住のジャズシンガーです。友達もほとんどがミュージシャンなので、この時間はみんなまだ寝ていました。この時は私も自分の中で「この速報をみんなに伝えなくちゃ」という感覚の方が先で「これは戦争だ」とは思っても、実際にこのテロ事件の為に起こり得る悲しみはまだ把握できませんでした。
どちらかと言うと「あのビルが・・・・」という驚きの方が大きかったのです。
そしてしばらくして、燃えているビルをテレビで見ながら、知人がここで働いてるのを急に思い出した時には、パニックになってしまいました。
まさかビルが倒れるなんて思ってもいなかったので、思わずその知人のオフィスに電話してしまうという、辻褄の合わないことをしてしまったぐらいです。その知人のオフィスは、ビルの中でもかなり上の階でした。その時にはもう「絶対、死んじゃった」としか思えなかったのに、まだ悲しいと言う実感は沸いてきませんでした。

電話した友達の一人からは、窓を閉め、戸締りを厳重にするように注意されました。警察が全てWTCに集まっているので、強盗などに気をつけなくちゃいけない、と言う事です。
一通り電話をし終わると、また1本の電話が鳴りました。
「今、(マンハッタンの)学校に居る。もう学校も授業やらないから帰りたいんだけど、電車もストップしたし、橋も閉鎖で歩いて帰ることもできないから、あなたのうちに行ってもいい?」ということです。
私も実のところ、どこかに避難したい気分だったのですが、とりあえず電車が動くまでは、ここに友達と居ることにしました。

二つ目のビルが倒れたあと非常階段に出てみると、大きな灰色の雲がどんどんこっちに近づいて来るのが見えました。その時になって初めて、事の重大さが実感となり、体が震えあがってしまったのです。
通りには白い粉をかぶった人たちが、ぞろぞろと北へ向かって歩いてくるのが見えました。それはもう、本当に異様な光景でした。
それから1時間後、友達がうちに来て、とにかくTVを見るしかなかったのですが、どういう訳か、TVでは詳しい報道を何も見つけることは出来ませんでした。
そこで、インターネットの速報と、日本でTVを見ている友達が情報をメールで送ってくれるのに頼り、1日じゅう、TVとPCに釘付けでした。


5アベニュー、11ストリートの角で

その日の夕方ぐらいにやっと、日本人の行方不明の方のリストが出ました。その中にはWTCで働いている私の知人の名前はありません。そこで、その方の自宅の留守電に、連絡を待ってますと残すことにしました。

夕方6時ごろ外に出ると、街が全く変わっていました。ほとんどの店は閉まっていたのですが、何よりも一般の車は1台もなく、人も数人しか出ていません。全ての交差点には陸軍の兵士が何人かずつか立っていて、緊張した空気が感じられました。街は本当に、ゴーストタウンのようにになっていました。

夜8時ぐらいになると、14ストリートから北側は地下鉄が動き始めたので、うちに来ていた友達はやっと帰ることができました。でも、私もここに一人ではいたくなかったので、PCを持ってすぐ別の友達のところに行きました。
実のところ、私が住んでいるイーストビレッジのこの一画は、バングラディシュの人達が密集していて、宗教的に言えばモスリム、もしくはヒンズーの通りだったので、暴動でも起きるのではと怖くて仕方がなかったのです。

この日、ブッシュ大統領はTVで「私たちはアメリカの国旗を個人個人掲げるべきだ」と言っていました。
そして夜遅くに、私が探していたWTCで働いていた知人から、大丈夫だったと、とりあえずの連絡がありました。



9月12日水曜

私は仕事があったので、ミッドタウンまで行きました。
14ストリートを境に、街は全く違う世界でした。
私の住んでいる場所は6ストリートで、14ストリートよりも南にあり、閉鎖になっている地区だったので特に緊張感が漂っていたのですが、ミッドタウンの方に行くと、街はある程度普通に動いていました。ただ、人々の緊張した顔はやはり普通ではなかったのですが・・・・・・。
帰りの地下鉄に乗ると、やはり自分を含め、飛行機だけじゃなくこの地下鉄だって何がおこるかわからない・・・・という不安な気持ちが充満していました。
街が混乱しているとは言え、地下鉄もどこまで走るのか、TVでも報道がまったく不十分だったので、地下鉄の中でも「この電車はどこまで行くんだ?」と聞きあう人がたくさんいました。

私の隣に乗り合わせた男性も、青い顔をして「俺はWTCのすぐ近くに住んでいて、自分の部屋に入れない。どうなっているのか心配なんだ」と私に話し掛けてきました。私はなんと言っていいのか分かりません。地下鉄を降りると、その人は南の方へ走って行ってしまいました。

TVでは、もちろんこの日もテロの報道ばかりだったのですが、討論会のようなものもありました。「パールハーバーの時、私たちアメリカ人は全てのアメリカンジャパーニーズを恨み、日本人の血の通う全てのアメリカ人すらも捕まえて捕虜にした。こんな間違いはあってはならない」と言っていました。
しかし、昨日の時点で、すでにどのTV番組でも「まるでパールハーバーのようだ」という意見が散々言われています。私たち日本人は、すでにこの無神経さに悲しい思いをしているのですが・・・・。

夜、11ストリートの5avと6avの間に行きました。この通りにはまずニュースクールがあり、そこは犠牲者の方々の集まれる場所がありました。そしてその先同じストリートの7avの角に病院がありました。
この日、行方不明の方を探すポスターを何枚か貼ってあるのをみて、きっとどこかの病院にこの人たちはいるはずだ、そうであって欲しいと思いました。

それからもう一つ、この日も日本から2週間だけ(9月2日から)来ていた友達を探しました。確かWTCの近くに泊まっているのを思い出したのです。


9月13日木曜

5アベニュー・12ストリート。やっと車も動き出した

ボランティア団体のオフィスが34ストリートの西側にあると聞き、友達とハドソンリバー沿いを歩いてそこへ行きました。他の州から応援に来た警察やレスキューの方々に声援を送る一般市民がたくさんいました。ボランティアのオフィスのある場所まで行くと、そこはもう長蛇の列です。結局、私達に出来ることはもう何もないらしく、私たちは仕事も見つけられないまま、歩いて帰るしかありませんでした。
でも、もしかしたら、まだWTCの近くに助けを虫の息で待っている人がいたのかもしれませんが、その時点で私達に出来ることは何もありませんでした。その時は、じっとしているしかなかったのです。

この日、行方不明の方を探すポスターは、昨日見たぶんの10倍近くになっていました。病院の壁、ピザ屋、花屋、ポストにも電話BOXにも、いたるところにポスターが貼ってありました。
夜、街を歩いていると、アメリカの国旗を持って歩いている黒人の女性がいました。それを見た人たちは「それはどこで買ったんだ、そうだそうだ、俺たちも旗を持つべきだ」と言っていました。
でも私には、この結束めいた光景は、なんだか違うと思いました。もちろん、みんなが真剣に受け止めていると言う事に変わりはないのですが・・・・。


9月14日金曜

行方不明の方のポスターはさらに急増して、花やローソクがたくさん飾られていました。沢山の方が立ち止まってそのポスターを見ているのですが、日を追うにつれて、それが尋ね人のポスターでなく、亡くなった方々のポスターに変わってゆくのがわかり、本当に辛い思いでいっぱいでした。

この日の夕方、近所の警察署を尋ねました。警察官をしている友達がダウンタウンで働いていたので、とても心配だったのです。警察署の警備もかなり厳しくなっていて、警察署のある通りには入るのも難しい状態でしたので、事情を説明して、やっとこの日、尋ねることが出来ました。しかしその警察官の方は既にそこの部署を離れていて、別の警察署を教えて貰っただけでした。

この日の午後、国家を演奏して行進する15人、16人の黒人の若者達を見ました。「今こそ私たちは結束し、この国を守る」と言う意味だったのでしょうが、私には何か、「目には目を、歯に歯を」というムードが出かかっているような気がしただけでした。


9月15日土曜

今夜の仕事は自宅よりもっと南の方だったので、「こんな時に!」と誰かに叱られるのではないかと、少しびくびくものでした。
この日はすでに、地下鉄もバスもチャイナタウンぐらいまで動いていたので、街はだいぶ明るくなっており、とりあえずこの日の仕事は何事もなく終ったのですが、店に来たお客さんはいつもの3分の1程でした。

この日、急いでNYを離れた友達から「今、日本についた」と連絡がありました。その子は日本からNYに留学していたのですが、荷物は部屋に置いたまま急いで避難したので結局取りにいけず、手ぶらで日本に帰ったそうです。

そしてその夜、WTCにいた知人と、初めてテロ後に話が出来ました。
確かに82階のオフィスで働いていたそうですが、つい先週、40階にオフィスが移ったばっかりだったそうです。
「本当に運が良かったね」と言う私にこの知人、「でも、ぼく、風水信じてないよ」って言っていましたが。そしてもう一人、WTCで働いてた別の知り合いの女性も、たまたまその日はお休みで自宅に居て助かったそうです。運命とは本当に・・・・・・。不思議な思いで一杯です。


9月16日日曜

この日の午後、ランチタイムの仕事が終り、先日教えて頂いた別の警察署をたずねました。そこは、ローワーイーストサイドにある私の自宅よりもさらに南にあったので、ここの警察官の方もきっと沢山亡くなられた事だろう・・・という予測はすぐつきました。
警察署の周りには沢山の花と、ローソクが飾ってありました。
私はもしかして・・・・と不安な気持ちでいっぱいだったのですが、警察署で友達のことを聞くと、今彼はWTCの処理に言っていると言われ、伝言だけ残して帰りました。

そして夜、別の友達に会いました。彼女は9月3日にフランスからNYに1週間滞在する予定だったのですが、帰りの飛行機が飛ばなくなったために、1週間予定を延ばしたと言う事でした。彼女が乗るはずだった飛行機は9月11日
出発のもので、とにかく乗っていなくてよかったと思いました。

WTCに近い消防署の前を通りかかると、花やローソクと一緒に、沢山の手紙や色紙が一緒に置いてありました。「YOU’RE MY BROTHER,TOO」と書いてあるものもありました。
ここには12人の消防士さん達がおられ、テロ後すぐ現場に行かれて、その中の7人が亡くなられたそうです。この7人の消防士さん達の写真を見た時には、本当に胸が痛くなり、言葉もありませんでした。


9月17日月曜

8アベニュー・46ストリート南側で

夜、警察官の友達に会いました。一言目に「今はもう、まだ生き残ってる人がいるとは思えない」と切実な思いを言われ、今日が何曜日なのか分からないと言っていました。この1週間、毎日20時間以上働いているので、1日の切れ目が分からない感じだそうです。
誰もビルが倒れるなんて思っていなかった、だからビルの中で避難する人たちを誘導していて、彼の働いている警察署の方もたくさん亡くなったそうです。

「ビルの後はもうとにかくゴミのようで、ビルの破片だけでなく、ビルで働いていた人、飛行機に乗っていた人達の遺体が混じっている。だからもう何がなんだか解からない。とにかくめちゃくちゃなんだ。あんな光景は信じられない。今、WTCの処理をしているけれども、被害はそれだけじゃない、その周りのビル全てがもう崩れかけ、かろうじて立っているだけだ。ビルの側面が大きく削げているので、作業の途中に、『逃げろォ』と言う声がして一目散に10ブロック走ったこともある。とにかく怖いんだ。」と言っていました。

その警察官の方に会ったのは、朝4時半頃で、いろんな話をして、6時過ぎにはまた仕事に行かれました。

これが、私の事件後の1週間です。


前後のこと

事件の報告のほかに実は、私がタオ先生にちょっと聞いていただいたことがあります。私の勝手な思い込みも沢山入っているとは思うのですが・・・・・。

事件二日前の9月9日、日曜夜のことです。友達とその家族の合計4人で食事に行きました。とっても楽しい筈なのに、私はどういう訳か、悲しくて仕方がないのです。
その時は、去年、父が亡くなったことでもあり、きっと友達の家族を見て悲しくなったというか、うらやましくなったんだろうな、ぐらいに思っていました

ところが、食事の時ですが、突然、「クリスマス・ソング」という曲がポッカリ頭に浮かんできたのです。それで、頭の中でずっと歌詞を考えていました。その為、食事の間は涙をこらえるので精一杯で、なんだか不思議な夜でした。

9月10日夜、昨日の夜に浮かんだ曲を考えていました。11日になったばかりの午前0時半、やっと完成したので、ピアニストの友達に電話して聞いてもらいました。
私は自分で(自分一人だけなんですけど!笑)この曲にすごく感動して、なんどもなんども歌っては涙がこぼれて、そしてベッドに就きました。

窓から見えていたWTCは、もうその影を落とすことはない
そしてその朝、テロは起こりました。TVをみてハッと思ったのですが、私の作った歌詞とこの映像が、なにか偶然にしてはあまりに重なって見えたんです。
そんなことってあるんでしょうか?

私の考え過ぎかもしれません。そしてタオ先生からは、次のようなお話をしていただきました。私なりに受け止めていきたいと思っています。

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