風水学講座:目次


ペットと風水を考える


家にペットを置くのは、風水的に見て(陽宅風水、つまり家相)どうなのか?ということについて、少し見解を述べます。ペットの問題は、単に風水や家相から見て損か得か、という単純な問題ではないと思いますので、じっくりと考えていきましょう。

簡単な結論から先に言うと、家にペットを置くと、家相は悪くなります。どんなペットでも、排泄物の問題や動物の匂いがつくという点では、マイナスです。しかし、それではペットを飼ってはいけないのか、という短絡的な結論を出すことはできません。
もともとペット=愛玩動物という観点で言えば、お好きな人、飼いたい人、あくまでも自分の為に欲しい、という方は、考え方次第だと思います。

筆者もけっこう動物は好きで、子供の頃は必ず家に野良犬が居ついていましたし、鳥もいろんな種類を飼ってきました。あまり飼うのに熱心でないのは猫で、嫌いではないのですが、どうしても興味が湧きません。
(2007年10月5日のWEB日誌にも、猫の話題がありますので、関心のある方はどうぞ)
息子などは結婚後、アパートで密かに「茶太郎」と名づけたネザーランドドワーフ ウサギを飼ってますが、ウサギはアイディアかも…。
最近、私も魚だけでは物足りないので、密かに、ウサギかハムスターを飼っちゃおうか、なんて腹積もりをしております。

長年にわたって関わっているのは観賞魚で、今も水槽が二つあります。一番好きなのは、ヤマメ、イワナ、マスとかオヤニラミとか、渋い日本の渓流の魚達なのですが、この種類は魚類の中ではサイズを別にすると最も飼い難い魚たち。
渓流魚は一番水質に敏感で、ちょっと水が濁ってもいけないし、硬度、PH、温度に非常に神経質です。日本の夏は、いくら冷房を入れていても、やはり渓流魚にはきつく、何度も死なせてしまったので、今は諦めて、大人しく南米や東南アジア産の熱帯魚にしてます。

しかし熱帯魚と言っても、適温はせいぜい26〜8度なので、30度を越えると死にはじめます。底モノは更に低温でないとダメなので、ドジョウ、ナマズなどの底生魚の好きな筆者はけっこう苦労します。
今は、コリドラス専用水槽がありますが、温度のことを考えて、わざわざ底面積を犠牲にして縦長の水槽を使っています。
底生魚はほんとにペットという感じで、個性があってよくなつくので可愛いですね。

と…趣味の話をし始めたらキリがないので、これぐらいにしておきますが、うちで勉強会や飲み会を開いた時に、真っ先に来る質問がコレ。
「やっぱり、水槽を置くと風水的に良いのですか?」

う〜ん…答えに窮しますね…
ま、メンド臭いので、あっさりとこう言います。「関係ありません、好きだから飼ってるの」

うちのお魚さん達は、私のペットなのです。
ペットは可愛くて好きだから、手間隙かけて飼っているので、風水的に良いか悪いかなんて、いちいちそんなことは考えません。
たとえ2〜3センチの小さな魚ちゃん達でも、飼っていればそれなりに世話はしますし、その世話するのが楽しいので飼っているようなものです。

ちょっと大袈裟ですが、子供を持つのと似たようなものですかね。子供が居れば、成長して働いてお金を稼いでくるから…自分が年取ったら面倒見てもらえるから…、或いは、家庭は子供がいないとカッコがつかないから…みんな子供を持つんだから自分だけ取り残されるのは嫌だ……、そんな打算で子供を持つ人が居たら、ちょっと怖いですよね。そういうケースは、だいたいシッペ返しが来るでしょう。子供に愛情注がないで、自分に注いでるようなもんですから…

と、雑談ぽい話から入りましたが、実はこれで既に、二つの答えのうち、一つはもう書いたも同然なのです。


ペットを飼う意味とは何ぞや?

その一:可愛いから飼う

これが、最大の答えです。
余りに当たり前のような話ですが、実はこれ、因縁的には辻褄の合う話なのです。少し抹香臭いのはご勘弁頂きたいのですが、仏教では、まず第一段階で、「因縁生起」(いんねんしょうき)を説きます。

人間の望み喜び、又は悩み苦しみは、古今東西、だいたい三つに大別されます。
「貧」「病」「争」です。
仏教ではもう少し細かく、「生老病死・四苦八苦」と分別します。「生老病死=四苦」が第一段階で、それにもう少し複雑な要素まで入れたものが、「八苦」です。

第一段階の生老病死というのは、「生まれ出てくる苦しみ」「老いる苦しみ」「病気になる苦しみ」「死なねばならない苦しみ」なのですが、生まれてくることじたいが苦悩だと言うのは、ちょっと聞き捨てならない言葉かもしれません。
みんな、「生まれてきてよかったー♪」と思いたいところでしょう。ところがどっこい、そうは問屋がおろしません。生きている限りは必ず、(生まれてこなければ、こんなに苦しむこともなかったろうに…)という時が、必ずや、やってこようというものではありませんか。

たまーに運良く、そんな思いをせずに済んでも、生まれてきた以上は、必ず死にます。筆者なんて、何故か若い頃から全く長生きをしたいという意志がなく、小学生の頃から遺書を書いたりしていましたが、お陰で老後の心配なんて、全くしたことがありません。今でも、仕事がまだ残っているから、これを片付けないとまずいな、という程度です。

まあ、こういう変わり者はさておき、どんなに死にたくなくても、近い将来、必ず死なねばならないというのは、どんな人でも共通のことです。遠い先のことだと思っていても、時の流れはあっと言う間に過ぎ去ることでしょう。

そう考えると、ただ食う為だけに嫌々毎日を送っていても、しょうがない。しかし同じ時間でも、その過ごし方、充実度というのは、当人が決めるもので、同じ場所で同じことをしていても、嫌々やっている人と、溌剌と楽しんでやっている人とでは、差がついてきます。
このあたり、少し難しい問題で、お説教臭くなってくるのでたいがいにしておきますが、同じ時間でも充実度・幸福度が違うというのは、その人の気力体力健康に関わってくる問題ではないでしょうか。

そう、ここで言いたかったのは、人生、なるべく健康で長生きをして、心地よく過ごしたいな、ということです。

ここに、ペットの問題を考える鍵があります。
ペットを飼ったほうがいいとか悪いとか、そういう短絡的な話ではないのですが、先ほど述べた、人間の生老病死・寿命・健康というものは、殺生因縁との関係で決まってくると、経典には述べられています。

寿命と健康の徳は、生き物を慈しみ、養い育てる徳を積んだかどうかに関わってくるのです。生き物を慈しみ育てることの最も代表的なものは、まず自分の子供を大切に守り育てることです。自分の子供がなくて他人の子供でも、それは当然、とても良いことです。
因果の法則から言うと、自分が徳を積む為に子供を養い育てるというのは、それは徳ではなく功利的な行為なので、かなりランクは落ちますね。そういう親は子供に本当の愛情をかけてはいないので、子供はたっぷりとした愛情を貰ってスクスクと育つことができないでしょうし。いくら形だけ取り繕っても、必ず本音はバレてしまうものです。

でもまあ普通、まともな親の感情を持っていれば、何かの為に意識して計算して子供を育てるというのは、論外ではないでしょうか。現代社会がどうのという話ではなく、子殺しに走る親、無責任な冷たい親は昔からありますし、それを一定のところでストップする為に、法律というものがあるわけですから。

逆に、不健康だったり身体的に障害を抱えている人は、前世で禁忌を犯したり、先祖の業を受けついでいる可能性があります。先祖といっても自分とは別物ではなく、先祖の生まれ変わりが子孫なのですから、「自分のしたことではなく、先祖のことだから」という責任転嫁の理由にはなりません。
障害は禁忌に触れる話かも知れませんが、少しの障害を背負っている人のほうが、むしろ物が見える面があるような気がします。
ましてや、親の立場だと、これまで考えもしなかったことが見えてくるのではないでしょうか。

この、子育てのプチバージョンがペットと考えると、ペットを飼う意味も出てくると思います。人間の子供を無償の愛の元に、立派に成人させて社会の役に立つ人間にまで育て上げる…それが最高の行為であることは言うまでもありません。
しかし、そこまで行かずとも、そこまで力まなくとも、誰にでも、それに似たこと、或いはその一部はできます。
小動物を養い育てることは、生命を育むことに通じますので、生命と健康の徳を積むことに通じます。

また、直接的に養い育てる行為でなくとも、間接的にもできます。例えば、会社で自信を失った後輩を励ましてあげる、モノを教えている人ならば、教え子に自分のできる限りの誠意を渡す、何か情報を発信している人ならば、社会の役に立つことを発信するなど。
病気の治療などに当たっている人は、とても顕著な形でこの「育てる行為」をすることができますね。リスクもあるでしょうが。

いちおう、これが、ペットに関する因縁の原則論です。無償の愛で小動物を養い育てるということは、寿命と健康の徳を積むことにつながります。
子供でも、幼い頃からペットの世話をすることを覚えれば、弟や妹の面倒を見ることも上手になるでしょう。弟や妹の面倒を見たり、父母や兄姉の手助けをすることが自然に出来れば、学校でも友達に親切で好かれるでしょうし、社会に出てもリーダーシップを取ったり、弱い者を守ったりが自然にできて、無理に頑張らなくても人徳が認められて、高い地位に就くことができるでしょう。地位や名誉というのは、頑張って手に入れるものではなく、普段の何気ない行為の積み重ねによって、天から授けられるものです。無理に頑張っても、必ずボロが出ます。
しかし、そういう立派な人になって欲しいからと、親がペットの世話を子供に強要しても、何にもなりません。まず、親自身が、ちゃんと子供に愛情をかけて守り育てていなければ、子供も他人や小動物に愛情を注げるようにはならないでしょう。

これが、ペットを飼う第一の理由ですが、なぜわざわざ「原則論」と書いたかと言うと、家で飼うペットには、もう少し別の側面があるからです。風水的な話は、その次の段階になります。

家で飼うペットは、人間と共に生活しています。なので、人間に近い感情があります。あまり荒唐無稽な話になってしまうのもナンなので控えておきますが、人間とペットの不可思議な因縁の話は、古今東西、少なからずあります。

そこで一つアドバイスしておきたいことは、あまりペットにズブズブな感情移入をしない、ということです。
遊びであるぶんには差し支えありませんが、世間にありがちな、孤独な老人が人間と同じようにペットにベッタリ寄り添うような密度は不自然です。あまりに人間の生活に深く介入させ過ぎないことです。
ペットに入れ込み過ぎることは、ペット自身の為にも良くないことです。人間にもペットにも、それぞれ居るべき場所というものがありますし、法的にもペットはモノ扱いです。ペットにはペットの役割と制約をきっちり教え込むのが、飼い主の役割です。
服を着せたりするのも、単なる人間の趣味で終わっているうちはいいですが、あまり感心したことではありません。だいたい「うちの子」と言う言葉が余りにたびたび出るようだと、???という気がしますが…

あまりオカルトチックな話にしなくないのでこれに留めますが、人間が養育の徳を積み、ペットも分を超えた業を背負わなくて済むには、きちんと常識をわきまえた飼いかたをすることが第一です。そこを踏み外すと、人間もペットも不幸なことになります。

一例として、「里見八犬伝」の話などは、相当にオカルトチックでえげつない話だと思うのですが、うまく娯楽作品になっている為、ヒーローもの、ファンタジーの扱いです。しかし、人間と動物の因縁という観点から考えると、一種の警鐘と受け取ることもできる…、というのは、うがちすぎでしょうか…

風水以前に、まず第一の問題として、何故ペットを飼うか、飼いたいのか、責任持って世話ができるのか、きちんと正しい飼い方ができるのか、そちらが第一の問題だということです。


風水で見たペットの存在・犬猫

そこで風水学で見たペットの飼い方ですが、原則として全て凶です。犬猫と水物で、少し違います。

犬猫が吉か凶かは、風水におけるトイレの扱いで考えてもらうと、分かりやすいでしょう。
風水的には、トイレは家のどこにあっても、原則として凶です。トイレというのは、最も陰気のこもる不浄の場所です。比較的、悪影響の少ない場所というのはあっても、吉の場所はありません。
その為、トイレはできるだけ清潔に、明るく飾り立てて、心地よくすることで、やっと凶意が小さくなります。

人間のトイレでさえそうなのですから、人間よりもコントロールのしにくい、犬猫の排泄物が増えたらどうでしょう。たっぷりした庭があって、庭で番犬を飼うならまだ多少はマシかもしれませんが、座敷犬や猫が狭い家の中に家族と一緒にひしめいていた場合は、凶意は倍加します。

仏間のある家では、動物は仏間に入れない、食べ物の匂いもさせない、というのが決まりですので、それくらいの広さのある家ならば、犬猫が居て良い場所、出入り口、トイレも決められるでしょう。しかし、マンションの玄関やキッチンに猫のトイレを置いているぐらいの部屋ですと、人間のトイレと同じか、それ以上の凶意があると思って下さい。

そこまで家相が悪くなっても、飼いたいかどうかは、あなたが決めることです。トイレの世話や散歩も厭わない、家相が悪くなっても可愛いからいいのだ、と思えるかどうかは、ご自分で決めるしかないでしょう。
ちなみに、ペットの性格が悪い時は、飼い主もそれに応じた評価を受けてしまいますが、それもご自分の責任です。どうも、ペットは著しく飼い主に似るようですので。(笑)


金魚、熱帯魚

位置が動かないぶん、犬猫よりは凶意は小さいです。
しかし、どこそこに金魚の水槽を置くと良い、ということはありません
屋敷内の水物で吉相になるのは、小さな澄みきった、飲めるぐらいの清浄な清水が滾々と沁み出す程度の、小さな湧き水とか渓流のみです。
そういうものは、名水として珍重されるようなものですから、どこの家にでもあるものではありません。井戸も決して良くはありません。少し小高い場所から自然に湧き出る、本当の自然の恵みならば吉相です。しかし、庶民の家にはそうめったにあるものではないでしょう。

家の中に金魚や熱帯魚の水槽を置くのは、純然たる趣味です。水槽は方位を云々するよりも、床の強度やメンテナンスのしやすさや日光との関係で、置ける場所は限られてきます。
畳の部屋では大きな水槽は難しいですし、小さいと水が汚れやすくなります。また、窓際に置くとアッと言う間にコケだらけになりますし、水温の変動の大きな場所では、ヒーターが壊れやすくなります。

金魚なら楽そう・・・と思われる方がいらっしゃるでしょうが、金魚は体が大きくて最も水を汚しますし、ヒーターが入っていないと、季節の変わり目には白点病が出やすくなります。こういうものを飼う人は、楽だから飼うのではなく、調べたり世話をしたりするのが好きだから飼うので、風水ウンヌンでわざわざ水槽を置くものではありません。

それでも置こうという方は、置いてはならない場所があります。それは、四正方位の正中線です。つまり、東西南北のど真ん中に置くのは凶相になります。正中線に貯め水を置きますと、不浄の影響が顕著に現れます。
どちらにしても水槽の貯め水は、魚の排泄物や薬品のまじった不浄物で、濾過槽にもいろんな不浄物が溜まっていますから、家相を良くする効果は全くありません。
泳ぐ魚を見るのが好きで、世話が億劫でないなら、ご随意に、ということです。


鉢植え

生き物の次いでですから、植木のことを少し書いておきます。
家相の悪い部分をカバーするのに、生きのいい鉢植えはよく使われます。これにも少々、原則があります。

植物には陰性の植物陽性の植物があります。家相をカバーする為に置くのですから、当然、陰性の植物は避けることです。ポトスなどは安いのでよく使われますが、水気の多いつる草で陰性なので、南側で家相の良いところにしか置けません。
植物は種類が多いですし、方位による適材適所が結構ややこしいので全部は述べられませんが、原則として、家相をカバーする為に置く鉢植えは、幹が乾いてしっかりしており、葉も緑色の強いしっかりした、固めの葉のものが適しています。
草花や実のなる植物、蔓のものは、陰性植物です。家相の悪くないところに、趣味として置く程度にして下さい。

鉢植えは、木性と土性と水性が混じっていますが、できるだけ水性の要素を少なくすることです。また、枯れていたり虫がついたりすると逆効果になりますので、手入れを怠らないように。


なぜ、ペットを飼うか

ペットを飼うのは、個人によっていろんな考え方や形態があると思いますが、ごく単純な損得で考えると、損の方が圧倒的に多いでしょう。お金も時間も手間もかかりますし、その上、家相も悪くなります。

しかし、なぜ私達が良い家相の家に住みたいと考えるかというと、それは生活を潤いのある充実した、楽しいものにしたいが為でしょう。経済性だけで言えば、趣味やペットは全部無駄なことでしょうから、無駄をしたくない方は、趣味もペットも持たなければ良いことです。否、子供を生み育てて独立させるなんて、これ以上無駄なことはないかも知れません。家も、最低限の衣食住の機能を満たす機能的な部屋で、余分なものは全く持たないほうが、管理も掃除も楽です。

しかしそれだけでは味気ない…、経済性だけが人生ではない、と考える方は、自分なりに無駄をして楽しむでしょう。何が無駄かリスクかは、当人が決めることだと思います。若い頃は無駄をせずに働き、年取ってからゆっくりしよう、という考え方もあるでしょうが、見たところ、若い時から無趣味の方は、年取ってから意識的に趣味を持とうとしても、無理なように思います。
いろんなものに関心を持ち、色んな豊かさを吸収し、それを仕事や日常生活に生かす能力というのは、子供時代から養わないと、年取ってからでは器がないので、無理です。

貧乏な長屋生活(古い?)でも、ほんのちょっと裏口で野良犬に餌を与えて可愛がって躾けていたり、土間にちょこっと金魚の鉢を置いて、魚が泳ぐのを楽しんで見ている家というのは、家庭が愛に満ちていて、子供もペットも伸び伸び育ちます。
一方、立派な屋敷に住んでいても、管理維持にうるさく、形を整えることや世間体を守るのに汲々としている家は、どこかしらひずみが出てきます。子供の問題が持ち上がるのは、多くがこのような家庭です。
いろんな問題に広げて考えることのできる、ペットと風水のお話でした。

(2007年11月記述)

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