風水学講座:目次

子供と間取りを考える


子供の事件あれこれ

数年前から、間取りに関する本がちょこちょこ出ている。家相学としての専門書籍はしかるべき場所でしか入手できないのだが、こちらの一般書は、漫画やドラマに出てくる家の間取りを再現したり、変わった間取りばかりを集めたりという、なかば趣味みたいな本である。運命学の一分野としての参考にするまではいかないが、素材の一種として気楽に見るぶんには、なかなか楽しい。
ただ、こうやって間取りに関心を向ける人が出てくるのは、間取りによってそこに住む人の行動が導きだされる、という理由もあるのだろう。

鑑定や講座の為にいろんな資料を集めていると、中にはオッと思うようなものもあり、これらの本もそういうところに目をつけたのかもしれない。事実、筆者が「変わった物件」として集めているのと似通った間取りが、これらの本の中にも散見される。

しかし、マンガやドラマのキャラクターの暮らしを思い描いて楽しんでいるぶんにはいいのだが、日々報道されるニュースの中には、悲惨な事件もある。事件の中には、特に目を惹く青少年犯罪がしばしば混じっているが、青少年犯罪が取り沙汰されるにつけ、その事件を引き起こした、また引き起こすことを可能にした生活環境というものがクローズアップされることも、多くなってきた。
覚せい剤にかかわった有名女優の次男とか、もっと凄惨な事件の登場人物たちがどのような暮らしをしていたか、そこには当然、事件の進行を容易にした生活環境というものが存在するわけである。

例えば、幼女を長期間監禁するには、監禁できる部屋がなければ無理だし、異常な事件にかかわって平静でない時に、引きこもることの出来る環境があると、その異常さは見逃されてしまう。そういう好条件(?)が、更に事態を複雑にしていくわけである。
今回の話は、家屋の間取りが、そういう複雑な家庭環境を生み出し、結果として子供を歪ませているのではないか、という話だ。

世間に悪相の家、変形の家は幾らでもあるが、ある傾向を持った人達がその傾向に見合った家に住むと、その傾向がいっそう顕著になる、ということはあると思う。
風水学講座の受講生や鑑定依頼者に時々、不動産業界の方や不動産管理者が混じっておられるが、彼等彼女等が異口同音に言われるのは、「ある種の家はある種の人達を呼ぶ」ということである。そして、「不動産は縁のものであり、どんなに望んでも手に入らない人は入らないし、縁のある人はスンナリと手に入る」ということである。
そうなると運命論になってしまいそうだが、運命学の中でも、家相は努力して、変えたり整えることが出来るところに、価値がある。家相を人の顔に置き換えると、仏頂面ばかりしていないで、ゆったりにっこりしてみれば、人に与える印象も変わり、自然と運命も良くなろうというものである。家の影響というのは、無視できないほどの力を持っているのである。

中でも、家の影響を一番受けやすいのは子供である。大人はある程度出来上がっていて抵抗力もあるが、子供はフレキシブルなので、良くない間取りで暮らしていると、そのままその影響を受けてしまう。その一例を、駆け足ではあるがザッと述べてみたい。



子供部屋が重要なわけ

このタイトルを額面どおりに受け止めて、「うちは子供部屋は重視して、十分に居心地の良い、たっぷりした子供部屋を設計しました」という方があれば、それはこの章の考え方ではNGである。

子供部屋の間取りが重要なのは確実なのだが、それは子供に、十分なスペースと居心地の良い空間を与えることを意味するのではない。
諸外国を真似たのか、よく「独立心を養う為に」、と言われる方があるが、この当りに勘違いがはびこっているような気がする。

独立心というのは、勝手気ままに、学校から帰って親にろくろく顔も見せずに自分の部屋へ直行し、携帯メールやDSで遊ぶことではない。

あなたの家では、そういう勝手がいつの間にか通ってしまいがちな設計になってはいないだろうか?
具体的には、子供部屋が二階にあって、玄関から二階に上がるのに、リビングや家事室を通らずにそのまま自分の部屋に直行できる構造になっていると、自然とそういう流れになってしまいがちだ。
ここで「生活動線」が問題になる。生活動線というのは、キッチンを使っている間はトイレに行こうとしても通り抜けできない、というような利便性にも言えるのだが、子供が寝たのか起きたのか騒いだり遊んでいるのか、家の中にその気配が伝わるような構造になっているか否かをも意味する。

風水にもそういうのがあるのですか?と言われる方があるかも知れないが、風水とは摩訶不思議なものではなく、いわば常識の集大成である。それも、普段は気づかないが、世間の見栄や流行に流されない部分での、本当に大切な不変の常識である。
学べば学ぶほど、風水とは忘れかかっている大切な常識を教えてくれるものなのだが、金運シールと混同されるケースもあるのは、いささか残念だ。

玄関のドアを開けた途端に、真正面にトイレがあって、いきなり用足しを済ませたばかりの人が出てきたら、ちょっとバツが悪いと思う。たぶんこういうことは、言われなくても学ばなくても、引っ越し経験が何度かあり、間取りの良し悪しを経験したことのある人は、分かると思う。早い話が常識だ。
しかし、現実にはけっこう、こういう家が存在するのである。案外、風水なんかを半端にかじった人が、えてしてこういう常識ハズレの家を建ててしまいやすいのは、とても残念なことである。建売ならば、建築会社なりのいちおうのセオリーがあるので、こういう常識外れは少ないのだが、えてして注文住宅には失敗が多い。

子供部屋の問題もそれと同様で、どの方位が良い悪い、というのは些細な問題で、常識をクリアしていなければ風水も役に立たない。否、風水そのものが、常識を体系立てたものなのだから、どちらの方位が子供部屋に向いているとかいないというのは、家の構造も含めての話の筈だ。



子供部屋の広さは六畳ではないか

生活動線の話が出たところで、次は子供部屋の広さだ。家の広さにもよるが、たっぷりとした居心地の良い部屋を与えたいからと、子供部屋に六畳を与えていたら、それは少し考え違いだ。
子供部屋には、一人あたり三畳もあれば十分だ。勉強机とベッドが置ければ十分なので、もし六畳の部屋を当てる場合は、きょうだい二人でシェアすればよい。一人っ子だったら、ぜひ今からでも、もう一人産んでいただきたい(笑)。

実は筆者は、子供部屋を勉強部屋として考えるのは反対で、ベッドと多少の私物だけを置ければ十分。勉強部屋には家族共同の図書室みたいな部屋を作って利用するのが良いと思う。
もともと、どの子も勉強部屋を持つようになったのは、いわゆる受験戦争のせいではないだろうか。余りに受験が目的化してしまったせいで、その反動で大学が勉強するところではなく、バイトと遊びの場所になってしまっているような気がする。

子供にだけは高等教育を受けさせたいので、しっかり勉強して欲しい、と願う親は多いのだろうが、子供に勉強させたかったら、親が常に勉学の姿勢を忘れないことが重要だ。「勉強しなさい」「本を読みなさい」と言うのではなく、親がよく勉強し本を読む家庭では、自然と子供も勉強好きになる。
早い話、カエルの子はカエルなので、自分とかけ離れたことを子供に期待するのが間違っている、ということだ。

独立心を養う為に個室を与える、というのならば、そもそも独立心とは何ぞや、と考えてみてはどうだろうか。本当に独立心を養う、というのは、「学校の友達はみんな自分の部屋を持っているから」などという、右へ倣いの感覚を捨てることではないだろうか。その家にはその家の暮らし方があるのだから、人がこうだから、というのは、一番つまらない価値観である。
ついでに、テレビを見ないと話題についていけない、というのもつまらない話だ。ましてやテレビをつけっ放しにしておきながら、子供に「勉強しなさい」というのもおかしな話。

子供にとっての最大の環境とは、家という単なる容器ではなく、親の資質や行動の筈である。子供を勉強好きにしたかったら、まず親が勉強好きになること。本好きの子供の親はまず例外なくよく本を読み、家の中にじゅうぶんな量の本がある。

勉強好きで向学心に燃えた子供を育てたかったら、親がまず向学心に燃えること。生涯学習もブームである。勉強は一生やめてはいけない。その為には、せっかく家を建てるならば、家族が皆静かに利用できる図書室、共同の勉強部屋を設けるのも一案ではないだろうか。

要するに、個室優先で考えるのではなく、目的別に部屋割りをしてみてはどうだろうか、ということだ。


そうするとここに、一つ問題が発生する。子供の年齢によって、幼い子は騒いだり、生活時間が違ってしまい、必然的に、必要なだけ静かな勉強の時間が取れないという事態が発生する。
これに対応するには、間取りの変更のしやすいような設計にすればよい。兄弟の年齢が離れていると、片方は勉強の真っ最中で、片方はオモチャで大はしゃぎ、という事態になるかもしれない。しかし何年か経てば、下の子も宿題の真っ最中で、上の子は今度は資格試験の勉強をしているかもしれない。

もう少し大きくなれば、今度は本当に個室が必要になって、自分の部屋で家では話題に出せない失恋の痛手に浸っているかもしれない。
よほど大きなお屋敷でもない限り、スペースには限りがあり、家族構成やその時々の状況によって使い方が違うので、リフォームしやすい間取りにしておくと良い。

最終的には、子供は独立して家を出ていくのが自然な姿だ。いつまでもパラサイトシングルを許してしまうのも、子供の頃から間違った部屋の使い方をしていることも一因ではないだろうか。
整理してみると以下の通りになる。


このように、筆者の考え方はだいぶ一般的な間取りの要望とは違うかもしれない。しかし、はたと心当たりのある方も多い筈である。
子供は三つ子の魂百までというように、出だしを間違ったら非常に難しいことになる。

また、子供部屋の存在が、子供を親から引き離す元凶になったように、十分な個室の存在が、年齢を経た夫婦を家庭内別居という形で縛り付けているケースは余りに多い。暖かいマイホームを夢見た結果が、形を維持するのが目的になってしまっている。

このあたりまで来ると、間取りの問題から発展して、人間関係の問題になってしまう。
子供部屋の気配が伝わるような間取りにしなさい、と言っても、険悪な家族関係だったら、そんなものは伝わらないほうが良いかもしれない。しかし、険悪であってもそれを簡単に遮断してしまうと、もう修復の余地は無くなり、そのままエスカレートして固定化してしまう。
いろんな事件も、そのように遮断された状態から産み出されたという側面が大きい。

家族関係の問題は微妙なので、通り一遍の常識や考え方を押し付けてはならないのは、重々承知の上だが、家族関係は人間関係の基本だ。家族から逃げて他人ならばうまくやってゆけるということはあり得ない。
肉親とうまく付き合ってゆけないと、結婚して家庭を持っても、最終的には自分の育った家庭と同じような家庭を、自然と作り上げてしまうものだ。子供の頃に育つ家というのは基本だし、そこから逃げてはいけない。
だから、今後、住み替え、建て替えを計画される方は、子供部屋に関してはこの一文も頭の片隅に入れて、参考にしていただけると嬉しい。

お断りしておくが、筆者は現在の状況や何かの事件を、家相や方位のせいにするのは好きではない。家相とか気学に係わる人たちの多くが、家相が悪かった、方位が悪かったのでこうなった、という方向で考えることが多いようだが、筆者はそういう立場とは少し違う。

家相も方位も、また名前や生年月日なども、その人の要素の一部である。家相が先にあって人間が作られるわけではなく、その人の運命のある面が、家相という形になって現れているので、家相に因を求めるよりも、その家相の家に住むことになった当人に根本原因を求めるほうが先だと思う。

例えば、「家の設計に失敗してしまって、住み心地が悪く、家庭内もおかしくなって、その結果、予期せぬ事態になりました」というケースはあるだろう。しかし、それが単なる家相への責任転嫁であってはならない。
「家は人なり」であるから、当人が選んでその家に住んでいる以上、家の良し悪しイコール当人の力量というのが、シビアながら公平な考え方ではないだろうか。予算や設計力、管理能力全て含めての話である。

もちろん、誰もが自分の意思で住みたい家に住めるわけではないだろうが、性格や運命に大きな影響を与えるほど、そこに長く住み続けなくとも、自助努力で住み替えることは出来る。
ごく単純な話、風が強くて寒ければ、窓を閉めてカーテンを引けばだいぶ居心地が良くなるというように、工夫することが出来る。居心地が悪ければそれをきちんと感じ取り、それを変える努力、そこから脱出する努力をすれば良いのである。

各人、いろいろと事情はあるだろうが、見ていると、賢い人ほど物事のポイントを絞って単純化するのが上手なようである。「でも…だから」と言っていると、どんな人だって事情があってキリがない。嫌だったら変えればよいし、やりたかったらやればよいし、ダメだったら諦めれば良いのである。

という、小言めいたお説教はこのくらいにしておくが、不動産というのは、いろんな意味で、人間力が如実に現れているものである。
例えば、不動産の鑑定なども、一人の人が持ってくる物件は、どれも似たような傾向を持っていることが多い。一人の人が何件か物件を持ってきた場合、良くも悪くもだいたいどれも、似たようなレベルであることが多いのだ。予算や探す地域が似ているからではなく、その人の持っている資質によるものだろう。
類は友を呼ぶ、というのは、人と人との関係にも言えるが、人と不動産、不動産と不動産の関係にも言えるのである。

だから風水は、知識の多寡ではなく、人間力をアップする目的できちんと基礎を学ばないと、小賢しい知識だけを大量に詰め込んでも、何にもならない。もちろん、知識を身につけ、沢山鑑定経験を積む過程で見えてくることは非常に多いので、それが人間力のアップにつながることを期待して学ぶわけなのだが。

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