風水学講座:目次

断捨離とか片付け風水

このサイトでは今まで触れたことがありませんでしたが、巷ではだいぶ前から、おそうじ風水とか断捨離ということが言われています。
単に風水と言ってもいろんな規模のものがあり、住まいを対象とした小スケールの風水では、個人の生活空間を住みやすく整えるということも入ります。
だから、おそうじ風水も片付け風水も、それはそれで実践するのは良いと思います。でも、テレビに出てくる片付けの先生なんかを見ていると、え?これ、なんか違うな…と思ってしまうことがあったので、今回、何となく抱いていたこれらの疑問に自分なりにメスを入れてみました。

片付け術に風水と名付けるのは、風水を環境学の一環と考えれば、それはそれで良いと思います。その一方で、片付け=物を減らすことを断捨離というらしいのですが、こちらは少し意味合いが違うように思います。
断捨離(だんしゃり)とは何となく禅の言葉っぽくて語呂が良くて流行の要素はあると思いますが、出典としてはヨガらしく、そう考えると何となく納得も出来ます。

しかし一瞬、ええっ?!と思ってしまったのは、テレビの情報番組かなんかを見ていた時のこと。片付けられなくて困っている一般人のお宅に訪れた片付け術の先生。
「この服は何で取ってあるの?」
「可愛くて、見てるだけで特別なパーティに出ているような気がして、どうしても手元に置いておきたかったので」
「で、年に何回着ますか?今後、着る機会がありますか?」
「…着ません……」

で、心を残しながらも結局捨てる流れになってしまったのですが、更に極めつけは、この時だったかどうか、別の時に見たのかは忘れましたが、卒業アルバムを見て
「思い出は記憶の中にしまっておけばいい、アルバムなんて不必要」

更にこの手の番組で見てかなり異議を唱えたくなったのが、特別な収納術を駆使して設計した家です。
壁にピッタリと折り畳んで収納できるベッド。必要な時だけ引き出して使う、収納式キッチン。ちょっと見ただけでは、台所がどこなのか、影も形もありません。。。

見ていて、うーん…このベッドはビジネスホテルのように薄い毛布だけしか着ちゃいけないの?フカフカ羽毛布団にお気に入りの可愛い布団カバーとか使えないんだよね?第一、いちいちベッドメイキングし直してピッタリしまっちゃうなんて不便でしょう?
このキッチンは、ちょっとお茶入れるにしても、いちいち壁をスライドさせてカウンターの中から引き出さないとキッチンにならないんだよね?これじゃあ、自動販売機で買ってきたほうが早そう…

設計者当人は、これ私が考えたの!と満足気でしたが、見ているこちらはかなりヒキました。
もしこれが、どうしてもやむを得ず、都心の極端に狭い部屋で暮らしているのなら致し方ないとは思いますが、これほどの作りつけのリフォームにお金をかける余裕があるなら、引っ越したほうが早いと思うんですよね。

私はこれを見て、すっかり片付け術とか断捨離なるものに違和感を持ってしまったので、関係する本なんかも読んでいませんが、けっこうあるようですね。極端にとっ散らかって自分ではどうしようも無くなっているゴミの山の部屋。
一戸建てでも、庭にまでポリ袋の積み重なっている家もあるようですから、たぶん部屋の広さや収納量の問題ではなく、当人の問題なのだと思います。収納が足りないからと広い家に引っ越しても、また溜め込んで、すぐにゴミの山になってしまうと思います。

ただ、これは違う問題ですが、親の住んでいた家を引き払うのが大変なのでモノを溜めないで欲しい、とかいうような話は、また別だと思います。自分自身、実家の家財道具一式を引き払った経験がありますが、親の亡き後、家を片付けたら、トラック何台分だったとかいうのは、別に全く不自然でも大変でも無く、愚痴をこぼすようなことではないと思います。
これまで一軒の家を構えて暮らしていれば、それぐらいの家財道具はあるでしょうし、何もそのことを、モノを溜め込むのが悪い、断捨離をやったほうがいい、という一般論に結びつける必要はなく、業者に依頼する金銭の問題でしかないと思っています。
うちの場合は兄弟と縁者みんなで片付けたので、大変な思いはしましたが、特に非常識なほどでない限り、あまり亡くなった後の事を言うのは筋違いではないでしょうか。片付けておいたほうが良いのはもちろんですが、死んだら後が大変だから、というのはちょっと置いといて、スッキリさせたほうが使いやすいから、ということにしておいたほうが良いと思います。

保険証書や通帳や、引き継ぎたいことを分かりやすく整理しておくことは必要でしょうが、どんなに身軽に見える人であっても、家財道具というのは半端な量ではないので、ゴミ屋敷の大変さを特殊なものだとしても、大変なのは当たり前です。

片付け術、断捨離でモノを減らすというのは、捨て魔になることではなく、自分に必要なものを使いやすく、部屋を心地よく整える過程で、もし収納しきれない不必要なものが出てきたら、それにはアッサリ見切りをつけてしまえばもっと暮らしやすくなるのではないか、ということだと思います。
過去のアルバムなどは、普段使わない、生活には不必要なものの代表ですが、捨ててはいけないものの代表でもあると思います。
思い出は頭に中にしまってあるので形のあるアルバムなど要りません、というよう考え方を進めると、なぜ人間が生活や心の豊かさを追い求め、心身の健康を維持する必要があるのか?という疑問にまで行き着いてしまいます。形のあるモノなど無くても豊かな心は持てる、という人もあるでしょうが、一定の知識がないとまともな思考が成り立たないのと同様、余りに形あるモノを無くしてしまうと、芸術の豊かさも生活の潤いも無くなってしまうのではないでしょうか。
果ては生命を維持できるギリギリの栄養素だけを錠剤かカプセルなどで摂取すれば済むことで、そもそも思い出を作ることじたいも、無駄なことになってしまうような気もします。

物量を減らすという意味では、筆者はこの3年ほど前から蔵書のスキャンを初め、本棚から溢れて部屋のそこここに山積みになっていた数千冊の本を、1台のHDDの中に収めました。スキャナとカッターと読書端末が増えましたが、本の山に比べればどうということもない量で、蔵書の多い人の片付け術はこれに尽きると思っています。
最近は本と近い物量を占めていたDVDの山を片付け、好きなタイトルだけ秘密の方法で収納したあと売り払いましたが、この作業によってもかなり片付きました。次はCDの山に取りかかかっています。
これらの作業は、内容を生かしたままで物理的な紙やプラスチックの山とサヨナラしたわけで、むしろ前よりも、目的のタイトルが探しやすくなったぶん、非常に使いやすくなりました。
死蔵していた小説もどんどん読めますし、資料も探しやすくなりました。かなりの重労働、難作業でしたが、それだけの甲斐はあると思います。
そういう意味ではスキャンしだしてからは本は一冊も捨てていません。むしろ過去にかなりの量の本を捨てたことを後悔しています。しかし、自炊自慢はいいとしても、デジタル化できない、いまだに部屋の中を占領しているモノ達があります。


家電:一般的な家電が普通にありますが、買い方には特定の傾向があります。私はデザインで一目ぼれということはなく、機能もあれもできますこれもできますは避けて、なるべく単機能で、基本性能の高いものを選びます。出来れば派手な広告を打たないが伝統のある地道なメーカーを選ぶので、そのせいか、うちの家電はめったに壊れず、20年もの、30年ものがゴロゴロあります。
もともと実家が電気工事と家電の販売店をやっていたせいか、工具や電機部品がいつも身近にゴロゴロしていた習慣で、小物ぐらいなら調子が悪くなっても、分解掃除や部品交換で自分で直してしまいます。
従って、その場で必要に応じて適当なのを買い、壊れたらすぐ買い換える、という考え方はありません。しかし特定の製品にこだわることがあり、今は製品サイクルが早いので、これぞ、と思う製品は、入手できなくなる前に、型番で探し出して予備で買っておく場合さえあります。

PC関連:こちらは実家の電機店には存在しなかったシロモノですが、これこそ家電以上に分解やパーツ交換が利くので、長持ちし過ぎて際限なく数が増えてしまいます。余りに増えすぎたな、と思うと、ノートは売れる間に売り、デスクトップはパーツに分解して組み直すか処分することになりますが、PC関連でいつも思うのは、本体を処分しても、何故こんなにコードが増えるのか?ということです。
うちに来た人は、ガジェットのアダプタだけを入れる専用の箱があるので笑いますが、アダプタには製品名をつけておかないと、ほんとにどれがどれのやら分からなくなってしまいます。その結果、ガジェットアダプタ用、PC関連コード用、通信関連コード用、AV関連コード用と、コード関連だけでみかん箱大の箱が四つあるので呆れてしまいますが、これらに関しても別に無駄だとは思いません。何かを違う機器に違う接続のしかたをしようとする時に、コードが足りないとイライラするので、汎用規格のコードは確保しています。

衣類:前とはだいぶ事情が違ってきましたが、こっちにも独特の傾向があります。もともと昔は洋裁と和裁で身を立てていたので、ほとんど既製服を着たことがなく、下着とニット以外は買ったことが無くて全部自分で縫っていました。
最近は衣服関連に時間を使うのはやめよう、と思うようになり、普段着は買って済ますようになりましたが、まだ自分で縫っていた時の名残があります。自分で服を縫っていると、着れない服を捨てるというケースは少なくなります。なるべく良い素材を買い、布地の段階からいったん水を通し、縫いあがってから縮んだり歪んだりしないように地直しをし、縫い代もたっぷり取ってあるので、体型が変わってもサイズ直しやリフォームが利きます。もし捨てる際にも、自分で縫った服だと既製服とは全く感覚が違い、ここまで自分が手をかけたものを、そのまま捨てるのは気持ちが悪いので、必ずハサミを入れて服の形状を無くしてから捨てます。良い生地で何度もリフォームして思い出のあるような服は、古びてもう着ないとわかっていても、大事にしまっておきます。


なんだかモノ自慢のようになってしまい、うちのモノの山もかなりなものだと思いますが、要するに、モノが増えるには、それなりの背景があるということです。
実は、この背景こそが肝心なのではないか、というのが、今回言いたいことです。

モノを沢山持っているタイプにも、いろいろあると思います。
一つは、筆者の周りには多いのですが、趣味が多くていろんなことをしているので、あれも必要、これも必要と、必然的にモノが増えてしまうタイプ。これは別に問題ないと思います。当人も精一杯整理整頓を心がけているのでしょうが、家のキャパシティ以上に当人のキャパシティが豊富なので、致し方ありません。問題は、モノが多いことよりも、どうやってそれを使いやすく取り出しやすくするかで、これは当人の工夫次第でしょう。

もう一つは、少し病的に心配性で、モノの価値とか好き嫌いにあまり関係なく、あれもこれもと溜め込んでしまうタイプ。あんまり一般的には知られていないようですが、筆者の周りでもしばしば耳にします。トイレットペーパーを際限なく溜め込んで、玄関のドアが開かなくなり、裏口とかベランダの窓からやっと出入りしているとかいう話もあります。
こちらは問題が大きくなる一方で、近いうちに身動きが取れなくなってしまうでしょうから、家族の手助けが必要でしょう。

理由はあれやこれやといろいろあると思いますが、筆者は戦後のモノのない時代の生まれなので何となく思うのには、モノを沢山買ってしまう人は、もちろん筆者も含めて、はっきり言えば貧乏人なのではないか、ということです。

元が貧乏だから、あれも欲しいこれも欲しい、お金が入ったらあれを買おう、安いのを見つけたら買い逃さないようにしたい、とつい買ってしまうわけで、この性癖はなかなか消えません。捨てられないのもこの変形で、根っ子は同じです。

これはあながち悪いことではありません。みんな今よりも生活を良くしよう、と懸命に努力して、働いて得たお金で欲しいものを買うわけですから、向上心の源でもあり、素敵な良いものを手に入れて家族の喜ぶ顔が見たい、という愛情の証でもあります。そういうエネルギーが無ければ、そもそもの人間のなりわい、社会活動も無いわけで、これは古今東西、同じな筈です。

子供の頃から家が豊かで何でも買える立場だった人は、意外にモノは欲しがりません。これは、小金持ちや成金には無理なことで、本当にお金の心配をする必要のない人だけです。
資産があればいつでも何でも買えるので、セール品を急いで買う必要もありませんし、モノを溜め込む必要もありません。合理的にサッパリとモノのない生活が出来るのは、本当に生活に不自由のない人だけです。

そういう意味では、世間の人は大部分が貧乏人ですから、持ち慣れないお金を持つと、家に溢れるぐらいにモノを買い込んでしまい、全然使えなかったりします。

こういう具合に、根っ子の部分でまだモノへの欲望、こだわり、良く言えばモノを買うことに張り合いを感じている人に対して、断捨離を主張しても、果たして本当に解決になるのだろうか、という気がします。
表面的にモノを少なくしても、当人が心の奥底で、意識というよりも本能の部分でモノが欲しい以上、無理をする必要はないと思います。

リバウンドはしない、という方もあるとは思いますが、捨てる時のモノの値段を計算すれば買わなくなる、とかいうのも、一種の脅しや我慢に近いものがありますし、モノが欲しくなる本当の根っ子を無視したやり方は良いものだとは思えません。
ましてや、誰それはモノの無いサッパリした生活をしているとか、偉人の誰かがこう言った、とか言うのもおかしなことだと思います。

あくまでも私の考えですが、物が生かせない、取り出せないほど買ってしまうのは馬鹿げていますが、買いたいものを我慢する必要はないと思います。
また100均の製品を使って収納棚を作る、とか、あれも全く感心しません。ある程度の収納方法を工夫することは必要ですが、100均は考えものです。
もともとの欲しがる育ち、買いたい病を卒業するには、身近にしっかりした良いものを置いて豊かで豊穣な気で充たさないと、100均のものを身近に置いておくのでは、身の回りが貧しくなってしまい、安物やセール品を沢山買う病気が昂進してしまうだけではないでしょうか。

今後、何か買う時には、まず捨てる気になれないような良いものを選ぶ、というのも一つの方法ですが、それは高かったからではなく、本当に好きになれる、自分が愛着を持てる、自分にピッタリで使い勝手の良いものを選ぶということで、このほうが自然な断捨離につながるきっかけを作れると思います。
しかし、シンプルを目指すという方向も、無理にする必要はなく、シンプルライフを目指すにしても、どこかに我慢があるのは好ましくないと思います。
我々はほとんど全員が貧乏人なのですから、物をあれこれ買いたいというのは当たり前のことです。買えばスペースが無くなりますから、買ったり捨てたりにいちいち罪悪感を感じる必要はありません。
でもなるべく長く使えて愛着の持てる良いもの、また使い勝手の良いものや好きなものを優先するようにすると、貧乏人体質が改善されて(笑)、そういう悩みも消えてゆくのではないでしょうか。

「2013年5月記」

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