風水学講座:目次

占い業界の昨日・今日・明日


風水学とは、占いとは何なのか?高島易断の正体とは?風水は占いの一分野です。盲信するものでもなく、馬鹿にするものでもありません。風水学をはじめとした東洋運命学を学び、占いとの付き合いかたなどを根本的に考え直すことは、あなたの人生にとって違う物の見方を開くことでもあります。占い業界の裏話を含め、経験豊富な筆者が、従来とは違う角度で真実を語ります。


風水学講座の構成

この「天の巻」はどちらかというと、あんまり風水学講座らしくないかも知れません。
早く風水の内容を知りたい人にとっては、抽象的な話が多くてもの足りないかも知れませんが、実はこの講座が、一番大切なのです。
占いという一本の細い藁でもって、人間の運命という果てしのない大海に漂い出るにあたって、いったい自分が何を知っているのか知らないのか、自分が今どこにいるのか、少しでも明らかにしておくことは決して無駄にはならないでしょう。
それどころか、いざという時に、灯台の微かなともしびを探す手立てになってくれるはずです。

方位の吉凶、家相の善し悪し、人間の相性……、そんな勉強は急がなくても、必ず出来るようになります。急ぐ場合は出来上がった暦を見るか、僅かな料金ですから筆者に鑑定の依頼でもされた方が、簡単で間違いがないのです。でも、間違った本に手を出したり、詐欺まがいの占い師や霊感商法などに引っかかってしまったら、何にもなりません。そこを見分けるのは、運と人柄と、プラスαですね。
結果を急がずに、足元を固めてから、正しい知識を養いましょう。

さて、この講座は三部に別れます。
天の巻
地の巻
人の巻の三部構成です。

他にもタイプに応じて、女性の為の風水学、ビジネスに生かす風水、一人暮らしの風水その他があり、通信教育もしています。

天の巻では、主に風水学の概要や取り組む上での心構え、陰陽五行の理論など、観念的なことが中心になります。
地の巻では、風水学の内容のうち、陽宅風水といわれる家相を主に扱います。家相の判断、地相の吉凶などです。この分野では、もう一つ隠宅風水と言われる、お墓のことを扱う風水がありますが、将来はこれも取り入れていきます。ですがまず、生きた人間の住まいである「陽宅」のことを学びます。

人の巻は、主に方位の見方を注意にします。このサイトの風水暦を使うにしても、方位の見方をきちんと学ぶことは必要ですので、ぜひ正確に読んでください。
それ以外にも、幅広い意味での風水学で、人相の判断もしますし、仙道五術といわれる風水の応用実践も扱います。少々アトランダムな嫌いはありますが、できるだけ皆さんの要望を入れていくようにしたいと思います。

占い業界の現実

第一回目はまず、占いという、魑魅魍魎の坩堝のような世界を見渡してみたいと思います。
風水学とはもちろん、世間では占いの一種としてとらえられていますし、このサイトも風水占いとして登録しています。
しかしこれは日本の特殊事情であって、海外では少し事情が違うようです。
英語の検索エンジンでは「エコロジー」として出るところを見ると、人間学や環境学の一種としてとらえられているようです。
英語が得意でないため材料不足で申し訳ないのですが、筆者が知る限りでは、このところ(1998年〜2000年前後)の風水ブームは、実は欧米が火付け役なのです。
日本が欧米化する過程で捨て去っていたものが、西洋文明の行き詰まりから欧米社会で見直され、それが日本に逆輸入されたものなのです。

そしてこの、風水というものが占いの一種と見なされているところにこそ、日本社会の様相が垣間見えるようです。
中高年で、特に地方出身の方はご存じだと思いますが、日本では医者、弁護士が少なく、変わりに町の津々浦々に「おかみさま」(お神様の意か)と呼ばれる、占い師行者(ぎょうじゃと読み、祈祷師のようなもの)を兼ねた、半僧半俗の人が必ずいたものです。

いや現在でも、かなり健在です。
この人達は、子供の名付け、家の普請の吉凶判断、病気治しから縁談まで、それこそ何でもかんでも、人間社会のありとあらゆる局面に登場します。自分で決めるのが心配なことは、一応「おかみさま」にお伺いを立てるというわけです。
この歴史というか習俗は、迷信と馬鹿にできないくらい、日本人の習い性となって深く根を下ろしており、それなりの役割を担っているものです。現在でも、老若男女を問わず何か困ったことや迷いがあれば、最終的には占い師のところに問題が持ち込まれることが多いのです。若い人が何かにつけて占いを見る、新宗教に入るというのも、同じところから来ているような気がします。

それが、何か霊の乗り移ったような、マカ不思議な祈祷師ふうを好む人もあれば、本を出していてインテリだということにステータスを求める人もありますが、根は同じだと思います。
その相談内容というのは、宗教で言われるとおり、やはり「貧・病・争」に集約されるようです。そして驚くばかり深刻な問題が持ちこまれることも多く、見当違いも数多く見受けられます。これは、じっさいその現場におりますと、明らかに警察や弁護士の守備範囲だったり、もっと多いのは精神科に属することです。
ただ見逃せないのは、相談者の中には社会的にも相当しっかりした人物も多く、事情を聞いてみると、なるほどこれでは他に頼るべき場所はないだろう、と思われるケースが少なくないことです。


奇跡は存在するのか

それでは、警察も医者も弁護士も解決できないことを、占いなり何なりで解決できるのか、と問われれば、実は条件つきながら、かなりの程度まで可能なのです。
あんまり一般に知られていないのは当然だと思いますが、医者が自分の病気を祈祷によって治そうと試みる例は多いのです。
また、超能力でも何でもなく、誰でも出来ることですが、改名した途端に運命の風向きが変わってきた、という人は、本当に数多く見受けられます。
筆者のように、かなりドライで合理的と自負している者から見ても、この世の中には、一種の説明のつかない力が働いていることは、確かなのです。

科学、科学と言いますが、じつは現在の科学で説明できないことはあまりに多く、それに無理やり何かの説明を当てはめたり、該当しないものは否定してしまうというのは、乱暴ではないでしょうか。
占いや宗教に凝ってしまう人には、文科系より理工系の人が多いのも、何となく分かるような気もします。誰よりも強く、科学万能主義の限界を感じていらっしゃるからではないでしょうか。
そもそも科学の定義というのは、経験に基づいて、一定の方法によりものごとを再現できる体系を究明することの筈です。それが「何故?」ということにまでは言及していません。星占いでも姓名判断でも、盲信は禁物ですが、一つの体系として学ぶべき部分は十分あると思います。

私はもともと、超常現象というのにあんまり興味がなく、目に見えないものを当てにするのは好きでないのですが、占いと宗教、超常現象とは、どうしても切っても切れない関係にあります。
何故かと言うと、いくら占いが高い的中率を誇っても、人を幸せにすることは出来ないからです。何かの解決法を提示できなければ、運命鑑定を引き受けることはできないでしょう。
しかし、運命というどうにもならないものを相手にしている以上、最後の手段は超能力しかなくなります。これは本当に、それ以外方法がないのです。これをあっさり否定できる方は、人間がよほどドライなのか、これまで全て順調にきて、何の憂いもないのでしょう。もっともそういう方は、占い師の所には行かれないと思いますが。
他に手段がない以上、役に立つなら何でも使ってしまえ、というのが、私の本音ですが、やはり盲信は禁物で、私のように頑固な人間でなければ見えないこともあります。
しかしここで、占いの弊害についても述べておきます。


占いの危険性

占い好きな人に総じて言えることは、被暗示性が強いということです。
これは、しょっちゅう占いを利用しているほど強くなります。そして最後には、とんでもないインチキ占い師や宗教にひっかかってしまい、家族を泣かせる、という結果にもなります。
私はまず最初に占いの現場を見て、精神病のあまりの多さに驚き、これを何とかできないものかと、催眠療法に手を出したことがあります。きちんと医学博士について学び、インターンも勉め、医療催眠療法の資格を取りました。これは、筆者が30台のことで、1980年代〜90年代のことです。この経験を通じて、何かに頼るということは、結果はもっと悪くなるということに気がつきました。
催眠療法はその場では確かに効果があるように見えます。しかし、占い依存症以上に被暗示性の強い、独り立ちの出来ない人間を作り上げてしまうのです。
それで、きれいさっぱり捨ててしまったのですが、占いもあんまり鵜呑みにして行動するようになると、同じ結果を招きます。しかし現実には、無視することのできない不可思議な力がある以上、どういう風につきあっていけば良いのでしょうか。

一番良い方法は、占いを自分で学ぶことです。この場合の「学ぶ」とは、方位の見方などのノウハウを覚えるだけでなく、単なる「占い」を「運命学」という理念を持った学問にまで高めることです。これは占いじたいのレベルアップもさることながら、ツールとして使う部分、盲信として切り捨てる部分、そして人生哲学として身につける部分を、はっきり見極めることでもあります。
そうすれば、現実と照らし合わせて自分で考え行動することができ、妙な霊能者や宗教団体ににひっかかって人生を棒に振ることもないでしょう。そのため、この「天の巻」が大切なのです。

この「天の巻」の各章では、風水その他の占いを、道具として使いこなすための、あなた自身の心身を養うことをできるだけ書きたいと思っています。道具はあくまでも道具でしかなく、神でも仏でもありません。それを使う本人がしっかりしていなければ、どんなに切れる刀でも、間違って自分の身を傷つけてしまうことにもなります。
このサイトでは、さまざまな場所でこれらの心構えについて述べてゆきます。この心構えをおろそかにしないで下さい。
結果を急ぐあまり、木を見て森を見ないと、結局は無為に終わりがちです。きちんとで理解しないままに、結果を優先すると、こういう傾向が出てきます。人生はほとんど不透明、灰色で占められています。マニアックなのも良いですが、人の運命なんてそんなに単純なものではありません。右の物を左にやるようには動きません。少し距離を置いてみると、また違うことが分かってきます。


占い師の現実

また、この「占い」をプロとして使いこなしている、占い師という職業の人について少し触れておきます。
お金儲けのためにしろ人助けにしろ、プロはプロですから。
占い師にも、街頭の易者からデパートの派遣占い師、本を出版してマスコミで活躍している人までいろいろあるのですが、風水ブームの前までは、占いというと、まず思い浮かぶのは「高島易断」でした。
この「高島易断」については、必ず正確な知識を持っておいて戴きたいのです。
あまりに有名な「高島易断」ですが、あちこちに「高島易断総本部」というのがあり、初めて聞く人は、なるほど本部なら信用できるな、と思いがちですが、どっこい、「高島易断」も「本部」も、本人が名乗るほかは存在しないのです。

広辞苑で結構ですから、開いてみて下さい。「高島嘉右衛門」という項目があります。これが本来の「高島易断」の出典です。
この高島嘉右衛門という人は明治維新の時の実業家で、東京−横浜間の鉄道の敷設、その他多大な事業を成し遂げた方で、東横線に「高島町」という駅がありますが、これはこの高島嘉右衛門にちなんだ名称です。

この方は実業家であると同時に、大変易学に造詣深く、筆者なども本当に爪の垢でも頂けたら、煎じて飲みはしませんがお守りに持っていたいぐらいなもので、本当の意味で四書五経に通じた「易学者」でした。
この方が著したのが「高島易断」という著書で、的中率たるや並外れていたそうです。日清、日露戦争の経過、伊藤博文暗殺を予言したことで更に高名になり、最後は自らの死期を予言したそうで、「易者」に止まらず「国士」と呼ぶにふさわしい方でした。

そしてこの「高島易断」という書名が後世に残り、易学の代名詞のようになったのですが、どこにでも利権を見出す輩がいるものです。
街頭の易者というと、机と提灯を出して店開きしている光景が思い浮かびます。荒俣宏氏原作の「帝都物語」では玉三郎が演じていましたが、あの街頭の商売というのはアンダーグラウンドのテナントで、出店料がかかります。いわゆる「ショバ代」ですが、これを仕切っているのがテキ屋(香具師=やし)組織です。
「高島易断」のブランドを使う易者は、それなりの経費を徴収されることになってしまったのです。
早い話が、現在「高島易断」という名称を使っている易者は、全てテキ屋とその上部組織につながりのある人物だということです。本来の「高島易断」とは、縁もゆかりもありません。

少し怖くなった方があるかも知れませんが、面白いところもあります。あのテキ屋というのは師弟関係が厳しく、アメとムチでもって、けっこう社員教育もしっかりしており、礼儀作法は教え込まれています。(いるはず)
大道芸のルーツでもあり、特に啖呵売(たんかばい)と呼ばれるそれは、独特の芸術としての価値さえ持つものです。
筆者の元にも、妙な成り行きから少し資料がありますので、別のコーナーで一部紹介するかも知れません。こういう具合に生態を見るには面白い存在ですが、やはり法外な料金のせいで敬遠され、いろいろと問題も引き起こしているようです。
それでは、本を沢山出している高名な先生なら大丈夫かというと、料金の法外なこと、テキ屋顔負けの方もあり、マスコミの知名度と占い師の実力は全く比例しないのです。

しかし、比例しないのが当たり前なのかも知れません。
筆者の知る例でも、さる正当な宗派の高僧でしたが、この方は本物の霊能者で、嘘も隠しもない第三の心眼の持ち主でした。
ところがマスコミで有名になるや、銀座の高級クラブに出入りするようになり、ついには競馬の予測をし始める始末でした。どんな方でもしょせんは人間ですから、こういう迷いの出る時期があるのは致し方ないとは思います。その時期を乗り越えてこそ力も安定し、本物になるのでしょうが、この方はどうやらそれで終わりだったようで、その後消息を聞きません。
有名になることの陥穽に、見事はまった例です。ですから、超有名だから、という理由で本でも何でも鵜呑みにせず、自分の判断でもって、何を信じて行動するのか、見分ける訓練をして下さい。


自分をつくる

そしていったん決めたら、今度は迷わずに、とことんその方向でやってみること。
傷つくことを恐れずに、腹をくくってエイッと飛び込むことも必要です。誰でも、一種の第六感のようなものを持ち合わせています。筆者もいろいろ分析したり調べたりはしますが、人間に関して、また最終的な局面では、自分の直感を大切にします。お蔭でいろんな目に会ってきましたけれど。

その「よるべ」とすべき直感を研ぎ澄ましておくには、自分自身が心身ともに健康、かつ清浄でなければなりません。
そこから、超能力も人生の幸福も生まれます。筆者が目標にしているのは、じつはこの方向なのです。それができたら、あとは何にもいらないくらいです。
占いというワケの分からないものに接するに当たって、この業界というのは、よく言えば人生経験の豊富な、別の言い方では海千山千の集まっているところですから、占い師の真贋を見分けることができるようになったら、あなたも人間としての目が開けてきたと言えるでしょう。
この天の巻は、直接的な風水の知識を蓄える以上に、そういう感性を磨くきっかけを提案するものだと思って読み進めていただければ、幸いです。

(1998年記述)

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