風水学講座:目次

私見・五黄土星の社会現象



年末になると毎年恒例のように、さまざまな分野で社会情勢や景気の予測がなされる。中でも東洋運命学関連でよく取り沙汰されるのは、五黄中宮の年である。
曰く「五黄中宮の年には大災害が多い」「五黄中宮の時期に不動産をいじってはいけない」
次の五黄中宮の年は2004年ですが、現在すでに、将来の不動産購入、移転の計画を立てるにあたって、2004年は視野に入れるべき時期に来ている。そこで少し、五黄土星という星、五黄土星の時期の現象などというものを考えてみたいと思う。

さて、筆者の日常はあいも変わらずドタバタしているが、通信講座の過程もだんだん進み、五黄の章にきたところで、セオリーどおりに歴史を調べて五黄の年にどんな事件があったかを羅列しようとした。(この辺り、ちょっと工夫不足の感)
だって、普通ですよね?九星気学関連のほとんどの本に、「五黄の年には災害が多い、不動産関係に注意せよ」と書いてあることだし。
確かに関東大震災は、五黄の年の五黄の月に起こっている。五・一五事件も確か五黄だっけ。
あとは……他に何かあったっけ??

「五黄の年には戦争、震災などの大災害が多い」と断定する為には、他の年よりもかなりの高率で大災害が起こってもらわねば(不謹慎発言だけど)困るよ……。



五黄中宮の年には

そこで、マメでない筆者としてはメンドっちいけど、わざわざ<講談社・20世紀全記録>を購入して、五黄中宮の年にどんな事件があったか、ザーッと駆け足で眺めてみる。


そうか……、まあ、こんなもんかな。
いちおう、大事件は起こることは起こっている……。でもこれじゃあ、忙しいからって、ちょっと駆け足すぎるし、少し期待はずれ。(何を期待してたの?)これだけかなあ……。

本当は、良いこと、悪いこと全部、一定の基準を定めて、社会的に影響の大きかった事件を、毎年羅列しなければ意味ないでしょう。それでないと、他の年に比べて事件が多いかどうかは断定できないでしょう。こういう抽出のしかたでは、オドシの為に自分の理屈に都合の良い部分だけを羅列するやりかたと変わらん。誰か暇な人、やってみませんか?
しかし一見して、五黄中宮の年に、他の年に比べて極端に事件が多いだろうか?
どうもそうは思えない…。事件は毎年起こるし、そんなに五黄の年に集中してる?



余談と脱線

この本には1905年以降しかないけど、あらら…1905年乙巳年って、これはいきなり、タオの父親が生まれた年ではないか。とすると、事件なのかどうか…大したことはなさそう。

そうだ、思い出してしまった。余談だけど、タオの父は1923年関東大震災の年に、九州の片田舎から東京の学校に遊学していたそうである。何の学校かというと「南洋植民学校」
平成の今となっては何が何やら分からない時代錯誤のお話だけど、ま、福岡の玄洋社思想の流れでしょう。トクさん、自分の作った詩がこの南洋植民学校の校歌になったんだ、とかよく私に自慢してたけど、まあ、この時代に九州から東京の学校に遊学するってのは、けっこう大ごとではなかったかと想像する次第。新幹線も航空機も通ってないですからねえ。

それで、余談のテーマはというと…1923年9月1日、父が関東遊学を終えて帰福する途中である。静岡県付近で父の乗った列車が急停車して、突然周囲が慌ただしくなる。なにごとかと尋ねると、関東大震災の一報。
昼過ぎに静岡付近だし、一日にそう何本も九州行きの列車があるわけはないから、おそらく朝、東京を発って、間一髪で震災遭遇を免れたものだろう。帰福がもう一日遅れていたら、タオも現在この世に存在しなかった可能性もある筈で、この話は「爺や」と言っていいぐらい年の離れた父親から、よく聞かされたものです。
(何でそんなに年が離れてるかというと、第二次大戦があったので、終戦後引き上げて来てから結婚してタオが生まれたため。この時代の人は、戦争のために家族の年齢や婚期がアンバランスになっていることが多い。父は電機技術者なので、戦時中ずっと、満州で機関車製造に従事していた)

また脱線したけど、五黄中宮といっても、どうも他の年に比べて大事件が多いという印象がない。ただし、一定の傾向は見受けられるようだ。
例えば1968年のキング牧師暗殺、ロバート・ケネディ暗殺、日大全共闘結成は政治関連だし、1986年のチャレンジャー爆発(1月だけど)、ハレー水星接近は天文気象に関連している。年によって一定の傾向があるのは、たぶん他の年も同様でしょう。
しかしどうも、比率から言って、五黄の年だから大事件、と決めつけるのは早すぎるような気がしてきた……。



運勢とデータ・統計

一方、じつは筆者が前から考えていたことがあるので、今回少しその問題を考えてみようかと思い立ったのである。
それは、国の動向は、時の政権を握る人の運勢、またはその持っている何らかの要素と拘わりがあるのではないだろうか、ということである。
しかしこれも、データのはっきりしている近年の歴史と首相との関係では、大した収穫はなかった。(一応調べた)
一国の首脳の地位まで登り詰めるとなると、運勢が弱くては上れない。政権が長続きするにはそれなりの運勢を持っていなければならないので、当然と言えば当然だろう。
しかし実は、筆者がここに着眼したのは、単なる運勢のことではなく、神霊的な要素を考えてみることが目的だったのだ。「何らかの要素」というのは、ちょっと勿体つけて小出しにしてみただけ。

運勢だけであれば、いわゆる占い式のこじつけをしようとすれば、いくらでも出来る。
「運勢の強い首相が座っている時には国は発展するが、弱い首相の在任中には発展しない」「いや、運勢が弱いように見えるが本当は強かったから経済が発展している」これではしょうがない。

よく、占いはデータだとは言うが、筆者はこの占いデータ説は、あまり大きな声では言わない。「私の見た範囲では」と時々言うぐらいだ。
実際は、かなりの部分はデータ的な裏付けはできているのだが、データ、統計となると、サンプル数、サンプル抽出法、判断基準をきちんと公表できなければ統計としての意味がない。サンプル数がどれだけあれば統計に基づいていると言えるのかは知らないが、私は正直言って今のところ、いわゆる占いの本で「3000人の統計の結果」と書いてあると「じゃあ、その統計を見せて」と言いたくなる。
占って貰いにくる人、有名人、芸能人ばっかり相手に統計取っても、筆者は認めませんから。だいいち、運勢なんて、事後の追跡調査をどうするっていうんでしょう?五黄殺に行ったら、必ず倒産、破産、一家心中って書いてある本もあるけど、これを「統計の結果」というのは、かなり、どころかメチャメチャ乱暴だと思う。
そんな悲惨な状況になったら、みんな行方不明じゃないですか?

良縁成就の方位に行って、「目出度く良き人と巡り合って結ばれました!つきましては子供の命名をお願いします」と言って来るならば話は分かるけど、追跡調査できる範囲にいる人が、本の通りになったとは思えない……。
そんな見せられない統計から他人が導き出した結論を鵜呑みにするよりも、自分の経験則を信じた方がまだマシである。
こんなことを言うと、占い師の先輩にお叱りを受けるかも知れないが、ま、筆者はアンダーグラウンドの独立路線だし、師匠もいないから勝手でしょう。



社会現象の遠因は

本題に戻すと、前から思っていた説とは、その時の政権担当者の宗教感覚と、その国の運命には拘わりがあるのではないか、ということである。
筆者は宗教家ではないのだが(いちおう)、何をするにつけても、人間の一番根本は宗教性だという気がして仕方がないのである。

自分で言うのも何だが、体質的には合理主義だし、霊感体質のようなこともまるっきりない。昔から不信心だし、先祖を拝むのも神参りも好きな方ではない。
自称霊能者という人がいたら、まず第一番に「精神分裂症ではないか?」二番目に「詐欺師か誇大妄想狂ではないか?」三番目に「何か仕掛けはないか?」四番目に「自分の眼が老眼ではないか?」と考え、さらに、「その状況によって得をする者がいないかどうか」と、周囲の事情を考える。
そうすると案外、家族にリサーチ会社をやってる人間がいて、霊能によって見えたことは、全て予め調査済みであったことがわかる。(一時テレビで名を馳せたガイジンぽい顔のオバサン霊能者でいるよね)

その可能性が全て否定されてしかる後に、初めて神霊現象(心霊現象はここでは話題にしていない)というものを考える。この疑い深くシラケた観察の結果、この世には、人知では否定出来ないある種の働きは確かに存在する。
それは、私の棲んでいる世界では、ベッドが宙に浮かぶとか首が一回転するという種類のものではないが、人と人との出会いと別れ、さまざまの現象のタイミングや方向性、栄枯盛衰を注意して見ていると、如実に見えてくる。これが、運命というものだろうと思う。

一国の政権を担当するほどの人は、当然、一般人と違って運勢は強く、この神霊的な世界に拘わる度合いも強い。当人が信じる信じないにかかわらず、である。
その力の度合いというものは、別に靖国神社に参拝するしないにかかわらず、その人がどれだけ高い使命感を持ち、高い天佑神助の守護力を受け、国の為を思って身を粉にするかにかかってくる。その人がいくら能力があっても、間違った思想背景を持っていては、高い天佑神助は望めず、それどころか悪いものを呼び寄せ、それは国全体に良くない影響を及ぼすだろう。
逆に、その人個人の能力はそれほどでなくとも、正しい意識と強い使命感さえ持っていれば、能力はいくらでも後から付いて来る。全部自分でやらなくとも、有力や後援者やブレーンはいくらでもやって来るだろう。



社会党政権のせい??

話は戻って、私が近年、政権担当者と国運の関係を強く意識したのは、村山富市氏が首相になってからのことである。
日本で初の社会主義政党の総理を据えたとたん、わずか数カ月の間に、阪神大震災、地下鉄サリン事件と、近代史に大きく残る、類を見ない大事件が勃発してしまった。


★時間を追って上げると下記の通りになる。




わずか1年半ばかりの在任期間だったが、この間の村山首相の心痛はいかばかりかと、個人的には村山氏を好きだったこともあり、気の毒に思っていたので、よく覚えている。
しかし、それとこれとは別で、いくら日本が、首相はただの飾り物でしかない官僚国家とは言え、初めて社会主義政党の総理が誕生した途端に、日本国中がおびえて暮らすようなあの有り様は、いったいどうしたことだろうか。

ゴルバチョフが、あれだけ広大なソビエトを、急に強引に「共産主義やーめた」と言い出すのと日本では、事情が違う。いくら社会主義の首相が誕生したとはいえ、日本は日本であり、ソ連、中国が180度方向転換したのとは体質が違って、急に日本全体が社会主義になる訳ではない。
だから別に、さしたる変化はないだろうとタカをくくっていた筆者は、違う意味で驚いていたのである。村山ファンには非常に残念な結論と言わざるを得ないが、やはりこれは、共産&社会主義は日本の神々には受け入れられないのだろうか……?
つくづく、宗教感覚とは恐ろしいものだと思ったのである。

ここで断っておくと、宗教という言葉を使ったのは、思想、哲学とほぼ同義と思っていただいて構わない。よくインテリが宗教=イデオロギーだというような言い方をするが、インテリでない筆者も、全く違う観点から同義語だと思っている。
どう観点が違うのかは、ここまで読んできてお判りですよね。わかんない人いるかな?
筆者と同じ高卒の人はたぶん理解できると思うが、大卒や院卒が理解できないといけないので、念のために書いておく。
インテリは、「宗教はイデオロギーと同じだから、宗教には超自然的な要素は全くない」と言っているのだが、筆者は「イデオロギーは宗教と同じだから、イデオロギーにも超自然的な要素がある」と言っているのである。わかった?

宗教感覚というのは、どこかの教会や神社仏閣に行ったり、いわゆる宗教団体に入ることではない。その人の持っているものの考え方、特質、方向性などを指すので、文化のカテゴリは別であっても、政治理念や思想哲学と宗教は密接につながりがある。
ついでに幅を広げれば、音楽や美術、文学なども宗教と深くかかわってくる。
西洋音楽を系統だてて学ばせ、発達させてきたのは、エンターテインメントの分野ではなく、教会音楽だし、美術の発展も教会の宗教画が軸としてある。文学にも当然あるが、さすがにこれは、言葉という、人間に普遍的なものを扱う分野のせいか、宗教からスタートして宗教を批判脱却するテーマになっているものも多い。

徹底的に西洋音楽を学び、留学などした人は、必ず「音楽だけを純粋に学べばいいと思っていたが、やはり音楽と宗教には密接な拘わりがある」と言う。
もちろん、これらの芸術は、宗教と離れても、人間が存在する限り存在し得るが、量から言うと、布教の手段として使われてきたものが圧倒的に多いだろう。

こういった過程を経て、筆者は国の命運を見るには、単純に干支や九星や天文の配置だけでなく、政権担当者や皇室の状態=それも心の状態までも見なければ、うっかりしたことは言えないと思っている。じつは村山首相誕生の陰に、伏線として皇室の変化がある。
だが、奇々怪々五黄土星の章、日本の奥の院の秘密に迫るスキャンダルは筆者の脳裏に眠らせておいて、このサイトがいつの日か地下深く潜入してフリーメーソン化する日まで、おあずけ!

★少し話は少しそれるが、筆者は風水学を実践していても、決して中国伝統の風水が良いとは思っていない。これは、日本の地形、気候風土には日本家相が合っていて有利ということもあるのだが、中国の体制にも大いに関係がある。
毛沢東の文化大革命と四人組政策によって、中国は完全に社会主義国となった。わずか十数年ほどの間に、徹底的に伝統文化は破壊しつくされ、一部が台湾や香港に難を逃れて残っているのみで、それも真贋のほどは定かではない。
政治的な事情はいろいろあろうが、国全体がこういう状態になるということは、やはり国や国民の体質と深い関係があると思う。よく、中国人はエピキュリアンだというし、そのために健康で金持ちになって子供を沢山こしらえて長生きする、という方法を徹底的に捜し求めてきたことは事実である。仙道五術に学ぶことは「物質面では」非常に多い。いや、はっきり言えば「利用できる」部分は多い。
しかし物心帰一と考えれば、日本には日本独自の精神文化があり、陽宅風水にしても、中国風水を元に大幅に日本独自にアレンジされてきた歴史がある。現在、いたずらに本家本家と追い求めるのは、外国コンプレックスのようにしか思えず、現在の中国に仏教や風水の原点を求め珍重するのは、無意味に思えてならないのである。

筆者の友人の中国文学者も言うが「日本人は、『あなたが好きだから友達だ』と考えるが、中国人は、『私お金持ち、あなたもお金持ち、だから友達』と考えるね」ということだ。
少し話が卑近になったが、日本家相のほうは、中国風水とはとても同じものとは思えないほど独自の発展を遂げているので、これはこれで貴重なものである。
このサイトで紹介しているのは、日本家相に中国風水をミックスしたものと捕らえていただいて構わない。筆者が「風水」と銘打っているのは、少し幅広くとらえて「陰陽五行学」に近い意味合いなので、誤解しないで頂きたいと思う。
タオの風水学教室TOPサイトマップ  関連項目:ビギナーの風水学 風水巷談
現在このサイト内にいる人は 人です♪
Copyright (C) TAO AllRightsReserved.
http://www.kumokiri.net/