風水学講座:目次

サバイバリストの内包するもの

新しい企画の為に、人の命式を調べたりしていて、ある実例を思い出しました。当時はかなり注目されたものですが、かなり古い話なので、若い方はご存知ないかもしれません。
今更感もありますが、最近も何度か再現ドラマが放送されたことですし、少しだけ紹介をした上で、それをタオ流にどういう解釈をしたかを、お話しましょう。


残留日本兵の帰還

1972年のことです。衝撃的なニュースがテレビと新聞を賑わせました。
グアム島で発見された、元日本陸軍の一人の兵士が、28年ぶりに帰還したのです。
それも、現地グアムで生活していた日本人が、久しぶりに帰って来た、というのではなく、当人はまだ戦争が続いていると思ってグアムに隠れ潜み、文字通りのサバイバル生活を送っていたのを、地元の猟師に発見され、残留日本兵と判明したのです。横井庄一氏です。

その驚きもまだ冷めやらぬ1974年、また一人、残留日本兵が帰還しました。
フィリピン、ルバング島に潜伏していた、小野田寛郎氏です。

横井氏は、たまたま地元の猟師に捉えられた為、残留日本兵と判明して帰還の運びとなったものですが、今度の小野田氏も、まだ戦争が続いていると思いこんでいました。発見者である日本人冒険家が、いくら説得しても、それは敵国の謀略でそう見せかけているだけ、と思っていたそうです。

上官から任務解除の命令が届かなければ、投降することは出来ない、と頑なに拒絶するので、元上官がルバング島に渡り、任務解除の命令を伝えました。
それでも納得するまでには、かなり時間がかかりました。彼は現地で入手したラジオや新聞から、情報は得ており、戦後の日本の繁栄や、皇太子のご成婚なども知ってはいましたが、傀儡政権が見せかけの繁栄を演じているだけで、本当の亡命政権は満州にあると考えていました。諜報機関で教育を受け、ある意味で学んだことと辻褄のあう解釈だったため、なかなかその誤解は解けなかったのです。
小野田氏に対する評価や事実関係は、かなり違う意見が混在しており、後で、この一連の投降エピソードはフィクションだった、という話もあります。


それにしても、横井庄一氏は28年、小野田寛郎氏は29年です。
違いと言えば、横井氏は一人でいた期間が長く、小野田氏は同行した戦友がおり、1人の期間はそれほど長くなかった、ということぐらいです。
しかし、いくらサバイバル能力に長けた軍人とは言え、30年近い期間を熱帯のジャングルで過ごすのは、便利な現代生活を営む私達には、想像もつきません。

筆者は、二人をヒーロー扱いする気はありません。どちらも、少々癖のあるキャラクターの持ち主ですし、残虐行為もあったと噂されています。確固たる事実は、二人とも戦争の犠牲者である、ということです。
これらの行為の正邪善悪に興味はありませんが、私が興味があるのは、それほどの長きにわたって、ジャングルでの潜伏生活に耐え抜いた、二人の体質とか性格に関することです。

二人とも、ちゃんと戦後の日本で社会復帰を果たし、高齢で世を去っているので、たぐい稀な体力と意志力の持ち主であったことは間違いありません。ともかく、絶望とか厭世感によって人格が破壊されて、不慮の死を遂げるようなことは無かったわけです。
しかし、この潜伏生活に、ある意味で適応していなければ、28〜9年という期間はもたないでしょう。というわけで、命式と大運を見てみます。

お断りしておきますが、お二人をこのような形で分析するのは、本来はとても失礼なことだと思っています。いくら運命家が勝手な分析をしても、世界大戦という大きな流れの中で、自分の意思を持つことが許されず、苛酷な状況に、否応なく投げ込まれた犠牲者であることには、変わりありません。それでもなお、奇跡的に生き抜いて社会復帰も果たし、天寿を全うされた方で、一種の公人でもありますから、何か学ぶものがあればと思い、あえて分析に挑む次第です。


横井庄一氏



細かい専門的な解説は避けますが、目につく部分を重点的に取り上げます。
命式中で目につくのは、日柱の辛酉です。辛の人は利発で器用な反面、神経過敏で人間関係が難しい面があります。
辛の中でも特に辛酉の人は、合理性に富んでいて理数的才能が高く、仕事は遅いですが環境が整えば、コツコツと物事を積み上げていくことが出来ます。横井氏が生活していたという、縦穴の洞窟や生活用品にもそれが表れており、椰子の繊維で作った服や草履やロープなども、見事な出来栄えで、必要は発明の母と言いますが、ずいぶんいろんなものを作ったものだと思います。
(名古屋市博物館所蔵)

日干が辛の人の中には、非常に毒舌で辛辣で、人間関係の難しい人もありますが、九星が四緑で、月命が坤宮傾斜という穏やかな組み合わせなので、辛の中では比較的にソフトなほうではないでしょうか。
しかし、神経質なことには変わりがなく、あまり他人の中で揉まれて神経をすり減らすよりは、1人の時間も必要なのかもしれません。
それは十二運にも表れており、年柱と月柱に絶があり、空想好きで精神が肉体を離れて飛び回っているような印象があります。命式に絶を持つ人は、いっときもジッとしていられないように、冒険好きであちこち動き回る人がありますが、肉体の制約を気にも留めないかのような、精神優先の行動なのかもしれません。

グアムの28年もずっと一人でいたわけではなく、最後の8年間を一人で過ごしたそうです。
耐え難く長い年月であることには変わりないでしょうが、地道に時間をかけながら、コツコツと物を作ったりする、創意工夫に長けた人であることは確かです。所蔵品を見ますと、確固たる生活の場を築き、そこに根を下ろしている様子が窺えます。更にそこに、空想的な性格が加わったことも、ある意味で幸いして、長い時間を、自分のペースで乗り切ることが出来たのではないでしょうか。
精神的な後遺症を取り沙汰する向きもありますが、孤独に対する耐性、というよりも向き合い方は、人それぞれ、とても多様なものです。長い時間、一人でいたからおかしくなる、と決まったものではなく、空想の世界を生きて楽しむ人もあれば、その逆に、家族や他人が傍にいることが、かえってストレスの原因になる場合もあります。
人間、一人では生きてゆけない、というのは、インフラとか生産、消費の問題を除外すれば、いろんな性格の人が居ることを考えない、一方的な決めつけかもしれません。



小野田寛郎氏



こちらは横井氏とは対照的に、本命六白金星で日柱が丙戌という、闘争心が前面に出た命式です。丙戌の人は、はっきりした物言いと、隠さぬ闘争心を持つ人が多く、一つ間違うと、トラブルメーカーになる場合もあります。
白黒はっきりしており、それを通す人が多いので、普段から喧嘩腰のような物腰になってしまう場合さえあります。

かのウラジーミル・プーチン氏も同じく日柱が丙戌で、ギロり、と相手を見据える眼差しなど、気の弱い人なら、あれだけで降伏してしまいそうです。外野席から見ているぶんには面白いですが、傍にいたら恐怖でしょうし、コワモテとはまさにこの事でしょう。

小野田氏の本命六白金星は、いったん強い信念を持つと、事態が変化しても、がっつりそれにはまってしまいそうな感じがします。
剣道の選手という経歴もあり、世界大戦という当時の環境では、彼の資質はある意味はまり役で、かの有名な陸軍中野学校で諜報、謀略、潜行、破壊などの教育を受けており、まさに軍人、幹部としてはうってつけです。
六白金星の中には、常人には理解しがたいキャラクターを持つ人があり、戦争という環境下では、こういう性格が、モロに出てきて凝り固まってしまっても不思議ではありません。
フィリピンから帰還した後も、戦後日本のチャラチャラした雰囲気に馴染めず、ブラジルに渡って牧場を営んでいたそうです。

同じ残留日本兵として帰還した横井氏とは非常にキャラクターが違い、何度か二人の対談の話もあったそうですが、実現しませんでした。横井氏が、神聖な武器である銃剣を、穴掘り道具に使ったことが許せなかったった、という話で、このエピソードにも、すぐさま戦後の日本に馴染んだ横井氏と、小野田氏の性格の違いは、大きい感じがします。

命式としては、丙戌が目立つほかは、月柱の沐浴が目立ちます。いわゆる荒れ運を物語るこの星は、身近でこの星を持つ人物を見ていても、けっこうこたえる気がします。墓も二柱にあるので、コツコツと努力することもできますが、孤独の暗示もあります。
墓には、貯蓄、旧を守る、という意味もありますが、この場合は陸軍中野学校で与えられた使命を頑なに守り続けたのか、と穿った見方をしてしまいます。

小野田氏はブラジルに渡ってしまったので、横井氏に比べて潜伏期間に関する情報が少ないですが、短波ラジオで競馬を聞きながら、戦友と賭けていたとか、島の民家に押し入ったという話もあります。
その人柄や行動についても、批判的な見方をする人もあり、まさに火性の強い丙戌の特徴である、毀誉褒貶多し、を地で行っているようです。更にそこに、六白金星の変人ぶりが加われば、かなり風変わりなキャラクターが生まれても不思議ではありません。

小野田氏の29年間は、横井氏のように、地に足のついた生活を築いていくというよりも、闘いと緊張の連続だったのではないか、という想像が働きますし、それは命式にも如実に表れています。実際、投降した時に日付を尋ねてみたところ、わずか4〜5日しか狂っていなかったそうです。
もちろん、何十年も過ごすうちには、それなりに生活の基盤はあったとは思いますが横井氏のように椰子の繊維で服を作る、というようなイメージは湧きにくく、そんなことをするよりは、民家から調達してきたほうが早い気がします。

小野田氏の性格とか投降の実情は、人によってずいぶん話が違い、投降に至る一連のエピソードはフィクションだ、という話もあります。何が本当か、知る由もありませんが、筆者が命式から読み取る限り、会った時には、置き去りになった、ただの哀れな敗残兵のように見えても、本質は変わらないと思います。

このように、全く性格の違うお二人ですが、お二人に共通するのは、大運空亡の時期が、潜伏期間とかぶることです(大運表でブルーの期間)。
また、荒れ運の沐浴の時期ともかぶります。特に小野田氏は、第5運1958-1967が大運空亡と沐浴が重なり、動乱期に強い六白・丙戌だったから乗り切れたものの、少し違う命式だと、もっと大変だっただろう、という気がします。
ただし、空亡のタイプとしては、双方ともあまり強くはありません。命式中にも空亡している柱がないので、それほど強烈ではありません。

命式全体の判断は、時柱が分からないので正確とは言い難いですし、大運も誕生時間が分からないと、年単位でずれている可能性があります。拙いながらも、分かる範囲での判断をしてみましたが、人間というものは面白いものですし、そこに切り込もうとする運命学というのも、取り組む価値のあるものと思います。
今回は、残留日本兵という、かなり珍しいモデルを使って運命学の一端をご紹介しましたが、興味を持っていただけましたら幸いです。


「2022年4月記述」

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