雲切童子の怪刀乱魔TOP

TOKYOトライアングル

〜都庁舎・首都機能移転・石原都知事〜



読者は、なぜこの三つが一緒くたになって論じられようとしているのか、単に字数かせぎか、と思われるかもしれない。それとも東京に、バーミューダ・トライアングルのような謎の現象があるのか、と期待される向きもあるかもしれない。だがこれは、目に見えない世界の話なのである。
とにかく、読み終わってから判断して戴きたいのだが、まあ、新宿末広亭の世紀末特別講演でも見るつもりでおつきあい戴ければ、少しは話のネタが増えるだろう。


新都庁移転の黒幕は?

さて、新宿名物の一つ、東京新都庁舎が完成したのは、平成2年(1990年)のことである。具体案の決定は、昭和61年(1986年)に溯る。
新都庁舎といえば、話題にことかかない。風水的にいろんな問題を孕んでいる上に、石原新知事が乗り込んでからは、めたらやたらにマスコミ受けする場所になってしまった。
私などは十数年前に、タオのお母さん(つまり、ほとんどおバアさん)が、山県の婦人会からはとバスをチャーターして石原慎太郎氏の講演会に押しかけたのを知っているので、あの時の婆さん連中がどんなに騒いでいることかと、想像すると可笑くて仕方がない。
石原氏もバアサン連中の黄色い歓声で、さぞうるさかったことだろう。彼は他には、確かナマコとオカマが苦手だったと記憶しているが。

風水的な問題に関しては、私はこの際エスケープする。興味のある方は、荒俣氏の著書をひも解いていただきたい。あんなに詳しい著書が出ているのでは、私ごときにあれ以上の詳しい取材を期待されるのは御免こうむる。
ここでは私、雲切童子のテリトリー、風水の中でも一番強烈な、神霊的な呪いの要素に属する話題にご案内しよう。


ススキのルーツ

この新都庁舎が建設されたのは、鈴木都知事の時代である。じつはこれは、不思議な因縁というほかはない。
鈴木という姓は、その本姓は穂積という。熊野地方の方言では、積み重ねた稲穂のことを「ススキ」といい、穂積と書いて、「ススキ」と読む。読み間違い、書き間違いではなく、方言なのだから仕方がない。鈴木と穂積は、使用する字の違いだけで、まったくの同姓なのである。
このススキうじは、大変栄えた。熊野地方で稲が豊年万作になるや、ますますススキが多くなる。ススキ氏は偉いのである。偉いから当然、熊野の守り神、熊野権現に奉仕する社家(神主を務める家系)は、鈴木氏、穂積氏が代表として務めることになる。マイナーな姓の家は、小さくなってススキ庄屋さまに従うしかないのである。

偉いススキ氏は、日本全国に、有難い熊野権現さまの威徳を広めなければならない。
そこでススキ氏は、全国に分布する。熊野神社を建立し、それと同時に鈴木の家系も栄えてゆく。熊野神社の数と鈴木の姓は、比例して増えることになったのである。

それでは、新都庁のある西新宿をよく見てみよう。どんなにお堅い官公庁、ネオンひしめく歓楽街であっても、神社仏閣、小さなお堂というのは、その津々浦々に必ず存在するものだが、お疑いの向きは地図で西新宿をよく見て欲しい。ちゃんとありましたね。
ここ西新宿は、やはり、というか当然、霊的には完全に熊野神社のテリトリーになっているのである。
鈴木都知事は結果的に、知ってか知らずか、自分の先祖からのテリトリーに、みごと新都庁を導いたわけである。
そんなのずるい、と言っても、この際仕方がないだろう。鈴木が鈴木である限り、自然とそうなってしまうのである。渡り鳥の回帰本能のようなものだから。

さて、美濃部、鈴木、青島と続いた後に乗り込んだのが、今回の石原慎太郎新知事である。ところがその為に、ちょっとした齟齬が生じてしまった。大袈裟にいうと、対立である。
何の対立かというと、東京という都市機能と、首都としての東京の機能の間に、ちょっとした宗教的対立関係ができてしまったのである。これは意外や意外、一般の方には想像もつかない盲点だろう。

だがここまでのところでは、何のことだか全く分からないだろうから、ちょっと、基本的なところから始めよう。生活と宗教というお堅い論題だが、先があるのでちゃんと読んでほしい。


宗教侮るなかれ

よく、日本人の宗教観はいい加減だと言われる。
確かにその通り、幼稚園はキリスト教、結婚式は神道、死んだら先祖からの仏教寺院の墓に入るなど、一般人の宗教人生は、統一性がなくてめちゃくちゃというしかない。はたまた、その統一性がないということにさえ、気づいていない人が多い。

ちなみに、先年流行った「たまごっち」のバーチャル供養などを見ても、十字架の立った墓の前で、お坊さんが木魚を叩きながらお経を上げている。笑止千万、と言うには大袈裟すぎてもったいないが、考えた人の社会常識を疑ってしまう。
しかし案外これは、一般の日本人の感覚を、そのまま写しているのかもしれない。

よく、日本人は異種文化を取り入れて、全く日本独自のものにするのに長けていると言われる。本当に、なんでもかんでも取り入れて、自分のものにしてしまう。
またその一方で、「日本人はバナナだ」と言う意見もある。
このココロは、外側は黄色いが中身は白い、つまり東洋人の顔をしていても、中身は西洋人だという意味だそうだ。
果たしてこれが真実かどうか、ある事実に基づいて考えてもらいたいのだ。

いくら日本人はバナナだ、日本は完全に西洋化していると言っても、昔から、いや現代に至っても、どうしても馴染まないものが一つある。
これまで、どんなに長い迫害と苦難の歴史を辿っても、どうしても受け入れられない、広まらないものがある。それはキリスト教である。

これは統計の取りかたにもよるが、公的資料では日本のキリスト教人口は1%以下である。同じ仏教、儒教などの伝統を持つ、お隣の韓国と比べてみてほしい。韓国のキリスト教人口は、約50%を越す。その先の中国などは、伝統文化の壊され方からいって、比較の対象にさえならない。

たった1%である。これがどんなに凄いことか、善良なる一般国民の皆さんは、ほとんど認識されてはいないだろう。
「信教の自由」と憲法には謳ってあるが、この場合の日本人の自由というのは、単なる流行とかムードと変わらない。
宗教の根本的な力、影響力、恐ろしさを全く理解していない。盲蛇に怖じずである。
それにも拘わらず、あの世界一、布教技術に長けたキリスト教が、いくらシャカリキにやっても、のらりくらりとしてちっとも広まらないのである。全面的に成功しているのは、長崎の黒島など、一部の地域である。ちょっと町を歩きながら気をつけてほしいのだが、信者が1%の割には、キリスト教会の数の多いこと多いこと。世界宗教としてのキリスト教から見たら、日本は重要拠点のはずなのに、経済的には赤字もいいところだろう。

私は、この原因には二つあると思う。
一つはまず、宗教に入信する時の動機を考えて欲しい。どんな時代であっても、入信の原点は三つである。俗に貧病争といわれる。
最近ではカルトとして広がるケースもあるが、これとて、貧病争が薄くなって、どこからともなく真綿で首を占めるように絡みついている、という社会背景がある。
一般の日本人がそれほど宗教に熱心でないのは、動機が薄いからである。貧病争の度合いが少ない。早くいえば、それなりに幸せなのである。
もう一つの原因として私は、これらのメチャクチャさの根っこには、日本人の目に見えないしっかりした宗教観があるのではないか、と見ている。
「たまごっち」があんな支離滅裂の供養を受けていても、何の騒動にもならないのは、ある意味では見ている人の心が動いていない、何の影響も受けてはいないからではないだろうか。
これは、だいぶ希望的観測かもしれない。しかし今はいちおう、こだわらない事の背景には、しっかりした根っ子を持っているのだと仮定しよう。

ところが、である。クリスチャンがたった1%という、この1%を甘く見てはいけない。
この1%は、一般の日本人が気づかない間に、日本の中枢部分に深く入り込んでいる。たった1%といえど、権力の中枢部分、文化と施政のトップに深く入り込めば、すべて思いのままである。
あまり実名を上げるのはよすが、皇后付きの女官にクリスチャンが多いところを見ても、全体の構図は検討がつこうというものだ。


法華の石原登場

そこに、「首都東京のことをするのは、すなわち日本全体のことをするのだ」と言って都庁に乗り込んだのが、石原慎太郎新東京都知事である。
彼に対する一般の人のイメージは、作家であり、俳優の石原裕二郎の兄としての石原氏であるかもしれない。しかしこれらのイメージにごまかされてはいけない。氏を支える一番大切な部分は、宗教者としてのそれである。
著書の「法華経を生きる」(幻冬舎)を一読してみて欲しい。マスコミのタレント的なイメージとは裏腹に、歴代の知事、政治家の中でも、図抜けて宗教的なかたである。

世間では宗教的な政治家というと、すぐに宗教団体をバックに票集めしているとか、献金を受けているという方向に捕らえがちだ。
ところが石原氏はそんな程度の宗教者ではなく、熱心な法華経の受持者である。
弟裕二郎氏は成田山の信者だったが、早く他界された。二人の宗教生活の明暗が、そのまま実人生に反映されたかのような人生航路である。
今回、石原氏が政治の世界に復帰されるにあたって、たぶん私は、法華経中に説かれる、転輪聖王(てんりんじょうおう)のことを念頭に置かれたのではないかと思う。別に、石原都知事が転輪聖王であるという意味でもないし、勝手な希望的推測に過ぎないのだが。
転輪聖王とは、仏法の理想郷をそのまま現実社会に体現する、政治家のことである。
権現垂迹説では仏が神の姿を借りて現実社会に拘わるが、これが人間の姿を借りたものだと思えばよい。王であるから人間の頂点に君臨して、国を治め仏法を行じるわけである。
私は、石原氏が圧倒的支持によって都知事に就任されたことは、日本人の宗教感覚がまだ健全であることを示した、最後の砦ではないかと思っている。

さてそのことが、なんで対立の構図を生むのだろうか。
じつはこれは、織田信長が石山一向宗や本能寺で絡んだ宗教的対立と、似た構図なのではないだろうか、と筆者は思う。
熊野信仰は念仏信仰である。石原知事の題目信仰、法華信仰と、少々ぶつかる面がある。
宗教的なことがら、特に仏教宗派内のことというのは、白黒、敵味方という構図には非常に分けにくい。
いろんな宗派、教えが、広がったり狭まったり、絡み合って微妙に解釈が違ったり重なったり、本尊にしても姿が変わったり分裂したりというように、少々の勉強では何が何だか分からなくなってしまう。
もともと、「経律論」の集大成である「大正新修大蔵経」にしてからが、百科事典くらいの本が100巻である。これを読破して自在に理解しようというのは、一生かかっても果たせない難事業である。
その中に、あえて下々の争いの元を求めようとするのは、全く下世話な行為としか言えないが、下々の喧嘩がじっさいにあるのだから仕方がない。
また、そのような争いの原因となる矛盾、教えの体系化の不十分さが、この経律論の寄せ集めの中にあるのだろう。所詮は人間の仕事である以上。


東京の宗教トライアングル

熊野信仰のテリトリーの中に建設された都庁に、まるで法華の行者のような石原都知事が乗り込んで、たるんだ都庁の役人に活を入れようとするのを嫌う、宗教感覚が蠢いているのである。さらに、これに加担するものがある。
それは赤坂の日枝神社の敷地内にある。日本ボーイスカウト本部である。
知っている人は知っているが、ボーイスカウトというのは、フリーメーソンの少年養成組織の一部である。フリーメーソンの詳細についてここでは言及しないが、有名な例では、モーツァルトの死の背景に歌劇「魔笛」の中で、メーソンの秘儀を暴露したために謀殺されたのだ、という説があることだけ言っておこう。
今は難しい解説はしないが、念仏信仰とキリスト教の教えには、どこかつながりがある。そこにキリスト教の上部団体ともいえる、この赤坂のプチ・フランマソンが加わり、法華受持者の石原都知事の立場は微妙なものになってきた。
石原都知事の強烈な法華経パワーの前に、首都機能を牛耳っていたものが、居心地が悪くなってきたのではないか。

いささか、筆者の我田引水的なものの見方である。ものごとを図式化した、漫画チックな描き方とさえ見られても仕方がない。それは百も承知の上で、それでもなお、この中には一抹の、いやかなりの真実が含まれているといっておこう。
首都機能移転は、時代の流れであるかもしれない。
しかし、ものごとを動かしているのは、あくまでも人間の心である。
核戦争もハイジャックも、ボタンを押し、引き金を引くのは、それを決定する人間の心である。
人間の心を動かす根本は、哲学、イデオロギー、その元となる宗教観である。ここを甘く見ては、首都移転以前に、国の未来はないだろう。
われわれ日本人も、外国の宗教戦争を横目に見て、我関せずという顔はできないところにきているのである。

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