風水学講座:目次

再考・五行の相生、相克論


気学ってそんなに怖い?

この章は、ここでこれまで書いたものとは少し趣旨が違うと思います。「移動で開運ってホント?」の続編のようなものだと思って下さい。
よく、気学や風水をちょっとかじりだすと、もう非常に…極端なぐらいに方位を気にしだす方があります。
もちろん、このサイトは普通の気学サイトではないというのは、皆さんもうご承知だとは思うのですが、やはり極端に方位を気にする方の質問が多いので、少し書いてみます。

もう何が何でも方位が第一、どこに行くにも方位を気にする。引越し旅行はもちろんのこと、習い事就職も、友達に会うのも、出張も契約も取引も、全て一番先に方位を見る。方位が悪ければ何をしてもうまくいかないし、吉方であれば必ずスムーズに行くに違いない・・・。

そういう確信のもとに、毎月何回か祐気取りをし、やむを得ず凶方に行かなければならなくなった場合には不安のどん底に突き落とされ、何とか方違えや方位除けのお参りを欠かさない。
じっさい、こういう方があります。気学を覚えたての方によくあるタイプなのですが、こういう方は、実際に使った方位を聞いてみると、ちっとも吉方ではなかった、という場合もしばしばあります。

相生・相克表だけを絶対的に信じ込んでいるので、いつまで経ってもそれから出られないのですね。
例の九星の相生、相克表というのは、一般的な気学の吉凶判断では、普通、相克=凶相生=吉となっています。一般的な気学と言うのは、一般書店に売っている本程度の内容ということです。一般書では、気学や風水に関しては、本質に触れたはほとんど見かけず、美味しいことや脅しに近い、デジタルに吉か凶かという記述が目につくものが多いようなので。

さらに、相生にも生気退気比和などの別があり、相生の中でも、生気は親星などと言い、自分が利益を貰うほう、一方、退気のほうは子星と言い、自分が相手を助ける方なので、吉方でもあまり効果がないのでは?というのが、通り相場になっているようです。
その為、例えば本命七赤だったら、八白土星を年月日時重ねて使ったり、本命九紫火星の方だと三碧を重ねで積極的に使ったりという、ほんとにデジタルな判断をなさる方も多いようです。(このどちらも、あまり良くないのですが…)

更には「方位取りと祐気取りは違う」だの、「次元層採り」だの、さまざまな説が流布しています。

徳の貯金説って

もう少しマニアック(?)になると、「人間には徳の貯金というものがあり、そのレベルでしか気学の効果も出ないので、徳を積むべきだ」と言う説もあります。これは確かに正論は正論でその通りなのですが、大きな落とし穴があります。

利益を得ようとして積む徳は、これは徳ではなく、神との契約であり取引です。
実はこれはキリスト教世界の考えで、「徳は天に貯金して、死後それを受け取る」という、あくまでも自己の利益を目的にした商取引と同じことです。

それでは何が本当の徳かと言うと、利益を当てにしない布施です。布施とは神社仏閣に献金することだけではなく、他人に対する良い行いが、すべて布施となり得ます。しかし、お返しを当てにした親切が本当の親切ではないのは、誰でも分りますね。布施という言葉を使わなくとも、同じことです。セールスマンがニコニコするようなものです。

となると、後は悟りの問題、と言うことになります。悟りがないと無私にはなれません。誰にも分らないところで無私の徳を積まないと、本当の徳とはなりません。なかなか、純粋な徳を積むのは難しいものです。いつも「為にする」「取引」「保身」が根底にある人は、しばらくは気学でも徳の貯金でもうまくいくでしょうが、そのうち馬脚が現れるでしょう。

徳にも段階があって、最高の徳、本当の徳は、そう簡単に貯金がなくなるようなものではなく、未来永劫にわたって自らを助けてくれるものです。漠然と言っても分らないと思いますし、このサイト内でも観音力の話やあちこちで、それに類した話をご紹介しておりますので、参考にして下さい。


徳の話はキリがないのでこの位にしておき、方位の話に戻りますが、どちらにしても、多くの人が程度の差こそあれ気にするのは、相生・相克による「吉凶」です。
自動的に相生はプラス、得、良いもの、善、好ましく為になるもので、相克は自動的にその反対と思ってしまうわけです。

そこで、親の葬式でも凶方に行ってはならない、実家への帰省も凶方位では行ってはならないのか?と言う、極端な説が飛び出します。更に、学校や会社も凶方位になっている時に行くとよくないことが起こるのではないか、と心配する人さえあります。
それでは、方位の影響というのはどの程度あるのでしょう?

方位って本当に影響ある?

一般論ばかりではつまらないと思いますので、幾つか実例を挙げてみます。まず、この作者本人のことですが、作者がほとんど祐気取り旅行をしないのにお気づきの方があるでしょうか。
だいたい、よく読むと「祐気取りに行きましょう!」とさえあまり書いていません。方位の吉凶判断などを書いているので、勘違いされることが多いのですが、筆者は祐気取りはあまり薦めていません。もちろん、引越しの必要が出た時には、慎重に方位は見ますが。
皆さんが、このサイトの内容を自分の目的に従ってお使いになっているということはあっても、みんなでどんどん祐気取りに行って幸福になりましょう、とは書いていません。

それでも、たまには行きます。2〜3年に一回ぐらいは気分転換に行くのに、吉方という大義名分があったほうが行きやすい、ということはあります(笑)。この方位と時期ってだいたい決まってしまうので、ネットでは内緒にしておきますが、ちゃんとそれなりに効果というか、影響のほどはあります。

作者がちょこちょこと祐気取りらしいことをしないのは、いくつか理由があります。一番大きな理由は、旅行が大嫌いでめんど臭いからです(笑)。家で本を読んだりダンスや水泳の練習でもしているほうが、ずっと楽しいからです。

もう一つは…この理由が大きいのですが、別に旅行に行かなくても、引越しの多い巡り合わせになっているからです。自分で無理に祐気取りの為に吉方に引越し…など考えなくとも、なんだか数年ごとに引越しするような事情になってしまい、引越しの効果(というか影響)は、方位なりにきっちり出ています。
中には凶方の引越しもあるのですが、その流れを見ると、面白い自分史になります。その他にも、後で述べる理由があります。

前回の引越しでは息子の方が主に吉方だったのですが、息子は移転して数ヶ月目に恋人が出来、結婚の運びとなりました。引越しした時期は、失恋のどん底だったのですが…。他にも吉方で旅行に行って付き合っていた恋人とゴールインした方、大きな仕事が舞い込んだ方、いろいろあります。

ただ、いくらゴールインしても、その後平和で安楽な家庭を長く築いて行けるかは、また別の問題ですね。結婚は結婚することが大切なのではなく、結婚してからが大変なのです。仕事だって、たとえ出世しても、身に余る大きな役割を背負ったら、力不足で潰れてしまいます。そうなると、前よりも悪い事態になります。じつはそういう方は意外なぐらいに多いのです。

凶方に行ったこともあります。これは記憶にはっきりしているのですが、実家の事情で西の九紫の暗剣殺で一週間ほど滞在していました。
帰ってから数日して、ふとした弾みで薬の誤飲をしてしまいました。母のものだった安定剤をサプリと間違えて多量に飲んでしまい、急にクラクラしてきたので慌てたことがあります。年月日で九紫の暗剣殺+本命殺でそれくらいで済んだのですから、めっけものかもしれませんが。

確かに凶方とされる方位を使ってしまうと、影響が出ることは確かなのですが、気学の本に書いてあるように、○年後には命を落とす、などと言うのは嘘です。だいたい、吉方、凶方という○×式判断そのものには、少々疑問があります。
東西南北の方位そのものも、ある境界線があってそこからデジタルに変わるわけではありません。方位がどっちかよく分らない場所の場合、曖昧な場所ならばわざわざ行かなければいいわけですし、所用で行くならば、さっさと用事を済ませて来ればよいのです。

方位ってなに?

それでは、方位とは○×式の吉凶だけではないとして、それでは何なのかと言うと、結論は「」です。用とは働き、作用のことで、つまり五行や九星で見る方位の影響というのは、あくまでも五行の働きと傾向であり、「吉か凶か」ではありません。

五行の傾向とその相性があり、そこから「祐気」と「剋気」が導き出されるので、この祐気と剋気は、イコール吉凶とは少し違います。祐気にあたる五行は、その人の生命エネルギーの構成要素のうち、主要な五行の働きを強めるので、吉効果となって現れることが多いでしょう。一方、剋気はその人の生命エネルギーを苛めるので、凶の現象となって現れることが多い、と言うことです。

これをもう少し推し進め、月命星や生年干支まで見てゆくと、祐気、剋気というのは一般的な相性表で割り切れるほど、そう単純なものではないことが分ってきます。
例えば、九星は同じ数だけ五行に配分されているわけではありません。この点を考えてみます。

水性と火性は一つづつしかありません。金性は六白金星と七赤金星の二つがあります。同じ金性であっても、六白金星が陽で男の星、七赤金星は陰で女の星なわけです。この二つが同じ星に遭遇して、相生でも相克でも同じ影響を受けるわけではありません。
また、木性には三碧木星と四緑木星がありますが、三碧木星が陽で男の星、四緑木星が陰で女性の星です。

木性には北と南が相性がいいわけですが、北が陰、南が陽とすると、三碧が北を使うと陰陽となり、四緑が北を使うと陰陰の組み合わせになります。そこで、微妙に影響の出方が違ってくるのですが、これはほんの一例です。もっと生年干支やその人の生年月日から出した命式全体の五行の配分を見ると、結果は種々様々です。

このように、幾らでも複雑な詳しい見方はできるのですが、どんどん複雑にしていくのが筆者の本意ではありません。しかし、現在流布している相生・相克があまりに吉凶にばかり傾き、初心者で気学病になっている方が多いので、その一般的な説を否定しているわけです。

どんな人でも、例の相生・相克表によって南東に回った吉方を採れば、良縁が授かって末永く幸福になれるわけではありません。
星には固有の性質がありますし、それ以上に、個人の運勢にも、もともと恵まれている部分と恵まれていない部分があります。お金には不自由しないがまったく異性に縁がない人、愛情にもお金もまあまあだが、どうも健康面で不安のある人など、もともと持って生まれた運勢があります。運勢の弱い部分は幾ら祐気取りをしてもなかなか出ませんし、強い部分はすぐに出やすいものです。


運命って方位で変えられるの?

そもそも運命とは、あちこち旅行に行ったぐらいで、そんなに簡単に根本が変わるようなものでしょうか?はなく、また反対に、宿命によって全て決定されているものなのでしょうか。

運命の根底には、その人が持って生まれたものが根強くあります。ここに方位がどのような働きをするかと言うと、方位=「動」です。
動は隠されているものを顕在化します。ということは、もともと良いものが少なく悪いものを多く持っていれば、凶方位の影響はすぐに大きく出て、吉方位の効果はあまり出ないでしょう。いや、吉方へ行こうと努力してもなかなか行けず、機会を逸してしまうことが多くなるでしょう。良いものの方を多く持っていれば、吉効果の方が出やすく、凶は小さくて済むでしょうし、また吉方へ行き易いでしょう。

方位の影響、効果というのはきっちりありますが、あくまでもそれは内在するものに動きを与えるということが大きいのです。幾ら吉方位を使っても、もともと全くないものが出て来るわけではありません。

少し話は飛ぶようですが、ここで植物のことを考えてみて下さい。
花を育てるのが好きな方はご存知だと思いますが、綺麗な花を沢山咲かせるには、コツがあります。花はまず、当然のことながら、根に栄養がたっぷりと蓄積されていないと咲きません。しかし、大きな鉢にたっぷりと養分の多い土を入れて花の苗を植えても、どういうわけか花は咲きません。根にばかり栄養が行ってしまい、健康で立派な葉はつきますが、花は咲きません。

花を咲かせるには、鉢を少し小さなものに移し変えて、根をギュッと絞ってやります。そうすると、余った養分が花という形になって飛び出して来ます。しかし、そうやってずーっと花を咲かせ続けていると、栄養不足になってきます。また大きな鉢に移してたっぷりと根に養分をやって休ませてやると回復します。


花も実もある人間に

人間もこれと似たようなものです。鉢の移し変えや場所の移動が、引越しや旅行にあたります。じゅうぶんにお陽さまの当たる場所に移動するのもそうでしょう。しかし花によって性質が違い、ガンガンお陽さまに当たってじゅうぶん水を貰えば元気でスクスク・・・という花もあれば、直射日光に当たると萎れてしまい、水をやり過ぎるとすぐに根腐れしてしまうものもあります。この辺りが個性です。

寒風に当たるのが何が何でもいけない訳ではなく、日本の樹木などは霜に曝さないと花の咲かない種類も多いです。一時的には剋気で苛めないと耐性ができないということなのですね。
人間と植物は、じつによく似ています。十干十二支の理論そのものは、もともと植物の成長発展から、枯れて土に戻るまでを現したものです。

この、根を張るとか栄養を与えるとか環境を変えてやるということを、もう少し幅広く考えないと、気学で毎日の方位が良いか悪いか、ばかり考えていては、花を咲かせ実りを得ることなど、とうてい無理です。たまに咲いてもセコイみすぼらしいアダ花が精一杯で、長続きはしません。
毎日の買い物や通勤の方位を気にするなど、自ら小さな鉢に限定しているようなもので、つまらないことです。

日本の温帯植物は変化に富んでいますが、概して一日の温度差がある程度ないと、すぐに耐性がなくなって弱ってしまうようです。南方産の観葉植物はずーっと一定の温度で育てますが、日本のものとはずいぶん性質が違います。温度差を刺激とか苦労というふうに考えると、剋気にもそれなりの働きがあると言うことです。


保身はダメ…

気学も何も、人間的な基礎堅めをせずに吉方に行くことばかり考えていても、何にもなりません。この辺りの考えがしっかりして来ると、方位を見るにもポイントは外さず、あまり細かいことには右往左往しなくなって来ます。保身にばかり意識が向かうことが無くなってきます。
人間は保身に回ると一番弱く、正常な判断力がなくなります。そうなると、引越しするにも「本命では吉方だけど月命で吉方ではないのでダメか・・・?日命とかは関係ないのか・・・?あそこでああいうことを言っている人がいたが大丈夫だろうか?○○暦では今年は厄年になっているけど、動いても大丈夫だろうか?」という、同じところをグルグル回って考え続け、結局、何も分らなかった、という事態になります。

仏教の方で、妙見菩薩という、北極星を神格化した菩薩があり、これは私が勝手に「雲切童子」と命名してキャラクターに使っている方です。
この菩薩は手に帳面と筆を持っています。何の為かといいますと、その人の考えと行いをきっちり記録し、それに見合うだけの、吉凶禍福=吉方と凶方をその人に与える為です。つまり良いことも悪いことも、吉方も凶方も、その根本原因は己にあるということになります。

このあたりが、方位は運命であって運命ではない、不可思議微妙なところです。ともあれ、風水や方位というのは変えられるものであり、変えられないものであり、運命を決めるものであり、また運命には影響しないものでもあります。
真の風水学を学ぶことは、「方位屋さん」を作ることではない、というところで、この一文を締めさせていただきす。

「平成16年9月」

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