みんなの風水:目次

適職探しと現実


適職とは何か

九星による一般的な説に、「適職」というものがあります。
この問題は、「いわゆる占い」を気にしている方には、少し考え直していただきたいことではないでしょうか。

九星の概念の中に、「九星ごとにあてはまる業種、職業」という項目があります。これを少し早飲み込みして、自分の本命が○○だからどの業種が向いているとか、違う業種に行くと伸びないのか?と気にしてしまう場合があります。

確かに、九星だけで考えた場合は、ある程度の傾向はあるのですが、本来、適職、適性というのは、あくまでも個人のものです。個人の適性とは、能力のタイプによって、その業種にどのような係わりかたをするのが向いているか、と考えたほうがより適切なものです。

例えば、一つの企業の中に居ても、行動力があって思いつくとすぐにスッ飛んで行ってしまう人には、外に出る仕事はスムーズに出来るかもしれません。しかしこういう人は、管理職とかそのプロジェクト全体を任せてしまうには、不安があります。

一方、慎重に下調べをし情報を集めて作戦を練り、よく考え、十分に根回しをしてから取り組もうとする人は、内容は緻密でも機会を逸してしまう場合があります。前線での活動よりも、トップのブレーン的な役割が向いているでしょう。

このように、どのような形態で仕事に係わるのが良いか、というのが、本当の適性です。九星による相性は、その業種の持つある種の性格と、九星の性格が一致している為に、自然とそのような傾向があるということです。

しかし、実際に社会に出て働いてみると、全く予想と違う事態に遭遇します。例えば、IT関係の企業でWEBデザイナーの仕事を覚えたいと思ってそういう業種に入ったのに、与えられたのは資材管理とか、経理だったということがよくあります。
果ては、技術系の会社に勤めているのに、何となく同僚の相談に乗っているうちに、他の部署からも話を聞いてもらいに来る人が出てきて、だんだんと専属カウンセラーのようになってしまった、という方さえあります。ある意味で後の例は、適職というか、天職のようなものかもしれませんが。

適職とか適性というのは、単にどっちの方角のどういう会社に入ると良い、というものではありません。
まず肝に銘じておかなければならない事は、能力が高く努力を惜しまず、愚痴や不平不満も少なければ、どの業界でどのような仕事に就いても、必ずいつかその人に相応しいポストが与えられ、成功するだろうということです。
これは、その会社で出世するか将来性があるか否かとは、また別の問題で、運命の帳尻は必ずどこかであう、ということです。

しかし、さしたる特技もなく根気も続かず、そのくせ反抗的で服務能力もなかったりしたら、永遠に適職を捜し求めて彷徨うことにもなりかねません。
まずは、現在の立場を生かし、誠心誠意尽くすことです。現在の職場から転職したい場合は、そこから逃げるのでなく、卒業するのです。そうすれば次のステップに上がれますが、まだ現在のノルマをこなしていないのにそこから出ようとしても、消化しきれていない課題は、必ず追いかけてきます。


街の職場の光景

五行や九星、風水とは直接関係のない話なのですが、どんな仕事でも、目の前のことにきちんと誠実に係わっていく人は、どんどん成長していきます。しかし、いつも腰掛け半分だと、何も身につかずに終わってしまいます。
身近な例では、皆さんも、買い物をしたり、街の食べ物屋さんに入ってお店の人と接したりされるでしょう。彼らも仕事に従事しているわけですが、ずいぶん色んな店があり、色んな人が色んな働きかたをしていることに気づかれることでしょう。


あんまり良い例ではないのですが、筆者にこんな経験があります。前、公共施設の会場を借りる為に、下見に行ったことがあります。会場の使い勝手を確認して、機材の使い方を教わる為です。予約した時間に行くと、担当の職員さんが出てきて対応されました。
公務員なので学芸員ということになるのでしょうが、ちょうど妙齢の、とても素敵な女性です。服装センスがよく、つい見とれてしまうほど洗練されていて、知的でスリムな方でした。

こちらはスタッフ3人で、みんな別におかしな言動はなかったと思うのですが、その職員さんの対応たるや、かなり驚くべきものでした。
少しでも余計な事は教えたくない、出来れば口もききたくない、尋ねられた事には最小限、ソッポを向きながら渋々答える、という風です。仕方がないので、聞きたいことを十分聞けたとは言えない状態のまま、何となく引き上げてきましたが、帰る道すがら、3人とも「あーあー、せっかくの美人のオネエサンが…」と、溜め息をついたものです。

公務員試験に合格して、しかもああいうお洒落なゆったりした感じの職場におられるのは、一般人の仕事としては、かなり羨むべき立場だと思うのです。しかし、慇懃無礼という表現さえも勿体ないような応対で、この人はどんな仕事についても、それを活かさないだろうなあ、という気がしました。

いまどき、公務員というのは、楽な仕事なのでしょうか?自治体やポストにもよるのでしょうが、そんなことはないと思います。一昔前の感覚なのでしょうか。ただ、ああいう風になりやすい環境の職場も、けっこう多いのかもしれません。
知り合いで、ある美術館で学芸員を務めた後に作家に転向した方があります。その人は学芸員をしている時に、そこの館長と大喧嘩して、すごい声で怒鳴りつけて辞職してきたそうです。

中年以上の方はご存知だと思いますが、一昔前までは郵便局というのは職員がひどく愛想が悪く、行く度に腹が立って、その日はしばらく嫌な気分になっていたものです。
その後、郵便局や区役所関係はずいぶん改善され、郵便局で「有難うございました」という挨拶を聞いた時には、しばらく自分の耳が信じられませんでした(笑)。

しかし現在でも、めざす職業の上位に来るであろう公務員の中にも、利用者に仏頂面を披露している人が存在するのですから、職業とはほんとに、人それぞれとしか言えないものです。


これが民間になるともっとひどいのは、当たり前といえば当たり前かもしれません。
この前、家の近くの商店街に、ダ○ソーが出来ました。100円ショップはあまり利用しないのですが、ユニ△ロと同じビルに入っているので、後学の為に様子を見に行ってみました。
現在のダ○ソーは100円ショップではありませんが、なるほど割りに安かったので、文房具を少しカゴに入れて、レジに並びました。
そしてふと見ると、各レジの横にデカデカと

「レシートを渡さない店員がおりましたら、ご一報下さい」

と立て看板があります。
中央に一つあるのではなく、何台かあるレジの全てに、それもちょうどレジの店員を見張るような位置に置かれています。

意味するところはお分かりだと思います。筆者はかなりビックリして、ちょっと自分の目を疑い、何度もその、やたらに目立つ看板を見直しながら、こわごわ会計を済ませました。
ついでに、こんな扱いをされる店員は、どんな気持ちで働いているのだろう…と、つい、レジ打ちの店員の顔色を窺ってしまったのですが、何となく全員、気味が悪いほど無表情な気がしましたが…。

薄利多売もいいですが、こんな店でばかり買い物していたら、なんだか心まで薄情になりそうです。
看板の件は、経営者の方針か管理者のしていることなのか分かりませんが、お店じたいがこういう感じだと、あまり優秀な従業員は入ってこないと思います。それでますます、出来の悪い従業員に腹を立てて、きつく当るという結果になるのかもしれません。


一方、この店の隣のブックオフでは、また様子が違います。
不要なDVDが溜まったので、売りに行ったことがあるのですが、その時の店員の対応はこうです。代金計算後のことですが…

「本日は、貴重なDVDをお譲り下さいまして、まことに有難うございます。(一礼)……中略……また何かご不要なものがございましたら、是非当店にてお譲り下さい。(礼)」というものでした。

かなり面倒な長い挨拶だとは思ったのですが、この初回に担当した店員の挨拶が、けっこう流暢で自然な感じだったので、さほど違和感がありませんでした。書店の人は最初から国語能力が高いのか、それとも書店で働いているだけで、何となくアップしてくるということでもあるのでしょうか(笑)
違和感がなかったもう一つの理由は、この時に処分した品がかなりレアな高額商品で、商品の写真撮影があったので、そういう対応になったのかと、我田引水の解釈をしていたのです。
しかし、二度目に行った時の他の店員さんも同じ挨拶だったので、なーんだ、あれはマニュアルだったのか、と思いました。

面白かったので、その後、行く度に買取窓口の光景を観察していると、山のように積まれた本の買取金額が○百円ぐらいでも、全く同じ対応です。
あそこまで行くと、ちょっと間が抜けた感じだったり、かえって嫌味に感じるお客さんがいるかもしれませんが、店員を客の前で盗っ人扱いするよりは、ずっと良いと思います。

マニュアルというのは、企業や社会にとっては必要なものではあると思いますが、その一方で難しい面もあります。
難しい面というのは、一つ間違うとロボット社員を作りかねないので、場合によってはかえって足を引っ張る側面もあるということです。

聞いた話なのではっきりと内情は分かりませんが、ファーストフード店で、高齢者を採用する動きがあるそうです。これは高齢者の雇用促進の意味だけではなく、若い人と年配の人が混じることで、ある意味で教育的なメリットがあるからだという話です。

例えば一人でやって来て「ハンバーガー30個下さい」と言う客に、状況を見ようとしない若者が、マニュアル通りに「こちらでお召し上がりですか?お持ち帰りですか?」と応対したら(一人で今ここで30個も食べるわけないだろう)と誰しも思うでしょう。笑顔の応対も、かえって変に見えてしまいます。
そんな時に、機転というか、常識で状況判断の出来る年配者が居てくれると助かる、ということらしいです。

なるほど…と納得はしましたが、マニュアルとは、実は常識をまとめたものの筈です。マニュアル人間を嗤うのは簡単ですが、企業のマニュアルとは、ある意味で企業理念を反映している面もあるので、なかなか興味深いものです。
前述の学芸員さんにも、利用者応対に関するマニュアルを作ってあげて欲しいものです。実際に、郵便局における改善が速やかに出来たのですから、やろうと思えば出来る筈です。

ただし立場を変えてみると、改善して欲しい、とばかり他人に期待しても仕方がないし、与えられたマニュアルや職場環境をどう受け止めどう感じるか、それを生かすも殺すも、人間次第だということです。今回は主に接客業の話でしたが、他の仕事でも同じです。

木下藤吉郎(豊臣秀吉)の草履取りの逸話は余りに有名ですが、とても分かりやすい例です。今更例に出すのも気恥ずかしいのですが、この逸話の素晴らしいところは、何となく身近で、誰にでも出来そうな、それでいて、普段から自分の立場に腐ったり投げ槍にならなければ誰にでもチャンスがある、という暗示を秘めた、小さなエピソードであることです。
それ故に、義務教育の現場でも、よく取り上げられるのでしょう。

実際には、そういう小さな工夫、努力をしても、なかなか目に止まらないことも多いでしょうし、第一、それを認めてくれる上司に巡り合うことじたいが、ある意味での運とも言えます。


職場環境や労働条件に関しては、皆さん、実体験に照らしていろんな意見があるでしょうが、どんな環境にあっても結局は自分次第です。「こんなつまらない職場から早く脱け出したい」と思っていると、ちっとも道が開けては来ません。
よく、「結婚と就職は相手のあることなので、なかなか当人の希望通りにはいかない」と言いますが、実は人が仕事を選ぶのではなく、仕事が人を選ぶ面のほうが、大きいのではないでしょうか。職場に恵まれない、というのは、まだまだ当人に足りないところがあるか、別の見方をしても、まだ時期が来ない、ということになってしまうのは残念ですが、それが現実です。


現代では、生き甲斐とか自分探し、自分らしく、というような風潮が、一種の弊害をもたらしている側面があるようです。自分探しも良いですが、本当の自分を探し求めて、果たして満足のいく答えが出るのでしょうか。やっと見つけてみたらショボい自分だった、という残酷な現実に遭遇したら、どうでしょうか。
それこそ、ショボい自分だったらもっと磨けば良いようなものですが、その磨き方も考えねばなりません。世間にはいろいろと間違った努力をしている方も多いからです。

努力というと、頑張り…我慢する…根気強くやる…忘れずに心がける…までは良いのですが、どうも無理をしたり欲張ったりと取り違えている場合も、ままあるような気がするからです。努力には善き努力と悪しき努力があります。場合によっては、我慢して努力するよりも、いったん力を抜いて物の見方を変えてみるのもまた、一つの突破口となる場合もあります。これも、違う方向での努力です。

よく職場の人間関係で悩むという話を聞きますが、いろんな人の集まる社会ですから、必ずしもみんな、仲良くできる相手ばかりではありません。しかし原則として言えるのは、人間関係の悪い人は、どこに行っても悪い傾向があり、折り合いをつけられる人は、どんな悪い環境にいても、何とか折り合いをつけて自分で居心地よくできる、ということです。

たとえすぐに折り合いがつけられなくとも、「職場環境が悪い」とばかり考えず、何となくそういう考え方ができてくると、いろんなことが変わってきます。これは一種の「悟り」のようなものです。諦め(あきらめ)とも言います。諦めとは「明きらめる」でもあり、ものがよく見える、という意味です。つまり目が開けて、賢くなったということです。
目が開けて賢くなると、ひょっとして本当の自分の姿が見えてくるかもしれません。それこそ、自分探しの本当の一歩になるかもしれません。


艱難は汝を珠にするか?

ことわざに「若い頃の苦労は買ってでもしろ」とか「艱難汝を珠にす」などと言います。
筆者はこれは、嘘とまでは言わないものの、万人に当てはまる言葉ではないと思います。後者の言葉は元々、「逆境が人を作る」という西洋のことわざから来たものらしいですが、和訳の過程で、言葉としては美しいものの、何となく意味がずれてきてるのではないか、という気もします。

普通はたぶん、現状どうにもならなくても、もっと頑張れば、苦労を乗り越えた先にはいいことがあるよ、という程度の励ましの意味で使われる言葉だと思いますが、人間にはいろんな人が居ます。強い人の発想で、弱い人、力のない人に向けて、やたらに言うようなことではないと思います。

艱難、難儀と、努力は違うとは思います。どうかすると虐待まで苦労とか努力と同一視してしまっている場合が見受けられます。艱難、難儀、虐待は、努力する力を失わせます。努力が大切ならば、努力できる力を与えるように応援すべきで、難儀と努力を一緒くたにするのはおかしいと思います。努力する力があればこそ、艱難、難儀も乗り越えられるのではないかと思うのですが。

これらの言葉を信じて頑張っている人には申し訳ないですが、人間そう無闇に、苦労ばかりしていても決してプラスにはなりません。特に、人間の基礎を作るべき時期に、十分な愛情と庇護を受けられなかった人に対して言うような言葉ではないと思います。そしてほとんどの人は、必ず何かしらのコンプレックスを持ち、どこかに傷があります。
逆境に耐えて立派になった人も沢山ありますが、そういう人は必ずと言っていいほど、親から十分な素質を貰っています。そういう人と同じことを、誰にでも要求すべきではないと思います。

しかしそれにも増して良くないのは、「自分は元々ダメな人間だから、家庭環境が悪かったから努力する力も根気もないし、何をしてもうまくいかないんだ」と開き直ったり甘えたりすることです。強い人でも努力しなければ伸びないのですから、力のない人が努力を怠ったら、ますます差が開きます。

その為には、非常に大切なことがあります。人と同じようにいかない、またスタート地点が遥か後ろにある…と感じている人は、努力して成長し伸びてゆくスピードが人よりもずっと遅れていても、その人なりに、昨日よりも今日…明日…と、少しづつでも伸びていけば良いのです。
人と競争してオリンピックをめざす近代スポーツではないのですから、その人なりに少しづつでも伸びることが出来れば良いのです。前向きな方向性を維持すること、その心掛けを持続することが、何よりも大切なのです。
一番マイナスなのは、人よりも遅れているので一足飛びに結果を出そう…と無理をしてしまうことです。付け焼刃は必ずどこかで反動が来てしまいます。

こういうことを実行するには、まず自分と自分の状況を客観的に見て、それを認めることができなければ、何も始まりません。これは意外に難しいことで、人間なかなか自分に対して客観的にはなれません。そこまで素直になれる勇気を持つのは、とても難しいことです。
自分の欠点や力の限界を知るのは、誰にとってもとても辛いことです。でも良いところも沢山ある筈です。
ここが、人によって違う部分です。自信のある人、力のある人は、放っておいてもある程度のことは出来るので、自分の欠点に目を向けるべきです。でも自信のない人は、欠点のことはいったん忘れ、良いところを見てそこを伸ばしていけばよいのです。これは安心、慢心ではなく、自分にとってプラスになることをやり遂げる、一つのパワーにもなるやもしれません。

もう一つ、別のことわざを例に挙げましょう。
「珠磨かざれば光なし」という言葉もあります。これは完全な間違いではないものの、素性が珠であるからこそ言えることで、そんな人は実際はそう多くはありません。
元がダイヤモンドだったら、少々打たれても、いや打たれるとますます光るかもしれませんが、元が土くれだったら、荒っぽく打てば壊れます。

実際はほとんどの人が、ダイヤモンドや水晶なんかではなく、はっきり言って泥人形のようなものではないでしょうか。土くれには土くれなりの鍛え方があるのですが、これは教育問題にもかかわってくることかもしれません。

かく言う筆者だって、素性は完全な土くれです。でも、わりに時間をかけて大切に鍛えられているので、何とか自分なりに生きています。
しかし、博多の土は、少々鍛えたところでせいぜい博多人形ぐらいにしかなれないので、出来の悪い安物の博多人形ではなく、なるべくならば、良い顔をして周りに良い影響を与える博多人形になれればいいな、と思っています。
土や木や石で出来た人形たって、キリはただの廉価版の土産物から、ピンは寺社の仏像、本尊まであります。いのちの吹き込み方によって、いろんな可能性があるのです。

これは、自分の欠点を見るか、長所を見るか、もし子供や生徒だったら褒めたほうがいいのか戒めたほうがいいのか、教育問題にもつながってくる重要な問題です。

そこで、別の章で、少し細かくこの問題を掘り下げています。努力の方向性とか、その人なりの適性を探す、という試みです。
もちろん、いろんな方が読まれるサイトですから、個人のことは分かりませんが、九星ごとに解説していますので、そちらもご一読下さい。

九星が語る職業理念(ビジネスに生かす風水学)


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