読書の愉しみ


AIから魯迅へ  2025/11/06
胃カメラと実録小説の話  2025/08/01
デッドゾーンが現実だったら?  2025/08/01
中国SFの世界  2024/05/30
落語もいいよ  2024/05/19


AIから魯迅へ
◆本題の前に、小さなお知らせ。
命式一覧表をやっとアップして、これで使いやすくなった、と自画自賛で喜んだのも束の間、節入り日の見方は相変わらず難しいのは分かっていた。
もう少し何とかならないか?と考えてたら、何のことは無い、節入り日を節入り前と後の二行に分けて書けば解決、ということに気づき、また手直しにかかる羽目に(ハアー)。
まあ何でも、分かってしまえば簡単な話なのだが、何か作る時って、こういう事は日常茶飯事なので、しょうがないですよね。ボチボチ直しにかかりますが、とりあえず直しが完了するまでは今のままで出しておくので、しばしご猶予を。
更にこれのバージョンアップ版も考えているのですが、それはまた後日ということで。


◆元はAIの話から
本題の魯迅の話なのだが、なぜ急にこんな話題を持ち出すかというと、AIの事を考えていたら、芋弦式の思考の結果、魯迅が出てきてしまったのだ。

元々は生成AIのハルシネーション=つまり幻覚や誤った考えが、なぜ起きるのか?という疑問だった。
単純な話、LLM大規模言語モデルが、ネットから収集したデータを元に組み立てられているとなると、ネットには大量のデマや妄想が流布しているので、そこから生み出されるものも、嘘八百が混在していて当然ではなかろうか?と単純に考えることが出来る。
最も稀少性のある情報は、どこの組織でも大切に保護していて、外部に公開しているものは一部でしかないだろう。無料でバラまかれているデータは、内容も薄く、あまり価値のないものが多いだろう、という考えに至るのは当然だ。

現にOpenAIでは、既にデータは使い果たした、と言っているそうで、次はどこからデータを引っ張ってこようか、と考えているそうだ。noteでクリエイターが自分のコンテンツをAI向けに使用許可を出せば一定金額を配布する、といったプロジェクトをやったのもその一環。
この問題は今後どうなるかは分からないが、今回私が考えていたのは、そういう話ではない。

AIの利用が進めば進むほど、ネットにはAIが作ったコンテンツが増える。
それをまた、AIは収集して話を作り上げるわけで、これは言ってみれば、言い方はきついが「AIの共食い現象」である。
AIはほどなく崩壊する、と言っている人々の論拠もこのあたりにあるらしい。AIが共食いを始めると、ハルシネーションが増え、結果的に予期せぬ暴走を始めてしまうのだそうだ。

SFの世界では、もうだいぶ前からコンピューターが自我意識を持つとか、暴走し始める、と言ったテーマが取り上げられていた。
このテーマでの大御所たる「2001年宇宙の旅」(アイザック・アシモフ)とか「月は無慈悲な夜の女王」(ロバート・A・ハインライン)などが有名だが、筆者なんかは若い頃に夢中で読んだディーン・R・クーンツとか、マイクル・クライトンなんかを懐かしく思い出す。
マイクル・クライトンなんかは、1960年代から素晴らしい空想科学小説を書き続けていて、筆者にとってその時代に新しい知識を仕入れるには、並ぶもののない存在だった。初版単行本で読んだ「アンドロメダ病原体」の描き出す世界なんかは、今やっと、現実が追いついてきたか、という感じだ。
「ウエスト・ワールド」なんかは映画化もされて、今見てもゾクゾクするほど面白いし、ディーン・クーンツの「デモン・シード」のヤバさはなかなかのもの。ヤバいのばっかり挙げるのもナンなので、一般人には「アンドリューNDR114」(ロビン・ウイリアムズ主演)なんかお勧めしておく。

こんな話になると、脱線が留まるところを知らなくなるので本題に戻るが、共食いによるハルシネーションの暴走は、AIが自分自身の間違った回答を再度学習し続けることにより、その間違った答えが際限なく拡大し続けていく可能性を秘めているのだそうだ。

簡単な例を挙げると、私たちが現在、youtubeで猫の動画を見るとする。生成AIは茶猫が2本足で立ち、前足2本で器用にモノを操る動画を作ったりする。なかなか面白くて再生数も伸びるので、更にAIはこの茶猫の画像を学習する。
そうするとだんだん、「猫とは茶色で、後ろ足で立ち、前足で器用にモノを扱い、人間を助けたりするものだ」という認識が、既成のものとなってゆく。実際にはそんな猫は少ないのだが、AI全盛の世界では学習数の多さから、この認識がデフォルトになってゆく。
これはあくまでも、「普遍」とされるものに歪みが生じてゆく一つの例なのだが、筆者はある時ふと「AI共食いが危険である」という話を、「人間が人間を食べることの問題点」と関連づけて考えたことがあった。


◆なぜ「人食い」が禁忌なのか
やや突飛な連想かもしれないのだが、筆者が前々から、「人間が人間を食す事が禁忌なのは何故か」という問題の根本的な回答を探していた、という背景がある。
なんでそんなもの探してるんだ?と思うかもしれないが、とにかく自分の中に、疑問の種として存在していたからだ。
有力な回答例として「同種を食べると、遺伝病が出やすいから」というのがあった。なるほどこれは、近親婚が法律で禁止されていること、近親婚の多い地域や家系では奇形が増えやすいことを考えても納得しやすい。

そこに来て最近とみに、中国情勢の不安定さが伝えられ、ある地域で若者が大量失踪した後に、市場で謎の肉が大量に販売されていた、などという、リアルホラー現象のニュースをしばしば見かけることが多くなった。
こういうニュースが目に入ってくる原因として、筆者自身がクリックするコンテンツに偏りがある、という原因は否めないので、この対策はもう少し徹底せねば、と思っているところなのだが、この問題は今回は横に置いておく。

そこでもう少し、食人に関する資料を漁っていたら、魯迅の代表作の一つである「狂人日記」が目に止まった。未読だったので早速読んでみたが、何となく「狂人」というのは一種の隠れ蓑でしかなくて、ほぼ事実なのではないか、とも読める。

しかし筆者はこの「狂人日記」を読んで、自分自身の考えや認識が、まさに平和ボケの低レベル日本人でしかなくて、余りに狭くて偏っていた、という気がして、頭を掻きむしりたくなるぐらい、恥ずかしくなってきた。

「なぜ、人間が人間を食べてはいけないのか?」に対する自分自身の考えは、前述の遺伝的な原因とか、漠然とした道徳観念の域に留まっていたからだ。
魯迅描く主人公は、こう述懐する。

 ◇ ◇ ◇

自分で人を食えば、人から食われる恐れがあるので、皆疑い深い目つきをして顔と顔を覗きあう。この心さえ除き去れば、安心して仕事が出来、道を歩いても飯を食っても睡眠しても、何と朗らかなものであろう。ただこの一本の敷居、一つの関所があればこそ、彼らは親子、兄弟、夫婦、朋友、師弟、仇敵、各々相知らざる者までも皆一団に固まって、互いに勧めあい牽制しあい…(後略)

わたしはどんなに口を抑えられようが、どこまでも言ってやる。
お前たちは改心せよ。ウン、分かったか。人を食う者は将来世の中に容れられず、生きてゆかれる筈がない。お前たちが改心せずにいれば、自分もまた食い殺されてしまう。仲間が殖(ふ)えれば殖えるほど、本当の人間によって滅亡されてしまう。猟師が狼を狩り殺すようにーー虫ケラ同然に。

想像することも出来ない。
四千年来、時々人を食う地方が今ようやくわかった。私も長年、その中に交じっていたのだ。アニキが家政の切り盛りをしていた時に、ちょうど妹が死んだ。彼はそっとお菜の中に混ぜて、私どもに食わせたことが無いとも限らん。私は知らぬままに何ほどか、妹の肉を食ったことがないとも限らん。現在いよいよ、おれの番が来たんだ…
四千年間、人食いの歴史があるとは、初めわたしは知らなかったが、今わかった。真の人間は見出し難い。

 ◇ ◇ ◇

この作品で描くところの「人食い」はあくまでも比喩であって、人を人とも思わぬ搾取システムが幅をきかせる社会のことである、という解説が多い。
しかし筆者は、「人食い」は比喩にみせかけた事実であり、逆に事実のような比喩でもあって、同時に「狂人」というのも、正常とされる人々から見れば狂人に見えるが、狂人から見たらいわゆる正常人が狂人ということなのだろう、と思っている。

まさに、筆者が考えていた「人を食ってはいけない」理由なんて、平和ボケそのものであって、「人食い」があり得たら、社会というものは成り立たないのだ。この一番肝心な部分が、脳裏の片隅にも過らなかった自分の浅はかさである。

魯迅は人を救おうと、いったんは医学を志したそうだが、ある体験を通じて、肉体の病気を救っても精神が病魔に冒されたままだったら何の意味もない、として、小説家に転身したという。
「病魔」と言っても、病名のつく鬱病とか統合失調症とかの話ではなく、自分や他人を尊重できないとか、広く社会のルールを守ることが出来ないなど、幅の広い話だ。
この「小説家に転身」部分はまさに、筆者にとっては感涙ものの一撃だった。


筆者は常々、本を読むことは大事だが、半端な教養書とか、ましてや実用書などは本のうちには入らない、と思っている。「本のうちに入らない」とは、言い過ぎのようにも聞こえるかもしれないが、じっさい、心の底からそう思っている。
実用書は単に本の体裁をした道具だから、道具の取り扱い説明書と同レベルと言える。「本」とは文字通り「根源的な真実」のことであって、それが一番効率よく的確に表現されるのは、小説の世界である。もちろん、小説以外でも真実を追求する姿勢で心に迫る本は沢山あるが、半端な教養書は似非本のタグイで一番嫌いだ。

何にでも、魂を吹き込むことは出来るので、筆者は前に一度、DVDラックの取扱説明書に舌を巻いたことがあった。単なる組み立て式の家具についていた説明書なのだが、今までこれほど、説明書を書いた人の、製品に対する知見と真摯な姿勢が窺われ、説明の仕方の上手さを感じる文を見たことが無かった。
他にもそう感じた人が多かったらしく、レビューを読んでみると、「この説明書は、書いた人の頭の良さに驚く」という意見が沢山書かれていた。懇切丁寧な説明書がついているのは日本製品の特長だが、技術力の溢れたぶんが説明書に出た、という感じだった。

こういう例外はあるし、科学書などにも非常に優れたものは多いが、やはり群を抜いて良書が多いのは小説である。
こらへんの話に疑問を持たれる方は多いかもしれないが、今すぐに手っ取り早く言葉で言いくるめても意味が無いので、いつか分かる日が来るといいね、ということにしておこう。

本を読むとは言っても人それぞれだし、私は自分の事を、小説以外の本が読めない病気、と思って多少困っていた。しかし世間には、どうも逆の人のほうが多いようだ。
これはたぶん、私は自分だけがまともで、他の人を狂人だと思っているが、他の人から見たら私のほうが狂人、という図式なのだろう。

狂人の私の考えでは、真の教養、心の栄養となり得るのは、優れた小説が一番だと常々思っているが、よほど信頼した人にしか、この意見は言わない。何せ、狂人は数が少ないのだから、辺りを憚って生活するに限る。
しかし、魯迅に倣って、今後はもう少し言ったほうがいいのかもしれない。

「狂人日記」は短編で、入手もしやすく無料で読めるので、皆さんにも是非読んでいただきたい。
Date: 2025/11/06
【読書の愉しみ】 【ディープな話】 【AI・テクノロジー】


胃カメラと実録小説の話
先年から少し体調不良で、私にしては珍しく何度か病院通い。どうせ年取ると、いつかは必ず病院のお世話になること必定。ピンピンコロリも、なかなか難しそうではある。

知人、関係者も軒並み高齢化して、周囲でどんどん、入院だ手術だ、結局は涅槃で会おう(古い…)と続く昨今である。
私の周囲は、仕事関係の中年か、高齢者はほぼ武道関係者ばっかりで、病気自慢で花を咲かせるような環境が無い。その為、病気の話なんか話題に上らないし、違う角度から見ると、やや健康リテラシーが低い傾向はある。まさに、武士は食わねど…みたいな雰囲気でもある。
そのせいか、いきなり訃報が来たりもするので、驚きもするが、ある意味で慣れてもいる。まあ順番だからしょうがないよね、などとうそぶきつつ、診察を受ける。

胃が痛いと医師に告げると、「じゃあ、胃カメラの予約しましょう」と来たもんだ。
長年、歯医者以外は病院と縁がなかった私だが、数年前に軽く帯状疱疹が出てから、どうも調子が狂っている。CTとかMRIとか、目新しいことだらけでけっこう面白くはあるが、胃カメラ?

これはちょっと嫌だなあ…、歯医者でマウスピース作るのに、オエッとなって困った記憶が強烈なので、躊躇してしまう。

「うーん…うーん…、ちょ、ちょっと待って下さい、えーと、予定を見てから…」
「じゃあ、考えといてね」
と何とか誤魔化し、自分でよーく原因を考えた。
痛み止めのロキソニンをけっこう長く服用していたので、とりあえず、それに責任を押し付けてしまうことにする(笑)。

もともと胃腸は丈夫だし、この件に関しては結局、ロキソニンを止めたら胃の痛みは治まってしまったので、この時には胃カメラは無しで、胃酸の分泌を抑えるファモチジン服用だけになった。
「やっぱりロキソニンだったか。胃に穴が開いちゃうところだったね」
とか担当医に言われつつ、少し胸を撫でおろしたが、ほんとにこんなんでいいのか?

このことを知人に話したら、バリウム飲むぐらいなら、胃カメラのほうがずっと楽だよ、と言われる。そんなもんなのか、と思い、胃カメラ飲むのってどのぐらいきついんだろ?と少し調べてみる。
昔よりはずいぶん小型になって、楽にもなってるんだろうな、とか考えているうちに、昔読んだ、胃カメラ開発譚を思い出した。

私は吉村昭の大ファンで、けっこうな量の作品を読破しているが、「光る壁画」をオール読物か何かの初出誌で読んで、その印象がずっと記憶に残っていた。

この際、それを読み直そうと、自分でPDF化してしまった大量の本をHDD内で検索していたが、結局はKindle版でまた買い直してしまう。テレビドラマにもなっていたのを発見し、これもさっそく鑑賞する。

テレビドラマは、何となく小奇麗にアッサリまとまりすぎ、雰囲気やこだわり感がイマイチ伝えきれていない感じはしたが、まあ内容は分かった。
何の世界でも、職人技と言えるレベルに到達するには、ブラック企業顔負けの苦労がつきものだ。
筆者も基本は職人なので、何か作る時にはドはまりしてしまって、何十回でも納得の行くまで追求するのが当たり前になっている。
だいたい、自分で何かを産み出すような人間は、努力するとか大変だとか、そんな事をいちいち考えてはいない。自分の意志でやっているのだから、残業代が支払われないならやらない、なんてそんな訳はないので、勤め人感覚の人とは別次元で動いている。
その為、胃カメラに必須の小型電球を開発した職人が、「そんなにすぐあっさり諦めるなんてありかよ!そんなに簡単に人の命が救えるんか?何でもっとしつこく食いついて来ないんだよ!」と開発者を叱りとばす場面には、大いに共感したものだ。
(そうだ、そうだ、そんなにアッサリ出来てしまって、たまるかよぉ…)
これに関しては別に、「四種類の働き方」というテーマで書きたいと思う。

私の胃は後日、やっぱり胃の翳が見過ごせないということで、胃カメラ検査を受けたのだが、少しだけウッとはなったものの、ほんとに医療技術は進歩したんだなあ、と改めて思う。
胃カメラの開発当初には、金属の筒を口から胃まで差し込むので、悪い方向に予想される事故は、やはり起こったそうだ。
もともと胃カメラは、大道芸人が長い剣を飲み込む芸を見て思いついたもので、素人があんな事を真似したら、当然ながら事故は起こる。先人のそういう多くの努力と犠牲の上に、今の結果があるわけだ。

私の内視鏡検査の結果は、胃底腺ポリープという良性のポリープが映っていただけで、基本は健康な胃に出来るものだそうだ。これがあると、ピロリ菌に感染していない、ということであり、別名をラッキーポリープと言われることもあり、特段、心配しなくて良いそうだ。やっぱりあの胃痛は、ロキソニンによるもので、それが自然治癒したということになり、この件は一件落着。

しかしこの一件のせいで、改めて吉村昭の作品を読み直して、小説とテレビドラマを堪能するきっかけとなった。
吉村昭の作品は、たまに、面白くない、文体が平板だ、と言う人がいる。実録小説なので、硬質な文章で淡々と描かれており、文章に装飾や強調が極端に少ない。たぶん、それがつまらなく感じるのだろう。
私はその装飾の無さが好きだし、あの題材で、感情移入しつつオーバーに脚色して描かれたら、えらいことになると思うのだが、その辺は好みが別れるところか。

初めて読む人は、戦争ものとか政治がらみの題材は後回しにして、それ以外から読むのが良いと思う。
動物ものでは「羆嵐」が有名で、確かに面白いが、気の弱い人にはちょっと怖すぎかも。「蜜蜂乱舞」「魚影の群れ」などがおすすめだ。

他のジャンルでは、「漂流」「高熱隧道」「長英逃亡」「闇を裂く道」「破獄」「ふぉん・しいほるとの娘」などから始めるのが良いと思う。
まさに「事実は小説より奇なり」を地でいく作品群で、事実が強烈なサスペンスになっており、他の作家では出来ない事実の重みを改めて噛みしめることが出来る。他に類を見ないタイプの、お勧めの作家である。
Date: 2025/08/01
【読書の愉しみ】 【日々雑感】


デッドゾーンが現実だったら?
年々、夏の暑苦しさがひどくなり、今年も「忍の一字」という感じの日々ですね。
コロナ禍が一段落ついたかと思いきや、アメリカ&中国という大国が浮足立っているので、日本での生活は、他国よりはたぶん、だいぶマシなのかな?と思って過ごすしかない状況です。

アメリカも第二次トランプ政権がスタートしてから半年を過ぎ、日米関係という大船に乗った積りでいたものが、どんどんおかしな事になってきています。
筆者は、前はトランプ贔屓だったので、第二次も期待していたのですが、さすがにちょっと不安を感じざるを得ず、これはたぶん、似たような方が多いのではないでしょうか。
個人的には、ひょっとしたらアルツハイマーではないのか?という懸念もあり、あるネット記事で「最も危険な暴走老人になる可能性が…」なんていうのを見かけて、かなりイヤーな気分になりました。

そういう怖い印象を持ってしまった一因として、今回お話しするドラマの事があります。ドラマチックな話なのではなく、文字通りドラマなのですが、もしかしたら、この記事の写真を見て既に、分かる人には分かっているかも…

筆者はスティーブン・キングの大ファンなのですが、彼の作品の中でも、特に抜きんでた逸品と言えるものの一つに「デッドゾーン」があります。キング作品の映画化は、ある要素の為に意外に難しく、原作は良いのに映画は駄作、というものが多いのですが、このデッドゾーンは、映画ともども出来の良いものの一つと言えるでしょう。
1983年作、デヴィッド・クローネンバーグ監督、クリストファー・ウォーケン主演です。
せっかくの名作なので、余計なネタバレは控え、皆さん自分で見て読んで、楽しんで頂きたいのですが、やはり今回のテーマを理解して頂く為には、必要なぶんだけは解説せざるを得ません。

一番上の画像は、トランプ氏暗殺未遂事件の瞬間を見事に捉えた、まさに歴史的な報道写真です。私はこの写真を見た瞬間から、デッドゾーンのあるシーンと、この写真がピッタリ重なってしまい、どうしても切り離すことが出来なくなってしまいました。

デッドゾーンのストーリーは、ある若い男性が事故に遭い、5年もの昏睡状態を経て目覚めるところから始まります。5年の間には、婚約者も家族も離散し、自らの生きるよすがを見失ってしまった彼ですが、ある事件をきっかけに、自分が手を触れた相手の未来を、予知する能力を授かった事に気づきます。
その能力は、見たくないものを見てしまう事にも繋がり、人間関係をも壊し、彼を苦しめます。しかし、彼なりに社会に役立ててゆくことで、何とか自分の中で折り合いをつけようと努力します。ところがある日、仕事先で紹介された新進気鋭の政治家と握手した瞬間に、この政治家が、世界を滅亡へと追い込む危険思想を持っていることを見抜いてしまうのです。

そこで彼は、悩んだ結果、ある行動に出ることを決意します。これがラストの悲劇へと繋がるのですが、クリストファー・ウォーケン演じる主人公と、マーティン・シーン演じる、カリスマ政治家のキャラクターともうまくマッチして、哀愁と悲壮感の漂う、心を抉られるようなラストシーンになっています。

私はトランプ氏狙撃のあの写真を見た瞬間、この映画と完全にシーンが重なってしまいました。そこで、何度も再生し直して、構図の似たシーンを探したのですが、構図に関しては、私の頭の中で合成されたものだったようです。
2枚目が野外選挙活動の様子、3~4枚目が悲劇の現場、5枚目は彼が命を懸けて守った未来でした。ストーリーと言い、役柄と言い、うわー、もう、はまりすぎーい!と、叫ばずにはいられませんでした。

マーティン・シーン、けっこう悪役似合いますね。それも単純な悪役ではなく、権力の座にありながら問題もあるという複雑さも出せて、もう凄いですよ。
そしてもちろん、クリストファー・ウォーケンの素晴らしさ!
彼の役者人生の中でも、屈指のはまり役なのではないでしょうか。(勝手にそういう事にしてしまいます。)あの神経質というか、繊細さと芯の強さを兼ね備えた独特の存在感は、他の追随を許しません。

しかしながら…、考えれば考えるほど、デッドゾーンがドラマでよかったわー……
だって、マーティン・シーンだけ居て、クリストファー・ウォーケンが居なかったら、世界はどうなっちゃうんでしょうねえ。
皆さん、是非とも見て下さいね。デヴィッド・クローネンバーグ監督の「デッドゾーン」ですよ。アマゾンプライムで、200円でレンタルしてます。
Date: 2025/08/01
【時事ニュース】 【映画の話など】 【読書の愉しみ】


中国SFの世界
最近、ひょんな事から、中国SFに注意を惹かれてしまい、少しづつ読みだしている。
事の発端は、習近平の話から、「三体」という中国SFが凄い、という話を聞き、どんな作品かな?と興味を持ったのがきっかけである。

「三体」は劉 慈欣(りゅう じきん)という作家の作品だが、私はどうも、宇宙人の出てくるSFが苦手なのだ。三体もそのタイプの作品ということで、まだ手を出せずにいる。

そもそも、中国というと真っ先に、言論統制というイメージが先に立つので、現代中国にも、文学界?文壇?みたいなものが存在する、という意識が完全に抜け落ちていた。
中国文学ならば、「三国志」とか「西遊記」とか「水滸伝」「項羽と劉邦」とか、魯迅の作品とか、或いは司馬遼太郎とか宮城谷昌光などの、中国の歴史を題材に書いている日本の作家ぐらいしか、思い浮かばない。平妖伝なんかも面白いが、どっちにしても全部、古典である。


現代の中国にも作家がいる、という考えが、まるで浮かばなかったのだ。
現代中国文学を読んでみよう、と考えるぐらいなら、せいぜいジョージ・オーウェルの「1984」を再読しようと考える率のほうが高いだろう。


それぐらい、知識がなかったので、まるで意識の片隅にも無かった中国SF小説なるものの存在を知り、まずは劉 慈欣の短編集を読んでみた。とりあえず「円」というタイトルの作品集だ。

結果は…まあまあ面白かったのだが、収録作品が、それぞれ全くタイプが違うので、作品によって、合うものと合わないものがある。
「鯨歌」と「地火」は、非常に面白かった。
作品集タイトルの「円」は…正直いうと、面白いのか面白くないのか、よく分からない。はっきり言うと、作品にそれほど愛着を感じないので、ネタバレをしてしまおう(失礼)。

「円」というのは円周率のことで、円周率を計算することに取り憑かれた秦の始皇帝が、学者を装った敵のスパイに唆され、兵士を全部動員して人間スパコンにしてしまう。コンピュータは0と1なので、人間の手旗信号みたいなものをズラッと並べれば、計算できてしまう、という原理だ。
いちおう理屈ではそうなのだが、そんなことやっていては何年もかかるし、軍隊を全部動員してしまうので、城の守りがホッタラカシになってしまい、そこを突かれて滅ぼされる、という話だ。

うーん、確かにぶっ飛んでるし、小説のアイデアとしてはすごいと思うのだが、この話、面白いか?私は、アイデアが凄いとか凄くないというより前に、面白く感じなくて、ふーん…としか思わなかった。
それに、この作品の大きな欠陥として、人間を使ってそんな壮大な計算をさせる、というのが、私には不可能に思えるのだ。

人間を使ったことのある人なら分かると思うが、人間というのは必ずミスをする。何故か、人間のミスなら必ず防げる、という人も居るが、人間というのは、他人が思ってもいないような部分でミスをするものだ。右手を出せ、という簡単な指示でも、何パーセントかは、必ず間違う。
ましてや、何十万人という兵士に、何年間もかけて壮大な計算をさせるとなると、発案者の想像を絶する、変わったミスをする人間も必ず混じっているし、サボる人間だって出て来るだろう。

それらのミスを撲滅する過程を詳しく書いてくれない限り、私自身は、この作品は前提からして、あり得ないものに思える。

「鯨歌」とか「メッセンジャー」はすごく面白かったし、「地火」のような生活臭と個人の傷みの伝わってくる作品は大好きなのだが。

「三体」は、どうもあまり合わないのではないか、という予感がするので、鑑賞は気が向いたら、ということで。
Date: 2024/05/30
【読書の愉しみ】


落語もいいよ
最近、夜寝る時に、youtubeでよく落語を聞いています。
Kindleの読書もいいですが、視覚を使わずに、音だけなのも良いものです。
音楽だと逆に眠れなくなってしまうので、落語ぐらいのテンションが良い感じ。

お気に入りの定番は、三遊亭円朝作の「怪談・牡丹灯篭」とか「真景・累が淵」なんかの長編怪談です。
桂歌丸の語りが聞きやすいし、省略してない長編をじっくり楽しめます。
円朝って、ほんとうに、名人落語家である以上に、作家としても素晴らしいですね。
テキストで読みたい方は、これがおススメです。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00FV9LG1M/

文体はやや古いですが格調高いし、総ルビなので、とても読みやすいです。150円です。

あと、最近聞いた中では、壺算(つぼざん)が面白かった。
これ、名作古典で、いろんな人が語ってますので、聞き比べしてみると面白いです。

手っ取り早く言えば、ほとんど詐欺の話なんですが、計算をムニャムニャの屁理屈で誤魔化してしまうところが絶妙です。
みんなそれほど、計算が達者ではない時代の話ですし、その場にいたら、誤魔化されない自信がありません。

この壺算、少し似たコンセプトの作品が、洋画に登場します。
ライアン・オニールとテイタム・オニールの親子共演で「ペーパー・ムーン」。
年端もいかない少女詐欺師のテイタム・オニールが、釣銭詐欺を働くんですが、このやり取り、なかなかのものでした。私だったら、絶対に騙されてる自信があります(笑)。

落語、youtubeには詰め合わせもあるし、竹の水仙なんかの左甚五郎ものも、何となく格調が高くていいものです。
Date: 2024/05/19
【読書の愉しみ】


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