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タオのWEB日誌+


AIから魯迅へ  2025/11/06
マニブスの種~なんかよく分かんない映画~  2025/11/05
題して雲切ネット2.0  2025/11/02
高市総裁のハズレダンナの件  2025/10/18
女殺し油地獄と黒沢映画の疑問  2025/09/24


AIから魯迅へ
◆本題の前に、小さなお知らせ。
命式一覧表をやっとアップして、これで使いやすくなった、と自画自賛で喜んだのも束の間、節入り日の見方は相変わらず難しいのは分かっていた。
もう少し何とかならないか?と考えてたら、何のことは無い、節入り日を節入り前と後の二行に分けて書けば解決、ということに気づき、また手直しにかかる羽目に(ハアー)。
まあ何でも、分かってしまえば簡単な話なのだが、何か作る時って、こういう事は日常茶飯事なので、しょうがないですよね。ボチボチ直しにかかりますが、とりあえず直しが完了するまでは今のままで出しておくので、しばしご猶予を。
更にこれのバージョンアップ版も考えているのですが、それはまた後日ということで。


◆元はAIの話から
本題の魯迅の話なのだが、なぜ急にこんな話題を持ち出すかというと、AIの事を考えていたら、芋弦式の思考の結果、魯迅が出てきてしまったのだ。

元々は生成AIのハルシネーション=つまり幻覚や誤った考えが、なぜ起きるのか?という疑問だった。
単純な話、LLM大規模言語モデルが、ネットから収集したデータを元に組み立てられているとなると、ネットには大量のデマや妄想が流布しているので、そこから生み出されるものも、嘘八百が混在していて当然ではなかろうか?と単純に考えることが出来る。
最も稀少性のある情報は、どこの組織でも大切に保護していて、外部に公開しているものは一部でしかないだろう。無料でバラまかれているデータは、内容も薄く、あまり価値のないものが多いだろう、という考えに至るのは当然だ。

現にOpenAIでは、既にデータは使い果たした、と言っているそうで、次はどこからデータを引っ張ってこようか、と考えているそうだ。noteでクリエイターが自分のコンテンツをAI向けに使用許可を出せば一定金額を配布する、といったプロジェクトをやったのもその一環。
この問題は今後どうなるかは分からないが、今回私が考えていたのは、そういう話ではない。

AIの利用が進めば進むほど、ネットにはAIが作ったコンテンツが増える。
それをまた、AIは収集して話を作り上げるわけで、これは言ってみれば、言い方はきついが「AIの共食い現象」である。
AIはほどなく崩壊する、と言っている人々の論拠もこのあたりにあるらしい。AIが共食いを始めると、ハルシネーションが増え、結果的に予期せぬ暴走を始めてしまうのだそうだ。

SFの世界では、もうだいぶ前からコンピューターが自我意識を持つとか、暴走し始める、と言ったテーマが取り上げられていた。
このテーマでの大御所たる「2001年宇宙の旅」(アイザック・アシモフ)とか「月は無慈悲な夜の女王」(ロバート・A・ハインライン)などが有名だが、筆者なんかは若い頃に夢中で読んだディーン・R・クーンツとか、マイクル・クライトンなんかを懐かしく思い出す。
マイクル・クライトンなんかは、1960年代から素晴らしい空想科学小説を書き続けていて、筆者にとってその時代に新しい知識を仕入れるには、並ぶもののない存在だった。初版単行本で読んだ「アンドロメダ病原体」の描き出す世界なんかは、今やっと、現実が追いついてきたか、という感じだ。
「ウエスト・ワールド」なんかは映画化もされて、今見てもゾクゾクするほど面白いし、ディーン・クーンツの「デモン・シード」のヤバさはなかなかのもの。ヤバいのばっかり挙げるのもナンなので、一般人には「アンドリューNDR114」(ロビン・ウイリアムズ主演)なんかお勧めしておく。

こんな話になると、脱線が留まるところを知らなくなるので本題に戻るが、共食いによるハルシネーションの暴走は、AIが自分自身の間違った回答を再度学習し続けることにより、その間違った答えが際限なく拡大し続けていく可能性を秘めているのだそうだ。

簡単な例を挙げると、私たちが現在、youtubeで猫の動画を見るとする。生成AIは茶猫が2本足で立ち、前足2本で器用にモノを操る動画を作ったりする。なかなか面白くて再生数も伸びるので、更にAIはこの茶猫の画像を学習する。
そうするとだんだん、「猫とは茶色で、後ろ足で立ち、前足で器用にモノを扱い、人間を助けたりするものだ」という認識が、既成のものとなってゆく。実際にはそんな猫は少ないのだが、AI全盛の世界では学習数の多さから、この認識がデフォルトになってゆく。
これはあくまでも、「普遍」とされるものに歪みが生じてゆく一つの例なのだが、筆者はある時ふと「AI共食いが危険である」という話を、「人間が人間を食べることの問題点」と関連づけて考えたことがあった。


◆なぜ「人食い」が禁忌なのか
やや突飛な連想かもしれないのだが、筆者が前々から、「人間が人間を食す事が禁忌なのは何故か」という問題の根本的な回答を探していた、という背景がある。
なんでそんなもの探してるんだ?と思うかもしれないが、とにかく自分の中に、疑問の種として存在していたからだ。
有力な回答例として「同種を食べると、遺伝病が出やすいから」というのがあった。なるほどこれは、近親婚が法律で禁止されていること、近親婚の多い地域や家系では奇形が増えやすいことを考えても納得しやすい。

そこに来て最近とみに、中国情勢の不安定さが伝えられ、ある地域で若者が大量失踪した後に、市場で謎の肉が大量に販売されていた、などという、リアルホラー現象のニュースをしばしば見かけることが多くなった。
こういうニュースが目に入ってくる原因として、筆者自身がクリックするコンテンツに偏りがある、という原因は否めないので、この対策はもう少し徹底せねば、と思っているところなのだが、この問題は今回は横に置いておく。

そこでもう少し、食人に関する資料を漁っていたら、魯迅の代表作の一つである「狂人日記」が目に止まった。未読だったので早速読んでみたが、何となく「狂人」というのは一種の隠れ蓑でしかなくて、ほぼ事実なのではないか、とも読める。

しかし筆者はこの「狂人日記」を読んで、自分自身の考えや認識が、まさに平和ボケの低レベル日本人でしかなくて、余りに狭くて偏っていた、という気がして、頭を掻きむしりたくなるぐらい、恥ずかしくなってきた。

「なぜ、人間が人間を食べてはいけないのか?」に対する自分自身の考えは、前述の遺伝的な原因とか、漠然とした道徳観念の域に留まっていたからだ。
魯迅描く主人公は、こう述懐する。

 ◇ ◇ ◇

自分で人を食えば、人から食われる恐れがあるので、皆疑い深い目つきをして顔と顔を覗きあう。この心さえ除き去れば、安心して仕事が出来、道を歩いても飯を食っても睡眠しても、何と朗らかなものであろう。ただこの一本の敷居、一つの関所があればこそ、彼らは親子、兄弟、夫婦、朋友、師弟、仇敵、各々相知らざる者までも皆一団に固まって、互いに勧めあい牽制しあい…(後略)

わたしはどんなに口を抑えられようが、どこまでも言ってやる。
お前たちは改心せよ。ウン、分かったか。人を食う者は将来世の中に容れられず、生きてゆかれる筈がない。お前たちが改心せずにいれば、自分もまた食い殺されてしまう。仲間が殖(ふ)えれば殖えるほど、本当の人間によって滅亡されてしまう。猟師が狼を狩り殺すようにーー虫ケラ同然に。

想像することも出来ない。
四千年来、時々人を食う地方が今ようやくわかった。私も長年、その中に交じっていたのだ。アニキが家政の切り盛りをしていた時に、ちょうど妹が死んだ。彼はそっとお菜の中に混ぜて、私どもに食わせたことが無いとも限らん。私は知らぬままに何ほどか、妹の肉を食ったことがないとも限らん。現在いよいよ、おれの番が来たんだ…
四千年間、人食いの歴史があるとは、初めわたしは知らなかったが、今わかった。真の人間は見出し難い。

 ◇ ◇ ◇

この作品で描くところの「人食い」はあくまでも比喩であって、人を人とも思わぬ搾取システムが幅をきかせる社会のことである、という解説が多い。
しかし筆者は、「人食い」は比喩にみせかけた事実であり、逆に事実のような比喩でもあって、同時に「狂人」というのも、正常とされる人々から見れば狂人に見えるが、狂人から見たらいわゆる正常人が狂人ということなのだろう、と思っている。

まさに、筆者が考えていた「人を食ってはいけない」理由なんて、平和ボケそのものであって、「人食い」があり得たら、社会というものは成り立たないのだ。この一番肝心な部分が、脳裏の片隅にも過らなかった自分の浅はかさである。

魯迅は人を救おうと、いったんは医学を志したそうだが、ある体験を通じて、肉体の病気を救っても精神が病魔に冒されたままだったら何の意味もない、として、小説家に転身したという。
「病魔」と言っても、病名のつく鬱病とか統合失調症とかの話ではなく、自分や他人を尊重できないとか、広く社会のルールを守ることが出来ないなど、幅の広い話だ。
この「小説家に転身」部分はまさに、筆者にとっては感涙ものの一撃だった。


筆者は常々、本を読むことは大事だが、半端な教養書とか、ましてや実用書などは本のうちには入らない、と思っている。「本のうちに入らない」とは、言い過ぎのようにも聞こえるかもしれないが、じっさい、心の底からそう思っている。
実用書は単に本の体裁をした道具だから、道具の取り扱い説明書と同レベルと言える。「本」とは文字通り「根源的な真実」のことであって、それが一番効率よく的確に表現されるのは、小説の世界である。もちろん、小説以外でも真実を追求する姿勢で心に迫る本は沢山あるが、半端な教養書は似非本のタグイで一番嫌いだ。

何にでも、魂を吹き込むことは出来るので、筆者は前に一度、DVDラックの取扱説明書に舌を巻いたことがあった。単なる組み立て式の家具についていた説明書なのだが、今までこれほど、説明書を書いた人の、製品に対する知見と真摯な姿勢が窺われ、説明の仕方の上手さを感じる文を見たことが無かった。
他にもそう感じた人が多かったらしく、レビューを読んでみると、「この説明書は、書いた人の頭の良さに驚く」という意見が沢山書かれていた。懇切丁寧な説明書がついているのは日本製品の特長だが、技術力の溢れたぶんが説明書に出た、という感じだった。

こういう例外はあるし、科学書などにも非常に優れたものは多いが、やはり群を抜いて良書が多いのは小説である。
こらへんの話に疑問を持たれる方は多いかもしれないが、今すぐに手っ取り早く言葉で言いくるめても意味が無いので、いつか分かる日が来るといいね、ということにしておこう。

本を読むとは言っても人それぞれだし、私は自分の事を、小説以外の本が読めない病気、と思って多少困っていた。しかし世間には、どうも逆の人のほうが多いようだ。
これはたぶん、私は自分だけがまともで、他の人を狂人だと思っているが、他の人から見たら私のほうが狂人、という図式なのだろう。

狂人の私の考えでは、真の教養、心の栄養となり得るのは、優れた小説が一番だと常々思っているが、よほど信頼した人にしか、この意見は言わない。何せ、狂人は数が少ないのだから、辺りを憚って生活するに限る。
しかし、魯迅に倣って、今後はもう少し言ったほうがいいのかもしれない。

「狂人日記」は短編で、入手もしやすく無料で読めるので、皆さんにも是非読んでいただきたい。
Date: 2025/11/06
【読書の愉しみ】 【ディープな話】 【AI・テクノロジー】


マニブスの種~なんかよく分かんない映画~
アマゾンプライムで、たまたま表示されたので何となく見ていて、これって面白いのか面白くないのか?怖いのか怖くないのか?変なのかそうでもないのか?
何だかよく分からない展開なのだが、何となく印象に残ってしまった邦画をご紹介。

平凡なショボい独身サラリーマン男性の元に、差出人不明の植物の種らしきものが送られてくる。
これは3~4年前だったか、世界各地で話題になっていた、謎の種子が送り付けられて来た事件を彷彿とさせるので、何かサスペンス的なハラハラ展開でもあるのかと、少し期待しながら見ていた。
そしたらこの映画…映画というには23分ほどの小品なのだが、ことごとく予想を裏切る展開で、「え?そう来るか?」と意外と退屈しなかったのだ。

男性は丁寧に植木鉢を用意して、その種を撒き、水をやったりして部屋の中に置いている。
ここでまず、(こんなワケワカメの種植えたりするか?)とみんな思うだろう。

そしたらその種が芽を出すのはいいのだが、何と真っ黒い不気味な手が生えてくる。

そこで、(ああ、これはホラー的な展開になるのか)と思う。
男性も普通の反応として、動く手がおどろおどろしくて不気味なので、パニックになり、カッターで切りつける。

そしたら血が飛び散るのだが、ここからまた予想に反して、「…なんか、ゴメン」とか軽く謝りながら、バンドエイドかなんかをその手に貼ってやってる。オイオイ、ホラーじゃないのかよ。

次に、手がモゴモゴ動くので、なんか言いたそうだね…と、どうするのかと思ったら、スマホを与えて、手は文字通りのブラインドタッチで送信してきて、二人は会話を始める。
一人と一本は妙に仲良くなって、職場でもデートの最中でも、スマホで頻繁にやり取りしている。

いくらブラインドタッチたって、どうやって返信内容を理解するんだよ?とか、部屋に連れ込んだ彼女が、怖がりもせずにまたその手とスマホでやり取り始めるとか…。
イタしてる最中に手が見ていても気にならないのか?更に手に見られるというのは、正しい表現なのか?とか…
とにかくこの作品、こうなったらこうなる、という、ありきたりの展開をことごとく裏切り、ほとんど予想の逆を行くのだ。

そして結局は、心温まるのか不気味なのか、よく分からないラストとなるのだが、私はこの映画を見ていて、何故かChatGPTを思い出してしまった。
唐突に生活に侵入してきて、アッという間に人の一番奥深い部分まで簡単に入り込んでしまい、役立ってるようで何とはなしの不気味さもあるという…。
すっかりネタバレしちゃったけど、アマプラ無料・23分と短いので、期待せずに見てみてもいいと思う。
Date: 2025/11/05
【映画の話など】


題して雲切ネット2.0
早くも11月、今年も残り少なくなりました。
筆者が変な理由でクサしていた高市総理もなかなかの出だしで、蔭ながらホッとしています。まあ人間、何が幸いするか分からないので、辰巳空亡という激烈なタイプの空亡が、一発逆転の道につながるといいですね。

筆者のほうもこのところ、いろいろとゴタついていましたが、何とか方向性が定まり、下準備的な作業も出来ました。
下準備というのは、既にサイトにアップしています。
今まで皆さんが、自分の命式を出していろいろ判断しようとしても、その前に干支暦という、なかなか厄介なハードルが立ちはだかっていました。

この干支暦で命式を出すという作業は、占術家として日常携わっていると、普段は何とも思わないのですが、いったん初心者とか全く縁の無い人に興味を持ってもらおうとすると、想像以上に厄介なシロモノです。
講座で一通り学んでいる方々も、しばらく使わないと忘れますよね。

筆者は他人の土俵で相撲を取るのが大嫌いなので、これまでは、ほぼ外には出ていかなかったのですが、客観的に考えると、どう見ても、テキスト中心のサイトだけでやっていく時代では無くなっています。
そもそも、今のサイトじたい、もうパソコンで閲覧する人は少数派で、多くの人はスマホから見ています。
つまり、サイトの作りが全く時代にあっていない。

そうなると、何かを伝えるのに、スマホで長い文章を読んでもらう、という前提に無理があるのは当然です。しばらく前から、雲切フォーラムで音声を使ったコンテンツを作ってますが、やはりこれも一種の「試み」に過ぎません。

それで、いろんな展開を考えているのですが、運命学に興味を持ったとしても、第一段階がなかなか大変です。内容以前に、自分の命式を知る手段が限られています。
そこにAIが出てきたので、これでイケるか!と思ったのも束の間、大規模言語モデル=LLMで命式を出す作業というのは、全く箸にも棒にもかからないレベルでダメでした。この顛末はnoteの記事でも書いています。
もともと、AIにその分野の学習データを与えていないので当然なことですし、勝手に期待して勝手に失望しているだけなんですが。

いろんなサイトで、生年月日を入力したら自動で命式が出る、というサービスもありますが、試してみれば分かる通り、あれもサイトによってバラバラです。専用の占術ソフトでも、間違っている場合が多いのです。
それほど、干支暦の命式計算をちゃんとするのは、大変なんですね。

一般の方が、九星だの四柱推命だのの話をしているのを見ると、性格だの運勢だのを言う前に、前提たる命式があってるのか?と心配になります。
講座のお問い合わせなんかでも、カルチャーセンター的な四柱推命セミナーに何年も通っているのに、全然理解できないのだが、というご相談がちょくちょくあります。
内容が分からないと言う以前に、まず命式が出せていないので、スタートラインにさえ立てていない人が多くて、ちょっと悲しくなってしまいます。

初心者が自分で運勢を見るとか、何か状況を変えたい、というような目的を持つ以前に、最低限、命式を間違える事態だけは避けなければ、話になりません。

結局、AIもダメだったので、いろいろ検討した結果、一覧表型式が一番確実だろうと思い、このところその作業に専念していて、やっと完成しました。
いろんな課題はあり、これでもまだ、初心者には難しい部分はありますが、今までの干支暦を自分で判断するよりは、ずっと分かり易いだろうと思います。

一覧表型式の一番の長所は、流れが見えるので構造が分かるし、もしミスがあっても発見しやすいことです。
極端な話、一覧表作成者が間違っていたとしても、利用者側がミスを発見することができるでしょう。
「あれ?この流れならこのポイントで変わる筈なのに、なんかおかしいぞ…」というのが見えます。

その代わりに、目の前に結果だけがポン!と出てくるブラックボックスでは無いので、何度かクリックして辿りつく必要があります。
ですから、ブラックボックスが不安な人にも安心して使えます。何度かクリックする手順が必要なのは、デメリットでもありますが、見ようによってはメリットでもあるのです。

ただし節入り日の扱いだけはまだ厄介で、ここだけは誕生時が節入り時刻の前か?後か?という見分けが必要です。ここが何とかできるともっと良いのですが、まあ無理でしょう。
それでも、これまでの干支暦よりはずっと使いやすいと思いますので、システム的な物が苦手な方でも、無理をせずにお使いいただけると思います。

何でもそうですが、コンテンツの内容によって、来るユーザーの質は変わります。
誰でも簡単にご利益だけ手に入る、と謳えばそういうユーザーしか来ませんし、ある程度は内部構造まで理解できて面白いし自分の判断力もアップ、という作りであれば、ユーザーもレベルの高い人がついてくるので、これぐらいでちょうど良いところかもしれません。

でもこれを作る作業は、久々にかなり大変でした。
現時点で105年分ですが、コピペするとは言っても、そのコピペする元データを作る作業が、全体の3分の1ぐらいかかった気がします。
最初からこういうものがどっかにある、という訳ではないので、何十回やり直したか分かりませんが、延べ作業時間がエライことになってます。もう完全にブラック労働ですよ。

と、自慢したところで、以下のアドレスからご覧いただけます。サイトトップからは、下左メニューの「命式一覧」からリンクしています。
この命式一覧は、これまでの静的コンテンツから一歩踏み出して、雲切ネットのver.2.0の足掛かり、とでも言うところですかね。
辰巳空亡の方も、あと少しですから頑張ってね!(誰に言ってるんだ?笑)

https://www.kumokiri.net/data/datatop.html
Date: 2025/11/02
【新着とお知らせ】


高市総裁のハズレダンナの件
数年前に講座の命理気学で、高市早苗氏をサンプルで取り上げたことがあり、そこで少しだけ触れたのですが、何だか気になる情報が出ているので、備忘録として書いておきます。

私は各界の気になる人を、ちょくちょく命式を出してみるのですが、高市氏に関しては、その時、あまり褒めて書きませんでした。むしろ「心配になった」と思ったままに述べました。

現在の政治状況では、あの人相の悪いオジサンが去って胸を撫でおろしているところ、他にこれといった有力候補が居ないので、高市さん一択だというのは、私も完全に同意です。

ただですね…高市氏の命式を見ると、正直言って一国のトップの器には見えないのです。決してけなす積りでは無いのですが、人にはそれぞれ適材適所の居場所がありますし、また限界というものもあります。
限界は破る為にある、という方もおられるかもしれませんし、頑張れば限界も無くなり、底上げが出来る、という意見もしごくもっともです。しかし誰もかれも、別にそんなに無理して自分の限界を破る必要はありませんし、一国の舵取りなんて、個人が頑張って出来るようなものではありません。一番向いた人が、なるべく好条件の元で役職に就いたほうが、当人も国民も幸せだと思うのです。

そういう意味では、高市氏は、あんまり首相の座に向いているとは思えなかったのです。また運勢的にも、今年は決して良くはありません。
それでも、公明党とも手を切って、今の状況ではまあ良かったな、と思っていたところ、こんなニュースが目につきました。


◆高市・山本夫妻の介護問題
2025年に入ってから高市氏の夫の山本拓氏が脳梗塞を発症、運悪く治療が遅れたせいで後遺症が残り、半身不随に。
更に悪いことには、山本氏には変なこだわりがあり、絶対に介護保険は使いたくないというので、高市氏がワンオペで全面的に介護の重責を背負う現在だそうです。
そう言えば、高市さんこのところ、急に痩せましたよね。

「帰ってきたら、食べこぼしがいっぱいあって、それを掃除してから入浴介助。これが一番身体にこたえます。私よりはるかに身長の高い家族を背中に担ぎながら、風呂場に行って頭から身体のすみずみまで洗って…」

いやーこれね、一国の舵取りという重責を担う人が、何もかも一人で背負ってやるようなことではないと思うんですよ。これ男性と女性が逆だったら、夫が仕事から帰宅して奥さんの世話しますか?
国政を担う立場の人が、そんな余分な労働を背負っている暇があったら、もっとゆっくりして英気を養い、政治の勉強なり何なり、自分を大切にしてもらうべきだと思うのですが。

それと高市さん自身が、こういう話をつい外部に漏らしてしまう精神状態だという事も、気になります。本当かどうか分かりませんが、自民党部会で声を詰まらせながら語ったとか…どこまで本当か知りませんが、当人が重荷に感じてるのは確かなのでしょう。

これが事実とすると、もう単なる男の我が儘のようにしか、見えないんですが。
介護保険使いたくないというのは、保険制度に異を唱えてるのか、それとも、他人じゃなくて何が何でも妻にやらせたいってことなのか?急に具合悪くなったら、国会審議の最中でも電話して、女房呼び出すんでしょうかね?

もちろん、他人に身の回りの世話してもらうなんて、誰だって嫌ですよ。でも、そこは抑えて、何も介護保険使わなくていいから、家事と介護は専門の人に任せて、心置きなく国政に専念して頂くことが、国政に携わる者の勤めではないでしょうか。
家族ならむしろ、自分のことで大事な仕事の足引っ張っちゃいけないから、家の事は心配しないで、というのが当然だと思うのですが。

今回、せっかく高市首相が実現したとしても、短期政権で終わってしまえば、大した仕事も出来ませんし、単に自民党内で持ち回りで総裁やっただけでは、大した意味はありません。

政治家にだって「公」も「私」もあっていいとは思いますが、家事と介護と仕事って、そんなに「私」が大変な人に国政担って欲しいとは、私は思いませんね。

でも、ここまでの話はあくまでも一般論であって、常識であると同時に、まあ単なる物理的な話の範囲です。
もう少し深読みすると、根は男女関係の話ですし、そういう観点からすると、そう単純な話でもない気がします。
こういう部分…私に言わせれば、こういうワガママを言わせてしまうのが、高市氏の「器ではない」部分という気がするのです。何だか、ズルい男につけこまれてる感じさえします。
こんなこというと何だか、「痴漢に遇うほうが悪い」理論みたいな感じがして、少しイジワルかな?と気がひけるのですが、人間関係って相対的なもので、特に夫婦関係なんて、常識では測れない部分があります。
ある人とは何でも無い事が、相手が変わるとどうしようもなくこじれる、なんてことはよくありますから、やっぱり夫婦って鏡みたいなとこあるんですよね。
とかく日本人は…とか思う人があるかもしれませんが、そういう問題ではなく、これは当人のキャラクターとか運勢による部分のほうが大きいと、私は思います。ご夫婦の相性という点でも、疑問は残ってしまいます。

自民党総裁になって、これから一番重要な局面に差し掛かろうという時に、一番近しい家族である夫が、そういう立場に追い込んで負担をかけるか、或いは「自分の事は心配しなくていいから、心置きなく仕事に全力を注いでくれ」と言ってくれるかは…とても言葉で説明しづらいのですが、運命学的な立場から言うと、本人の力量の一部でもあるような気がするのです。

何はともあれ、高市首相が実現の運びになった暁には、悔いの残らないような活躍をして頂きたいものです。
Date: 2025/10/18
【時事ニュース】 【日々雑感】


女殺し油地獄と黒沢映画の疑問
買い物の序でにamazon primeでふと目についた「女殺し油地獄」。
近松原作ということとタイトルだけは知ってはいたが、未見だったので、何となく見てみた。

映画そのものは、それほど面白いとは思えないのだが、有名な歌舞伎俳優が出ているので、その演技力とか存在感を感じ取れて、なかなかのめっけもの。
やはり、舞台で鍛えた役者の立ち居振る舞いは、もうほんとに見事としか言いようがなく、かつての日本の古典芸能界の底力を、目の当たりにする思いである。

特に、新珠三千代のあざやかなセリフ回しや所作は際立っていて、こんなに凄い役者だったのかと、昨今のテレビドラマではまず感じられない見事さだった。
ほんとに、「子供たち、お茶が飲みたいの?そこに座りなさい」なんていう、何気ないひとことでも、上手な役者が言うとこんなに引き込まれるのかと、つくづく見入ってしまう。


◆黒沢映画のセリフって…
セリフの見事さを考えていて、逆の意味で思い出したのだが、私は黒沢映画をほとんど見ない。
とても面白い、との評判なので、何度か見てみようとするのだが、どうもピンとこなくて、めったにやらない途中放棄、脱落をしてしまう。
とにかく、何を言ってるのか分からない。今風に言うと活舌(滑舌?かつぜつ?)が悪すぎて、筋も何もかもあやふやで、ついてゆけないのだ。

何で黒沢映画って海外で評判いいの?と考えてみて、もしかしたら、向こうは字幕か吹き替えで見るので、よく聞き取れない日本語で見るよりも面白いのかもしれない、と思った。
この件でネット検索してみたら、似たような感想を持つ人がゾロゾロ出てきて、やっぱりそうなのかもしれない、と思う。
黒沢映画はスタジオではなくロケで撮るので、セリフの音質が悪いとか、その時代の録音機器が良くないのかとか、いろいろ考えてみるのだが、残念ながらいまだに私には、黒沢映画の面白さを味わうことが出来ないでいる。
日本映画だから大丈夫な筈、という思い込みを捨てて、字幕のついたものでも見たほうが良いのかもしれない。


◆縁起担ぎ?
この女殺し油地獄で、一つだけ妙に気になったことがあった。
新珠三千代扮するお吉が、亭主が出かける時に、「息つぎに一杯だけぐっとやってからお出かけなさいな」と冷酒を湯呑に注いで薦める。
慌ただしく外出の準備をしている最中なので、そのまま後ろを向いて用をしているのだが、振り向くと亭主は立ったままで、湯呑から酒をすすっている。

それを見たお吉
「何してはんの!立ったままお酒飲んだりして、…縁起の悪いー!」
と普段柔らかい物言いのお吉が、こめかみに青筋立てる勢いで強く咎める。
亭主のほうも、
「ああそやったな、せいてたからな、つい気のきかんことしてしもうた、すまんすまん」
と謝っている。

私はこれを見て、普段あんまり聞かない話だったので、へえーと思った。
立ったままで飲むのは確かに行儀の良いものではないが、立ったままでお酒を飲むのが良くないのか?それともお酒に限らず、立ったままで飲むのが良くないのか?それとも、出しなに急いで立ったまま飲むという状況が縁起が悪いのか、余りにはっきりと「縁起が悪い」と強く咎めた光景が、強く印象に残った。

もちろん、立ち飲みの居酒屋だったら、立ったまま飲むのが普通なので、そういうことも無いのだろうが、この後の事件とも繋がる縁起担ぎという点で、非常に印象に残ったシーンだった。
何かご存知の方がおられたら、是非教えていただきたいと思う。

前述の通り、映画のストーリーなどはそんなに面白い映画では無いのだが、とにかく役者が見事なので、一見の価値ある映画である。

1957年版:女殺し油地獄
監督 堀川弘通
脚本 橋本忍
東宝制作
Date: 2025/09/24
【映画の話など】


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