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タオのWEB日誌+


子供版サイキック戦争の行方は!?~イノセンツ~  2025/12/14
DOGMAN~ドッグマン~  2025/11/29
AIの正しい使い方…かな?~地上の星~AIカバー  2025/11/29
命式一覧表の訂正版アップしました  2025/11/28
AIから魯迅へ  2025/11/06


子供版サイキック戦争の行方は!?~イノセンツ~
私はサイキックバトルなぞという題材は、筒井康隆の七瀬シリーズが素晴らし過ぎて、もう他の作品を受け付ける気になれず、全く手を出していなかった。他の作品はおろか、原作の面白さを穢すのが嫌で、七瀬シリーズの映像化も全く見ていない。

この映画は、内容を知らなかった為に、単にホラー映画と思って見たのだが、私にしては、これまで全くしたことのない行動を取ってしまった。
余りに怖くて、途中から続きを見るのがしんどくなってしまい、ネタバレを読んで少し安心してからやっと、続きを見たのだ。なぜそんなに怖かったのか?たぶんこれは、登場人物が子供の為、その無力さと展開の予測しづらさから、怖さが倍増してしまったのかもしれない。

内容は子供たちのひと夏の冒険…じゃなくて命がけの心霊戦争。
主人公はスウェーデンの郊外団地に引っ越してきたばかりの、9歳の女の子イーダ。両親と姉の四人家族なのだが、姉のアナが強度の自閉症の為、両親の関心が姉に集中してしまい、イーダはやや愛情不足と寂しさを感じている。
その為、嫉妬心から、両親の目の届かないところで、反応の薄いアナの手足をつねったり、ガラスの破片を靴に入れて怪我させたりという、意地悪さを発揮する時がある。それでも基本は、次女らしい物おじしないやんちゃっぷりと明るさで、日々を楽しんではいる。
そんなイーダに、ベンという男の子の遊び友達が出来るのだが、このベンは念動力を持ち、イーダにその片鱗を見せて子供らしい自慢をする。他にも、アイシャという人の心を読む能力を持つ同年代の女の子と知り合い、計4人の子供グループが出来上がる。
ところが、この4人がそれぞれに違うタイプの超能力を持っており、しかも4人集まることで、その能力をどんどん強めあう結果となってきた為、そこに思わぬ波乱が生まれる。お互いに性格や環境の違いもあり、特にシングルマザーのネグレクトによる強い不満を抱えたベンは、念動力も強まる一方、その残虐性もはっきりと表面に出てくるのだ。

このあたりの描写が進む中で、猫好きの方にとってはかなりヤバいシーンも出てくるので、これが我慢できない猫好きは鑑賞を控えていただいたほうが良いかもしれない。しかしこれは、明らかに必要な描写ではある。

全体に、静かな緊迫感が途切れない丁寧な作りで、派手さは無いのに飽きさせない作品だ。筆者は特にラストで、覚悟の頂上決戦に赴くイーダが、名残惜しさと孤独感を滲ませながらも抑え気味にママにすがり着き、また全てが終わってから今度は大泣きで、思いっきりママに抱き着いて甘える描写が、子供らしくて大好きだった。
猫問題以外は、かなりおススメのタイトル。
Date: 2025/12/14
【映画の話など】


DOGMAN~ドッグマン~
もう5回目ぐらいになるが、また「DOGMAN ドッグマン」を見た。
映画でも小説でも音楽でも、初見でとても面白かったのに、どういうわけか、初見で終わりになってしまうケースがある。
それとは逆に、初見ではそれほど強い印象を受けたわけでもないのに、後から何となく思い出して、ジワジワくるのでまた見返したくなる作品もある。

この「DOGMAN ドッグマン」は上記のどちらでもなく、初見のインパクトも強烈ながら、それがずっと衰えずに、しばらく経つとまた見たくなってしまうという、珍しいタイプの映画だった。

世評も高いので、特に解説する必要もないとは思うが、リュック・ベッソン恐るべし。私は彼の作品はそれほど好きなほうではないのだが、このタイトルはこれまで見た中で一番没入した映画だった。考えてみれば、この作品以外にリュック・ベッソン監督作品で好きなタイトルは思い当たらない。そもそも、あまり見ようとも思わないので、大きなことは言えないのだが。

なんだか、褒めてるのかけなしてるのか分からない映画評だが、若い頃の作品は芸術性がトンガリすぎてて合わない気がしてたのが、彼が年取って丸くなり、ちょうど良くなったのかも。

この映画で特筆すべきは、やはり主役のケイレブ・ランドリー-ジョーンズの鬼気迫る演技だろう。普通なら人格破戒されているような状況で、危うく紙一重で善の側に踏みとどまっているような、抑えに抑えたキャラクター構築が、見事に決まっている。

映画全体が、かなり極端な状況設定なのに、押しつけがましさも感じさせないし、終わり方もサラッとしている。
脇役陣の配置もさり気なくよかったし、ドラァグクイーン達の挿入も、エンタメ性を爆増していて大成功。エディット・ピアフの曲をケイレブが歌うシーンだけでも、ほんとに儲けもの!という感じだ。今どきおススメするには少し遅い話題だが、思い出した序でに。
Date: 2025/11/29
【映画の話など】


AIの正しい使い方…かな?~地上の星~AIカバー
**************以下が最初の記事なんですが、この動画に関して、微妙に考えが変わってきましたので、追記。現在では動画は削除されてるようですが、アドレス変えて逃げ回りつつ続けてるのかな。
しかしふと気づいたら、この手の動画が凄い勢いで増えてるんですよねえ。
こうなると立派な1ジャンルになってしまってるし、これは一次制作者の権利はどうなるのかと…

同時に、AI偽動画作成、実際には新作映画の予告編を勝手に作り、それをあたかも、公式予告編であるかのように見せかけて公開していた、二つのチャンネルがBANされたという話が伝わってきました。
https://www.youtube.com/watch?v=4puyIpz0DV0

これ、ハンパじゃないんですよね。登録者200万、再生回数10億回といいますから、凄い収益額だと思います。しかも、いったん警告されて反省したような振りして、すぐにシレッとまた偽動画を流してたとも言うことですし。
前のファスト映画の件もありますし、今度は予告編ですか…
私はファスト映画には個人的に大反対なので、駆逐されてホッとしましたが、けっこう需要があったそうです。

で、今回の偽予告編の話なんですが、何と本家本元のハリウッドの映画会社は、収益を自分のほうに流すなら良い、ということだそうです。
これには笑っちゃいましたが、やっぱりAI音楽のほうも、いくら質が高い、愛があるからこういうの作ってるんだ、とは言っても、結局はお金なんですよね。

こういう乱用を防ぐには、作ってもいいから収益は全額一次制作者に流す、これで解決じゃないんでしょうか(笑)
全額取られるなんてそんなのひどい!と思うなら、一次制作者ときちんと契約を取り交わしてから作れば良いわけです。

こういう立派な犯罪行為って、権利意識の薄い個人がやってるのかと思ったら、そのほとんどが会社として人を雇ってやってるので、そこの部分にも驚いてしまう。
結局はお金の話になっちゃうんだから、権利侵害したコンテンツはその収益は全部一次制作者に渡す、となればアッサリ解決じゃないかと思っちゃうんですが、果たしてどうなんでしょうか。

しかしAIが台頭してきてから、動物や子供の動画見るのがほんとにつまんなくなりましたね。今後どうなるのか、醒めた目で見守るしかないんでしょうか。



*****************************

蘇るジャパンpop!

…って、私はジャパンpopがほぼ苦手なのですが、本当に良いものは良い。
ほんとにこんなロックバンドあったら、超バズっちゃいそうですが、AIの仕事もここまで来ると無心で楽しめますね。

中島みゆき「地上の星」メタルロックver.
https://www.youtube.com/watch?v=tytyNc9RsFA
Date: 2025/11/29
【時事ニュース】 【日々雑感】 【AI・テクノロジー】


命式一覧表の訂正版アップしました
前にお知らせしました、命式一覧表の訂正版をやっとアップしました。
これって、何気なく作り始めたのはいいけど、ここまで大量の細かい作業になるとは予想しておらず、なかなかの難物でした。
いまどき、AIに投げたら良さそうにも見えますが、一度しか作らないものに、新たにプロンプト考えたりって、どうも気が進みません。それに干支暦の構造って、AIに教え込んで正確に出力することが出来た人って、今までいるのでしょうか?
一度もAIが四柱推命の命式を正確に出したのを見たことが無いので、LLM=大規模言語モデルにこの作業は、相性が悪いのかもしれません。四柱推命は専用のプログラムで出力しても、けっこう間違ってますからね。

何でも新しい物を作る時はそうですが、こんなちょっとしたものでも、けっこう大変。
期間はこれでじゅうぶん、かどうかは分かりませんが、昭和元年から2030年まで105年ぶん作ったので、当分はこれでいけるでしょう。

一見、簡単そうな構成ですが、この形の暦って、たぶんどこにも見かけないと思います。
干支暦を使い慣れなくても、自分の誕生日の部分を一行見るだけで完結します。簡単なことではあるのですが、実際に作るとなると、けっこうハードルの高い作業でした。
これは筆者にとっては、空亡算出表を作った時以来の、頭脳労働かも(簡単すぎ…笑)。

てなわけで、筆者がひたすら徹夜で、丸々三カ月余りを費やしてエッチラオッチラ作ったものですが、何せ100%人力ですから、完全にノーミスとは言い切れない部分はあります。しかし何度も見直してはありますので、とりあえず便利にお使いいただければ幸いです。
トップページのサブメニュー(左下の縦配列メニュー)からどうぞ。
https://www.kumokiri.net/data/datatop.html
Date: 2025/11/28
【新着とお知らせ】


AIから魯迅へ
◆本題の前に、小さなお知らせ。
命式一覧表をやっとアップして、これで使いやすくなった、と自画自賛で喜んだのも束の間、節入り日の見方は相変わらず難しいのは分かっていた。
もう少し何とかならないか?と考えてたら、何のことは無い、節入り日を節入り前と後の二行に分けて書けば解決、ということに気づき、また手直しにかかる羽目に(ハアー)。
まあ何でも、分かってしまえば簡単な話なのだが、何か作る時って、こういう事は日常茶飯事なので、しょうがないですよね。ボチボチ直しにかかりますが、とりあえず直しが完了するまでは今のままで出しておくので、しばしご猶予を。
更にこれのバージョンアップ版も考えているのですが、それはまた後日ということで。


◆元はAIの話から
本題の魯迅の話なのだが、なぜ急にこんな話題を持ち出すかというと、AIの事を考えていたら、芋弦式の思考の結果、魯迅が出てきてしまったのだ。

元々は生成AIのハルシネーション=つまり幻覚や誤った考えが、なぜ起きるのか?という疑問だった。
単純な話、LLM大規模言語モデルが、ネットから収集したデータを元に組み立てられているとなると、ネットには大量のデマや妄想が流布しているので、そこから生み出されるものも、嘘八百が混在していて当然ではなかろうか?と単純に考えることが出来る。
最も稀少性のある情報は、どこの組織でも大切に保護していて、外部に公開しているものは一部でしかないだろう。無料でバラまかれているデータは、内容も薄く、あまり価値のないものが多いだろう、という考えに至るのは当然だ。

現にOpenAIでは、既にデータは使い果たした、と言っているそうで、次はどこからデータを引っ張ってこようか、と考えているそうだ。noteでクリエイターが自分のコンテンツをAI向けに使用許可を出せば一定金額を配布する、といったプロジェクトをやったのもその一環。
この問題は今後どうなるかは分からないが、今回私が考えていたのは、そういう話ではない。

AIの利用が進めば進むほど、ネットにはAIが作ったコンテンツが増える。
それをまた、AIは収集して話を作り上げるわけで、これは言ってみれば、言い方はきついが「AIの共食い現象」である。
AIはほどなく崩壊する、と言っている人々の論拠もこのあたりにあるらしい。AIが共食いを始めると、ハルシネーションが増え、結果的に予期せぬ暴走を始めてしまうのだそうだ。

SFの世界では、もうだいぶ前からコンピューターが自我意識を持つとか、暴走し始める、と言ったテーマが取り上げられていた。
このテーマでの大御所たる「2001年宇宙の旅」(アイザック・アシモフ)とか「月は無慈悲な夜の女王」(ロバート・A・ハインライン)などが有名だが、筆者なんかは若い頃に夢中で読んだディーン・R・クーンツとか、マイクル・クライトンなんかを懐かしく思い出す。
マイクル・クライトンなんかは、1960年代から素晴らしい空想科学小説を書き続けていて、筆者にとってその時代に新しい知識を仕入れるには、並ぶもののない存在だった。初版単行本で読んだ「アンドロメダ病原体」の描き出す世界なんかは、今やっと、現実が追いついてきたか、という感じだ。
「ウエスト・ワールド」なんかは映画化もされて、今見てもゾクゾクするほど面白いし、ディーン・クーンツの「デモン・シード」のヤバさはなかなかのもの。ヤバいのばっかり挙げるのもナンなので、一般人には「アンドリューNDR114」(ロビン・ウイリアムズ主演)なんかお勧めしておく。

こんな話になると、脱線が留まるところを知らなくなるので本題に戻るが、共食いによるハルシネーションの暴走は、AIが自分自身の間違った回答を再度学習し続けることにより、その間違った答えが際限なく拡大し続けていく可能性を秘めているのだそうだ。

簡単な例を挙げると、私たちが現在、youtubeで猫の動画を見るとする。生成AIは茶猫が2本足で立ち、前足2本で器用にモノを操る動画を作ったりする。なかなか面白くて再生数も伸びるので、更にAIはこの茶猫の画像を学習する。
そうするとだんだん、「猫とは茶色で、後ろ足で立ち、前足で器用にモノを扱い、人間を助けたりするものだ」という認識が、既成のものとなってゆく。実際にはそんな猫は少ないのだが、AI全盛の世界では学習数の多さから、この認識がデフォルトになってゆく。
これはあくまでも、「普遍」とされるものに歪みが生じてゆく一つの例なのだが、筆者はある時ふと「AI共食いが危険である」という話を、「人間が人間を食べることの問題点」と関連づけて考えたことがあった。


◆なぜ「人食い」が禁忌なのか
やや突飛な連想かもしれないのだが、筆者が前々から、「人間が人間を食す事が禁忌なのは何故か」という問題の根本的な回答を探していた、という背景がある。
なんでそんなもの探してるんだ?と思うかもしれないが、とにかく自分の中に、疑問の種として存在していたからだ。
有力な回答例として「同種を食べると、遺伝病が出やすいから」というのがあった。なるほどこれは、近親婚が法律で禁止されていること、近親婚の多い地域や家系では奇形が増えやすいことを考えても納得しやすい。

そこに来て最近とみに、中国情勢の不安定さが伝えられ、ある地域で若者が大量失踪した後に、市場で謎の肉が大量に販売されていた、などという、リアルホラー現象のニュースをしばしば見かけることが多くなった。
こういうニュースが目に入ってくる原因として、筆者自身がクリックするコンテンツに偏りがある、という原因は否めないので、この対策はもう少し徹底せねば、と思っているところなのだが、この問題は今回は横に置いておく。

そこでもう少し、食人に関する資料を漁っていたら、魯迅の代表作の一つである「狂人日記」が目に止まった。未読だったので早速読んでみたが、何となく「狂人」というのは一種の隠れ蓑でしかなくて、ほぼ事実なのではないか、とも読める。

しかし筆者はこの「狂人日記」を読んで、自分自身の考えや認識が、まさに平和ボケの低レベル日本人でしかなくて、余りに狭くて偏っていた、という気がして、頭を掻きむしりたくなるぐらい、恥ずかしくなってきた。

「なぜ、人間が人間を食べてはいけないのか?」に対する自分自身の考えは、前述の遺伝的な原因とか、漠然とした道徳観念の域に留まっていたからだ。
魯迅描く主人公は、こう述懐する。

 ◇ ◇ ◇

自分で人を食えば、人から食われる恐れがあるので、皆疑い深い目つきをして顔と顔を覗きあう。この心さえ除き去れば、安心して仕事が出来、道を歩いても飯を食っても睡眠しても、何と朗らかなものであろう。ただこの一本の敷居、一つの関所があればこそ、彼らは親子、兄弟、夫婦、朋友、師弟、仇敵、各々相知らざる者までも皆一団に固まって、互いに勧めあい牽制しあい…(後略)

わたしはどんなに口を抑えられようが、どこまでも言ってやる。
お前たちは改心せよ。ウン、分かったか。人を食う者は将来世の中に容れられず、生きてゆかれる筈がない。お前たちが改心せずにいれば、自分もまた食い殺されてしまう。仲間が殖(ふ)えれば殖えるほど、本当の人間によって滅亡されてしまう。猟師が狼を狩り殺すようにーー虫ケラ同然に。

想像することも出来ない。
四千年来、時々人を食う地方が今ようやくわかった。私も長年、その中に交じっていたのだ。アニキが家政の切り盛りをしていた時に、ちょうど妹が死んだ。彼はそっとお菜の中に混ぜて、私どもに食わせたことが無いとも限らん。私は知らぬままに何ほどか、妹の肉を食ったことがないとも限らん。現在いよいよ、おれの番が来たんだ…
四千年間、人食いの歴史があるとは、初めわたしは知らなかったが、今わかった。真の人間は見出し難い。

 ◇ ◇ ◇

この作品で描くところの「人食い」はあくまでも比喩であって、人を人とも思わぬ搾取システムが幅をきかせる社会のことである、という解説が多い。
しかし筆者は、「人食い」は比喩にみせかけた事実であり、逆に事実のような比喩でもあって、同時に「狂人」というのも、正常とされる人々から見れば狂人に見えるが、狂人から見たらいわゆる正常人が狂人ということなのだろう、と思っている。

まさに、筆者が考えていた「人を食ってはいけない」理由なんて、平和ボケそのものであって、「人食い」があり得たら、社会というものは成り立たないのだ。この一番肝心な部分が、脳裏の片隅にも過らなかった自分の浅はかさである。

魯迅は人を救おうと、いったんは医学を志したそうだが、ある体験を通じて、肉体の病気を救っても精神が病魔に冒されたままだったら何の意味もない、として、小説家に転身したという。
「病魔」と言っても、病名のつく鬱病とか統合失調症とかの話ではなく、自分や他人を尊重できないとか、広く社会のルールを守ることが出来ないなど、幅の広い話だ。
この「小説家に転身」部分はまさに、筆者にとっては感涙ものの一撃だった。


筆者は常々、本を読むことは大事だが、半端な教養書とか、ましてや実用書などは本のうちには入らない、と思っている。「本のうちに入らない」とは、言い過ぎのようにも聞こえるかもしれないが、じっさい、心の底からそう思っている。
実用書は単に本の体裁をした道具だから、道具の取り扱い説明書と同レベルと言える。「本」とは文字通り「根源的な真実」のことであって、それが一番効率よく的確に表現されるのは、小説の世界である。もちろん、小説以外でも真実を追求する姿勢で心に迫る本は沢山あるが、半端な教養書は似非本のタグイで一番嫌いだ。

何にでも、魂を吹き込むことは出来るので、筆者は前に一度、DVDラックの取扱説明書に舌を巻いたことがあった。単なる組み立て式の家具についていた説明書なのだが、今までこれほど、説明書を書いた人の、製品に対する知見と真摯な姿勢が窺われ、説明の仕方の上手さを感じる文を見たことが無かった。
他にもそう感じた人が多かったらしく、レビューを読んでみると、「この説明書は、書いた人の頭の良さに驚く」という意見が沢山書かれていた。懇切丁寧な説明書がついているのは日本製品の特長だが、技術力の溢れたぶんが説明書に出た、という感じだった。

こういう例外はあるし、科学書などにも非常に優れたものは多いが、やはり群を抜いて良書が多いのは小説である。
こらへんの話に疑問を持たれる方は多いかもしれないが、今すぐに手っ取り早く言葉で言いくるめても意味が無いので、いつか分かる日が来るといいね、ということにしておこう。

本を読むとは言っても人それぞれだし、私は自分の事を、小説以外の本が読めない病気、と思って多少困っていた。しかし世間には、どうも逆の人のほうが多いようだ。
これはたぶん、私は自分だけがまともで、他の人を狂人だと思っているが、他の人から見たら私のほうが狂人、という図式なのだろう。

狂人の私の考えでは、真の教養、心の栄養となり得るのは、優れた小説が一番だと常々思っているが、よほど信頼した人にしか、この意見は言わない。何せ、狂人は数が少ないのだから、辺りを憚って生活するに限る。
しかし、魯迅に倣って、今後はもう少し言ったほうがいいのかもしれない。

「狂人日記」は短編で、入手もしやすく無料で読めるので、皆さんにも是非読んでいただきたい。
Date: 2025/11/06
【読書の愉しみ】 【ディープな話】 【AI・テクノロジー】


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